西武ドーム とは?ページ内リンク ↓ウィキペディア(Wikipedia)記事 ↓Yahoo!知恵袋西武ドーム(せいぶドーム)は、日本の埼玉県所沢市にあるドーム球場。プロ野球・埼玉西武ライオンズが本拠地としている。施設は西武鉄道が所有し、西武レクリエーションが運営管理を行っている(一部メンテナンス業務は協栄などに外部委託)。ドーム化前の呼称は西武ライオンズ球場(せいぶライオンズきゅうじょう)。西武球場という通称表記も多く使用されていた。今でも「西武球場」と呼ぶ人も多い。 出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』 西武ドーム 出典: 『はてなダイアリー』 関連商品
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| 西武ドーム Seibu Dome |
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| 施設データ | |
| 所在地 | 埼玉県所沢市大字上山口2135番地 |
| 起工 | 1978年6月 |
| 開場 | 1979年4月14日 |
| 所有者 | 西武鉄道 |
| 管理・運用者 | 西武レクリエーション |
| グラウンド | 透水性人工芝 |
| 照明 | 照度 - バッテリー間:2500ルクス 内野:2000ルクス 外野:1500ルクス |
| 設計者 | 池原研究室(球場建設)、 鹿島建設(ドーム化工事) |
| 建設者 | 西武建設、鹿島建設(ドーム化工事) |
| 旧称 | |
| 西武ライオンズ球場(開場~1997年) インボイスSEIBUドーム(2005年3月1日~2006年12月31日) グッドウィルドーム(2007年1月1日~2008年1月8日) |
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| 使用チーム • 開催試合 | |
| 西武ライオンズ・埼玉西武ライオンズ(開場~現在) | |
| 収容能力 | |
| 35,879人(内野:-席、外野:-席) ※野球開催時:35,655人 ※第二期改修工事に伴い暫定的に33,229人に変更 |
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| グラウンドデータ | |
| 球場規模 | 両翼 - 100 m(約328.1 ft) 中堅 - 122 m(約400.3 ft) |
| フェンス | 3.2 m(約10.5 ft)~ 4.37 m(約14.3 ft) |
西武ドーム(せいぶドーム)は、日本の埼玉県所沢市にあるドーム球場。プロ野球・埼玉西武ライオンズが本拠地としている。施設は西武鉄道が所有し、西武レクリエーションが運営管理を行っている(一部メンテナンス業務は協栄などに外部委託)。ドーム化前の呼称は西武ライオンズ球場(せいぶライオンズきゅうじょう)。西武球場という通称表記も多く使用されていた。今でも「西武球場」と呼ぶ人も多い。
2005年3月1日より球場名の命名権(ネーミングライツ)売却により、呼称に企業名を冠していたが、契約解除により、2008年1月9日からは再び西武ドームを正式呼称としている(命名権に関する詳細は後述)。
目次 |
元々は「西武園球場」という小規模な球場で、アマチュア野球を中心に使用され、プロ野球の二軍戦であるイースタン・リーグの試合もごく少数行なわれていた。その後、プロ野球開催可能な貸し球場として1978年6月、改築工事に着手。その最中、国土計画がクラウンライターライオンズを買収、西武ライオンズと改称し、新球場を同球団の本拠地として使用することを決定。屋外球場西武ライオンズ球場として1979年に開業した。平地にスタンド部分を建てるのではなく、丘陵地を掘り起こして造成し建設に至った。観客は全て外野中央口からの入場となり、バックネット裏へは球場内のスタンド後部通路を通り、場内を半周して席に着くことになる。こけら落としとなる初めての公式戦では前内閣総理大臣だった福田赳夫が始球式を務めた。
なお、西武園球場時代と現在ではフィールドの向きが反対であった。以下は空撮写真による比較。
1999年に日本で5つ目のドーム球場として生まれ変わった。既存施設に後からドームの屋根を架設するという異例の建設方式によって作られた。1998年に観客席部分に屋根がついた第1次工事完了時に西武ドームと改称。ただしこの年はグラウンド部分がまだ屋根で覆われていなかったため、“ドーム”と名乗っていながら雨天で試合中止となったケースが何度かあった。同年シーズン終了後、グラウンド部分の屋根取り付け工事が行われ、翌1999年からは完全なドームの形状となった。なお、この工事に伴いグラウンドも両翼95 m、中堅120 mから「国際規格」と呼ばれる両翼100m、中堅122mに拡張された。ファウルポール際のスタンドにその名残がある。
これにより“雨天”による試合中止はなくなったが、台風等があった場合に選手・観客の安全面を考慮して試合を中止することはある。実際に2004年10月20日に予定されていた日本シリーズ・西武対中日の第4戦が台風の影響で中止、1日順延となっている。ドーム球場での日本シリーズ試合中止はこの時が初めてだった。
屋根付き球場だが、他のドーム球場と違い屋根とスタンドの間に外観が見える吹き抜け形式で、自然の空気も取り込めることから、空調設備はない。現存するドーム球場の中で最も低コストで造られ、最も環境に配慮された球場としてよく評価される。屋根は柱で支えられているが壁面が無いため、日本で唯一の場外ホームランの出るドーム球場の異名をもつ。実際、アレックス・カブレラはしばしば場外弾を打っている。
内陸の狭山丘陵に位置する立地条件と、空調が無く全て自然通気に依存しているというドーム内の条件もあって気候に左右されやすく、また強制的に換気を行う設備も設けられていないことから、春先や秋口のナイトゲームは寒く、夏場は蒸し暑く、さらに降水時には湿気がこもり、時にはフィールド内に霧が立ち込めることもある。ドーム化によって降水はしのげるようになったものの、気候に左右されるという点では屋外球場時代から変わっておらず、またその反面、通気条件が低下したこともあってその傾向はより顕著となり、春先や秋口、降雨時などには防寒対策が、夏場には熱中症対策が必要になる。こうした事から場内で販売される飲食物の売り上げ傾向にも特徴があり、寒い時期には球場では定番のビールをはじめジュース、アイスクリームなど冷たい物の売り上げが落ち、逆に甘酒、おしるこ、ホットコーヒーなどの暖かい物が良く売れる。一方、蒸し暑い夏季(7月~8月)には球場内が蒸し風呂状態になるため、冷たい物が良く売れる。現在も、屋外時代の解放的なムードを懐かしむ旧来の西武ファン・野球ファンの間ではドーム化に批判的な意見が多い。
他の球場と同じく打球が天井に直撃した場合、インプレイのままフライとして扱われるが、アレックス・カブレラがホームラン性の天井直撃の当たりを連発したため、外野の天井に当たった場合はホームランとする新たなルールが作られた。その後カブレラは新ルール適用となる本塁打を放ち、レフトの天井に記念プレートが設置されている。
外野席は殆どが人工芝席。一部長椅子によるベンチ席も存在するが数は多くない上、野球応援時は私設応援団がそこで応援を行うために座れる席はより少なくなる。ドーム化前は天然芝(芝生席)だったが、ドーム化以降は人工芝に変わっている。ドーム化前の天然芝による芝生席は基本的に芝生保護の関係上、公式戦開催期間中の週末・祝日・並びに夏休みのシーズンと優勝決定がかかった試合、日本シリーズのみに限定して開放していた。ドーム化の基礎として、観客席をドーナッツ状に覆う鉄傘部分が完成した1998年も外野席は天然芝だったが、鉄傘により日陰となった観客席の日照量が著しく落ちたため芝生が枯れ果ててしまった。内野席は自由席も含めほぼ全ての席にカップホルダーがついている。バックネット裏はスペシャルシートとされており、座席が革張りである、勝利時はビクトリーロードを通る選手と直接触れ合えるなど他の観客席とは一線を画している。この席は1席ではなく2席単位で販売されている。
08年度までは他の多くの球場とおなじく一塁側がホームチーム用であったが、2009年シーズンより球団事務所、練習場、宿舎等の諸施設に近い三塁側をホームチームが使用することになった[1]。
埼玉西武ライオンズが勝利すると選手たちは、バックネット裏の「ビクトリーロード」と呼ばれる階段を通ってロッカーに引き上げる。ファンにとっては選手とふれあうチャンスの場である。しかし、ビジターチームおよび敗戦時のライオンズはベンチ裏にある長い階段を通らなければならない。
当球場には、クレジットカードによる支払い対応ができるビールの売り子が少数ながらいる。ハンディタイプのCATクレジットカード処理端末を持ち歩いており、帽子にはクレディセゾン、ビザ、マスターカードの3つのロゴが入っている。
球場開き以後、1997年までスコアボードの広告以外、フェンス・スタンドの広告は一切排除されてきた。1998年にスタンド(観客席)の屋根部分に初めて広告看板が設置され、1999年の完全ドーム化でレフト・ライトのポール際のフェンスにそれぞれ4枚ずつの広告が貼り付けられるようになった。なお、通常のドーム球場の外野席に設置される巨大な広告看板は、既存球場に屋根を敷設した工法であることから設置できないため、内外野席とも一般的な横長サイズの看板を設置している。なお、左翼側スタンド上の天井に設置されている文化放送(JOQR)の看板に打球を直撃させた選手には、同社から1000万円の賞金が出るが、未だ達成した選手はいない。
スコアボード棟は開場以来、デザインの変更が行われておらず、表示部分などを改修しながら使用している。1978年の起工時、最初に完成したのがスコアボード棟であり、更地にスコアボードのみ完成していた状態で新生西武ライオンズの写真撮影が行われた。
2007年まで使用されたスコアボードは高輝度放電管方式の横スクロール形式で、左側に選手表示、真ん中に大型映像装置、右にスコア=10回まで表示可能〔11回以降は、1~10回データをクリアして1回から入力〕と審判団の表示がある)。中央カラービジョンは1987年から1994年まではソニー製「ジャンボトロン」が使用されていた。1995年に改修された際に東芝ライテック製のスーパーカラービジョンに取り替えられ、2007年シーズン終了まで使用された。
西武ライオンズ球場だった時代、南海ホークス(当時)・河埜敬幸選手の「埜」の文字データがなかったため、選手名に「河の」と表示されたことがあった。また2007年までは北海道日本ハム・MICHEAL投手の表記が「MICHEL」になっていた。
2007年オフから2008年春まで行われた改修工事ではスコアボードも全面改修され、同年3月より全面フルカラーLEDに。表示部には松下電器(現:パナソニック)製のアストロビジョンが採用された。寸法は縦6.5m、横幅49mという長大なもので、ハイビジョン映像に対応している。スコア表示にはコンピューターグラフィックスを使用しており、選手名は左端に横書き表記で、スコアは右端上部に表示される。球団が同年3月16日から1ヶ月間にわたって一般公募でこの大型ビジョンの愛称を募集した結果、2,514通のうち最多の254件の応募があったL Vision(エルビジョン)を採用、4月26日に命名された。同年の改修ではこの他、バックネット裏のサブスコアボード下に縦1.152m × 幅30.72mのリボン状の新型映像装置が設置された[2]。
バックスクリーンは横に分割されており、上部にスライドさせることができる。外野フェンスのセンター部分も左右に開くことができ、試合前に使う打撃練習用のネットはここから出し入れされている。時間によってはここからグラウンドを見渡すことができる。またコンサートなどのイベント時、機材の搬入口にもなる[3]。
屋外球場の時代から当球場の恒例行事とされたのが、細谷火工による花火の打ち上げである。これは西武ライオンズの選手がホームランを放つか、ホームラン時に打ち上げる花火が試合終了後も残っていた場合で試合に勝利した場合、西武第三球場のグラウンドから花火を打ち上げて祝福するというものだった。
ドーム球場となった1999年以後は一旦この花火打ち上げが中止された。2002年シーズンより西武が試合に勝利した場合、ドーム内のバックスクリーン前で紙テープとともに花火の打ち上げによる演出が行われている。以前はホームランの際も花火の打ち上げがあったが、現在のドームで試合中に花火を打ち上げるとドーム内に煙がこもり、試合進行の妨げになるため、後にゲームセット時のみになった。
1983年6月3日、阪急ブレーブス・福本豊による盗塁世界新記録がこの西武ライオンズ球場で達成された際、ライオンズ以外の球団の選手でありながら例外的に花火を打ち上げ、快挙を祝福した。また、オールスターゲームの際は、全パの選手のホームランおよび勝利を祝って花火を打ち上げ、という形が取られた。
なお、昭和天皇のご容体が急変した1988年9月下旬から同年のシーズン終了までは、全国的な祭祀を自粛する風潮の中、それに従う形で花火の打ち上げは一切中止された。
2007年度の年間観客動員数は12球団ワーストであり、既に他の球場でも新たな施設・仕組みが取り入れられていることもあって、西武ドームは2007年オフから大掛かりなリニューアルに入っている。
2008年3月までに、前述のスコアボードを全面フルカラーに改めたほか、人工芝を新型の「アストロステージMJ」に張り替えた。これは長さの違う二種類の芝を組み合わせ、より景観や機能を天然芝に近づけたものである。これにより、いかにも人工芝という一面鮮やかなグリーンだったフィールドが、一見天然芝のような、自然な雰囲気の色に落ち着いた。ただし、屋外の西武球場時代から長年ファンに親しまれたホームベース後方の英筆記体のLionsのロゴと、一塁線外側ファウルグラウンドのレオのマークは無くなってしまった。また、内外野のフェンスを従来の5倍の衝撃吸収性のあるラバーに張り替える工事が行われ、観客が使用するトイレもリニューアルしている。音響設備も新型の中型ラインアレイスピーカーに改められ、遠くまでクリアな音が聞こえるようになっている。総工費は13億円。
続いて、2008年11月中旬から第2期工事に着工した。エレベーターの増設など内野スタンド部分のバリアフリー化が図られる他、テラスシートやフィールドシートの設置や、内野席中段部分にレストラン、売店、トイレ等が増設される予定。この第2期工事は総工費17億円をかけて行われる予定である[4]。なお第1期工事の段階で既にファウルエリア部分が一部改修されており、ブルペンの位置をインフィールド側へ移動し、フィールドシートを設置するスペースが確保されている。このためファウルエリアは改修前よりも若干狭められている。この第2期工事に先行して、前述の各種設備等の増設に向けた準備工事が同年5月下旬から行われ、内野スタンドのうち一、三塁側上段部分の一部(内野指定B席約2,400席分)を閉鎖して盛り土部分を開削した。これに伴って同年5月31日のセ・パ交流戦・対中日ドラゴンズ戦から同年シーズン終了までの間、工事を実施している箇所のチケットは発券されなかった。
西武グループは2004年、経営改善策の一環として西武ドームの施設名称と二軍のチーム名称について命名権(ネーミングライツ)を売却することを決定。取得に名乗りを上げたのは、インターネット関連業のインボイス(以下「インボイス社」)。まず同年12月29日に二軍の命名権を3年契約で取得することに合意し、翌2005年シーズンから球団名を「インボイス」とすることを発表、1月25日にプロ野球実行委員会で承認された。インボイス社は同日、西武ドームの命名権についても2005年シーズンからの2年契約で合意。3月1日から名称を「インボイスSEIBUドーム」に改称した。
インボイス社は当初「ドーム名を“インボイスドーム”としたい」としていたが、西武側は「“西武”の文字を入れてほしい」としてこれを却下。また、ドームの最寄り駅である西武狭山線・山口線の西武球場前駅についても「“インボイスSEIBUドーム前駅”に改称してほしい」と申し入れたが、鉄道駅の名称変更には様々な事務手続きなどを行わねばならず経費も掛かるなど煩雑なため、これも受け入れられなかった。
改称を機に、ドーム内の各所や球場スタッフの制服などに「INVOICE」の社名ロゴが入れられた。またインボイス社は株主優待策のひとつに、西武ライオンズのパ・リーグ主催試合のチケット引換券を設けるなどした。また、プロ野球の公式記録や各種報道機関に於いては「インボイスドーム」や「インボイス西武」などと略する形で称されていた。
インボイス社は当初、これらの命名権について10年以上の長期契約を望んでおり、2007年以降も命名権を取得したいとして、契約が切れる2006年シーズン中からその旨を西武側に申し入れていたが、西武側は「契約満了で、2007年以降は更新しない」とインボイス社側に通告。結局2006年9月8日、インボイス社は契約更新を断念。二軍の契約も1年を残し解除する事を決定し、これら「インボイス」を冠する名称は同年いっぱいで使用を終了することになった。
西武はインボイス社に代わる命名権の新たな契約先について検討を進めてきたが、2006年12月2日、人材派遣会社のグッドウィル・グループと2007年1月1日からの5年総額25億円(金額は推定)契約に合意。年末までに隣接する西武鉄道の西武球場前駅の誘導看板やドーム看板など変更の準備を進めて、同日から「インボイスSEIBUドーム」を「グッドウィルドーム」に、二軍を「インボイス」から「グッドウィル」に改称した。[5]
これに伴い、西武ライオンズ球場開場以来、初めて球場名から「西武」の名前が消えた。日本放送協会(NHK)では「グッドウィル西武ドーム」と一時呼称されたことがある。
ところが、2007年12月、グッドウィルが違法な派遣業務を行っていたことが発覚、厚生労働省から事業停止命令を受けた。このため、同社は西武球団に命名権の契約解除を申し入れ、同球場を所有する西武鉄道とライオンズ球団側もそれを受け入れ、わずか1年で球場と二軍の名称から「グッドウィル」が消えることとなり、2008年1月9日付で球場名が「西武ドーム」に戻り、二軍チーム名も一軍と同じ「埼玉西武ライオンズ」に改められた。
グッドウィル・グループとの契約解除を受け、西武側では命名権の新規契約については2008年シーズンの導入を見送る方針を決定。翌2009年以降については「慎重に検討する」と発表した。
なお、2008年11月23日に所沢市中心部で行われた「優勝パレード」と西武ドーム周辺で行われた「ファン感謝の集い」に出席した埼玉西武・後藤高志オーナーは、2009年の命名権導入再開について「契約先のイメージが球団にかかわってくるリスクが生じる」として、慎重な姿勢を改めて示している。
西武ドームではアマチュア野球の公式戦も行われている。
社会人野球では、毎年3月中旬に行われるJABA東京スポニチ大会の開催球場のひとつとなる。また全日本クラブ野球選手権大会の本大会が、1979年から1995年までは西武球場・西武第三球場で毎年、以降は隔年で行われている。都市対抗野球の予選が行われることもある。草野球では、ストロングリーグにより、2004年から全国軟式野球統一王座決定戦・ジャパンカップの全国大会に使用されている。
高校野球では、1981年から1991年までは全国高等学校野球選手権大会の埼玉大会の開催球場の一つとして使用された。これは、埼玉大会の参加校が急増していたことが背景にあり、埼玉県内の高校野球でメイン球場として使用する大宮市(現:さいたま市大宮区)の埼玉県営大宮球場では、当時フィールドが狭隘の上に老朽化していたため開会式を行うのが困難になったのがその理由である。初年度の1981年、西武球場では開会式とその直後の試合のみが行われ、翌1982年からは準々決勝(1984年からは準決勝)以降の試合も西武球場で行われた。 県営大宮球場が1992年に改修されてからは、西武球場・西武ドームが高校野球公式戦で使用されたケースはない。
1986年から2005年まで、毎年夏に行われていた渡辺美里のスタジアムライブが良く知られる。ライブ開催当日には西武鉄道による特別電車も運行されたほどである。
なお、東京近郊という立地条件の関係で、アーティストの「ドームツアー」の中には含まれない事が多い。 通常、4大ドームツアーというと東京、名古屋、大阪、福岡、5大ドームツアーはそれに札幌を加えたものになる。
日本テレビ系『全国高等学校クイズ選手権』の関東大会では、1984年の第2回大会から、西武ライオンズ球場で開催されてきた。ドームとなった現在でも、一部の大会は除き関東大会の会場として使用されている。
1996年にフジテレビ系列で放送した毎年恒例の真夏の祭典・FNSの日で、『FNSの日・10周年記念 1億2500万人の超夢リンピック』のゴルフ予選会として開催した「ゴルフ・池ポチャアプローチ選手権」の会場として使用された。
| 前本拠地: 平和台野球場 1950 - 1978 |
埼玉西武ライオンズの本拠地 1979 - 現在 |
次本拠地: - |
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