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豊臣 とは?

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豊臣(とよとみうじ/とよとみし、豐臣氏)は、「豊臣」の姓を下賜された氏族

出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』


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ウィキペディア(Wikipedia)記事


「太閤桐」
豊臣秀吉定紋)
「五七桐」
(羽柴家)
「木下日足」
(木下家)

豊臣(とよとみうじ/とよとみし、豐臣氏)は、「豊臣」の姓を下賜された氏族

豊臣姓とは、天正時代関白となって政権を掌握した羽柴秀吉に与えられた本姓である。

目次

姓としての豊臣

豊臣氏の性格

1585年(天正13年7月11日)、関白に任じられた羽柴秀吉は近衛前久の猶子となり藤原氏を名乗っていたが(関白相論)、前例のない他姓出身者の関白就任には多くの反発が予想された。そこで秀吉が多くの学識者から意見を聴取した結果、朝廷より源平藤橘源氏平氏藤原氏橘氏の総称)に匹敵する新姓を賜ることが公明正大であるという結論を得た。その結果、佳姓を撰んで豊臣の新姓使用を朝廷に奏聞し、1586年(天正14年9月9日)に勅許を得た[1]

これ以降、秀吉をはじめとする羽柴家の人物は自らの名乗りに専ら「豊臣」を使うようになり、いかなる名字も使用した形跡は無い。[2]秀吉達の潜在的な名字が「羽柴」であったという見方は存在する[3]が、当時の紀伊国造家や津守氏のように本姓はあっても名字の存在しない家や、源義高流源氏のように姓と名字が同一の例も存在するなど名字と本姓が必ず別であるという規則は無いこともあり、豊臣宗家の名字を断定することは出来ない。

豊臣氏」は本姓であって、「織田」(本姓は平朝臣)や「徳川」(本姓は源朝臣)などといった名字とは性質が異なる。本姓による名乗りでは、姓との間に氏への所属を意味する「の」を入れるのが原則的な読み方であり、[4]この原則に従うと「豊臣秀吉」は「とよとみ・の・ひでよし」と読むことになるが、この原則が当てはまらない事例も相当数ある。[5]本姓と名字の区別が廃されて久しい今日では、「豊臣」姓が「羽柴」と同様の名字であると誤解されやすくなっている。そのためか、豊臣氏の人物の名前は「とよとみ・○○○○」と言った具合に「の」抜きで呼ばれることが一般的になっており、「とよとみ・の・○○○○」という本来的な読み方で呼ばれることは極めて少なくなっている。[6]

豊臣』の由来ははっきりしておらず、「聖徳太子の名前「豊聡耳(とよとみみ)」から取られたという説などがあるものの、現在のところ定まった見解は無い。[7]

擬制的な一族としての豊臣

凡下平民の出自でこれといった一門衆家臣団を持たない秀吉は、有力家臣である大名や武家に任官の際に豊臣姓や羽柴の名字を与え、「羽柴(官職)豊臣朝臣某」(例・羽柴大納言豊臣朝臣家康)もしくは名字は与えず「某(官職)豊臣」(例・片桐東市正豊臣且元)と名乗らせて自らの一族とみなし、自らは豊臣氏の氏長者となることで統治しようとした。この点で豊臣政権は、松平の名字や源氏姓を親族や外様の有力大名に許した江戸幕府と同じである。

江戸時代の豊臣

のちに徳川家の覇権が確固たるものになっていく過程の中で、豊臣朝臣を与えられて羽柴氏を名乗ることを許されていた大名たちは、豊臣朝臣の本姓を捨てて「羽柴」を公称しないようになっていった。江戸時代を通じて豊臣朝臣を本姓とし続けた大名家は、秀吉の正室・高台院の実家である木下家だけである。明治維新後に本姓と名字が法的に一本化されて現在見られるのあり方に統合されていくまで、木下家は本姓を変えることがなかった。

日本史関係の書籍やテレビ番組などでは「大坂夏の陣豊臣氏は滅亡した」と説明されることが多いが、これは大坂城主の豊臣宗家のみを指して「豊臣家」と呼ぶことが一般的であるためであり、豊臣氏全体が滅亡したという誤解を生じさせかねない不正確な表現である。前述のように、実際には外戚の豊臣氏族(高台院側の血筋である木下家)が健在であったので、豊臣氏自体は江戸時代を通じて大名として存続している。また豊臣宗家の高台院自身も晩年に養子をとり、甥を「羽柴利次」と名乗らせ社稷を継承する者とした。高台院没後は幕府から「羽柴」を称することを禁じられたため、木下利次と改名して高台院の遺領を継承し旗本として存続した。

氏族としての豊臣氏の歴史

氏族としての豊臣氏は、羽柴秀吉の兄弟姉妹および彼らの子孫たちからなる一族であるといえる。

秀吉は乏しい親族を取り立て、弟秀長を大和国郡山100万石、甥秀次を近江国八幡43万石にとそれぞれ取り立てた。1589年には実子鶴松が生まれ、後継者と定めていたが、1590年に天下統一を果たした直後の1591年には秀長と鶴松が相次いで死亡する。

落胆した秀吉は甥秀次を後継者と定め、1591年に関白職を譲る。しかし、秀吉は全権を譲らず、太閤(※本来、太閤とは子弟に関白を譲った人物を指す)と呼ばれつつ豊臣宗家直轄領と軍権を掌握しつづけたので、次第に二重政権の矛盾が表面化してきた。しかも1593年に秀吉に再び実子秀頼が生まれ、秀吉と秀次の対立は決定的に悪化してしまった。1595年、秀吉は秀次を高野山に追放し、切腹させる。これによって二重政権は解消され、豊臣政権は再び秀吉のもとに一元化されるが、政権の正統性の拠り所である関白職は豊臣宗家から失われた。また、秀長を継いだ秀保もこの頃死に、豊臣宗家を支える血族の藩屏は存在しなくなった。

1598年に秀吉が死ぬと、後事を託された有力大名の中から徳川家康が台頭し、1600年関ヶ原の戦い石田三成豊臣政権擁護派の諸大名を倒し、覇権を打ちたてる。1603年に家康は征夷大将軍に就任して江戸幕府を開き、1605年には将軍職を子の徳川秀忠に譲って徳川政権の正統性を確立していき、豊臣宗家は全国政権の座から完全に滑り落ちてしまった。

しかし、徳川政権の確立していく様を見ても、豊臣秀頼は一大名として徳川将軍に臣従することを認めなかった。これに後顧の憂いを感じた家康は、1614年大坂冬の陣を起こし、さらに翌年の大坂夏の陣大坂城を落とし、秀頼らを自害させる。秀頼の遺児・国松は、同じ慶長20年5月23日(グレゴリオ暦1615年6月19日)に京の三条河原にて処刑され、ここに秀吉の興した豊臣宗家は断絶した。

なお、国松は薩摩に逃れて島津家にかくまわれ、豊後国日出藩木下家の分家である交代寄合木下家の祖・木下延次になったという異説がある。その子孫は現在、先祖の豊臣姓を苗字に名乗っているという。しかし、幕府に認められた正式な豊臣氏の継承者は、高台院が晩年にむかえた養子の羽柴利次(実父は小早川秀秋の兄・木下利房)とされている[要出典]

氏族としての豊臣氏の人々

豊臣秀吉家

秀吉の親族

豊臣秀次家

豊臣秀長家

  • 豊臣秀長(竹阿弥の子で秀吉の異父弟)
    • 女(秀長の娘、豊臣秀保室)
    • 女(秀長の娘、毛利秀元室)
    • 豊臣秀保(秀長の養子、秀吉の姉日秀の子で三好吉房の三男)

豊臣秀勝家

  • 豊臣秀勝(秀吉の養子、姉日秀の子で三好吉房の次男)

高台院の親族

系図

実線は実子 点線は養子 家名の変化は左記の通り(木下家羽柴家豊臣家)
木下昌吉
(弥右衛門)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
大政所
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
竹阿弥
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
杉原定利
 
 
七曲
 
浅野長勝
 
浅野長詮女
(浅野長勝姉)
 
安井重継
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
三好吉房
(一路)
 
日秀
 
秀吉
 
 
 
 
 
高台院
 
家定
 
やや
 
浅野長政
 
秀長
 
朝日姫
 
徳川家康