赤坂5丁目ミニマラソン とは?ページ内リンク ↓ウィキペディア(Wikipedia)記事 ↓Yahoo!知恵袋ウィキペディア(Wikipedia)記事赤坂5丁目ミニマラソン(あかさかごちょうめ - )は、TBS系のテレビ番組「オールスター感謝祭」において行われるコーナー。
概要視聴者の間では「もうこの企画をしない限り『オールスター感謝祭』をやったとは言わせない」とも言われる名物企画。1993年春にスタート。最初はピリオドのボーナスクイズの1つにすぎなかった。そこで走ったのは、芸能プロダクション対抗マネージャー4人の戦いだった。そこで司会の島田紳助が台本には無かった「タレントさんで走りたい方いますか?」の言葉から今の名物コーナーになった。 通常他の企画ではアンケートを行った後、希望者から出場者を選考するが、この企画はアンケートで「走りたい」と押した人全員が参加する企画である。難関はTBS放送センター正面玄関横からAスタジオに入れる大道具搬入口へ続く、傾斜のきつい二段坂となっている「心臓破りの坂」で別名はTBS・赤坂ハートブレイクヒルと呼ばれている。 2005年春からは、地元の商店街やTBSなどが主催する「赤坂春まつり・赤坂秋まつり」のイベントの一つとして位置づけられ、当日は一ツ木通り自体が終日歩行者天国になることから大がかりな交通規制が可能となり、2005年秋からは放送当日の日中には一般からの参加者を募り、ほぼ同じコース(TBS社屋内を除くエリア)を使って市民マラソン大会(赤坂チャレンジマラソン)が開催されるなど、赤坂五丁目ミニマラソンは地域ぐるみの一大イベントとなっている。その一方で、近年は上位入賞者が固定されている(谷川真理、東国原英夫、森脇健児、水内猛、猫ひろし、初参戦のためハンデを受けなかった俊足ランナー)。彼らはこのマラソンのために特訓を積むため、他の一般ランナーが走ってもまったく歯がたたないこともあり、マンネリ化も指摘されている[要出典]。 これまでの経緯最初の頃はピリオドが始まる前にマラソンがスタートし、ランナーが帰ってくるまでにスタジオではチャンピオンを決定しておくということで、ランナーが走っている姿はスタート・ゴールぐらいしか無かった。旧社屋時代は当時の収録スタジオであるGスタジオまでのコースの途中に螺旋階段もあった。回を重ねることにカメラの台数・スタッフの数が増加していった。また、マラソン中継は熟練性が必要なことからJNN各局から技術スタッフを招集し、国際マラソン大会並の体制で放送されている。 1993年秋までは芸能人ではなく芸能人のマネージャーが走っており、太ったマネージャーには「エレベーター使用可」などの特別ルールが与えられていた(1993年秋は2周目のみ芸能人が走った)。また、以前はキーパットアンケートで走りたい人の中から4人選ぶ形をとっていたが、1997年春の大会から「走りたい」を押した人は原則全員参加することになった(原則というのは、例えば年齢的に走るのが難しい人などが間違えて押しても、除外される)。また、2007年秋の大会では「オールスター200人知名度調査」で名前を答えてもらえなかった芸能人がミニマラソンに強制的に参加となり、2008年春では「スターではない」ということで番組スタッフとして沿道の給水所および警備(これは逆に混乱するので中止)要員として強制参加となった。 開始から1997年春までは2周勝負だったが、1997年秋からは3周で行われる。また、当初はスタジオ内からの発走であったが、1998年からの参加希望者全員出走に伴い、現在のスタート地点にあるゲートからの発走となった。開始当初から原則としてTBS敷地外の公道上は歩道を走る事が原則となっていたが、2004年春から警視庁赤坂警察署の協力により公道が交通規制され車道を走ることが可能になった。2005年秋からはTBS赤坂5丁目再開発計画(赤坂サカスプロジェクト)の工事に伴い、コース上に通行止め箇所が多く出てきたことから、TBS放送センター移転、「ジミー大西狙撃事件」以来3回目となる大がかりなコース変更が行われた。 2008年3月20日に赤坂サカスがグランドオープンし、同敷地内の工事に伴う交通規制がすべて解除されたため、2008年春からは一ツ木通り以外はすべて赤坂サカス内を通る4回目のコース変更が行われた。また、同地域が新しい観光名所となった事からレース中は警察およびTBSの警備員・スタッフ、計数百名によりコース全域に厳重な警備態勢がしかれる様になった。 レースの仕組みレースはハンデ戦となっており、一般女子、一般男子、過去の成績優秀者、過去の優勝者とアスリート、そのまんま東、谷川真理、森脇健児などの芸能人マラソンランナー、『プロ』のランナー(現役・世界クラスのマラソンランナー)の順に時間を空けながらスタートしていく(当初は上岡龍太郎がハンデを決める役割を担っていたが、現在は「ハンディキャップ委員会」と称すスタッフの打ち合わせおよび、コンピュータがはじき出したデータによって決められている)。 過去の『プロ』には1997年秋から出演していた、バルセロナ五輪女子金・アトランタ五輪銀メダリストのワレンティナ・エゴロワ、2000年秋からシドニー五輪女子マラソン銀メダリストのリディア・シモン(トレーナーである夫のリビュー・シモンまで何故か参加し、「旦那シモン」として人気を博す)、2002年秋にはルミニツァ・タルポシュ(ルーマニア出身、シモンのチームメート)、2004年秋にはメセレト・デファル(2004年アテネ五輪 女子5000m金メダリスト)、2005年春・秋にはバンデルレイ・デ・リマ(2004年アテネ五輪 男子マラソン銅メダリスト)、2006年春~2007年秋にはエリック・ワイナイナ(1996年アトランタ五輪 男子マラソン・銅、2000年シドニー五輪 男子マラソン・銀)などが参加。 しかし、プロのランナーは一般女子がスタートしてから最低でも2分30秒以上経たないとスタートできないということもあり、ノーマークの芸能人が優勝する波乱も少なくない。1994年秋では最低人気の野々村真が優勝し、ボーナスクイズの順位予想では的中ゼロ、さらに1999年秋の大会では「3年B組金八先生」枠で参加した鈴木正幸が優勝、また2007年秋にはアントニオ小猪木が優勝し、正解者ゼロ、100万円山分けクイズの賞金はなしになるという大波乱となった。また2005年秋の大会でバンデルレイ・デ・リマが優勝した時、正解者は過去最多人数116人、配当は1万円を切ってしまい、8,620円となった。また2006年春の大会でエリック・ワイナイナが優勝した時、タイムは20分05秒、距離は4.1kmだった。 2003年春までは画面右下のタイムは1/10秒単位で計測されていたが、2003年秋より通常のマラソンと同じく1秒単位の計測となった。また、この時から地点毎の通過順位とタイム差が画面に表示されるようになった(コンピュータでの計測が開始されたことによる)。 賞金と正解ポイント現在は100万円山分けクイズで優勝選手を当てる形式であるが、出場選手が4人の頃はボーナスクイズの一つで出場選手4人の順位を順序良く当てるものだった(駅伝も同じ形式)。希望者全員参加制になった最初の回はキーパットが4択固定であったので、優勝選手の名前をフリップに書いて回収したり(1問目)、「一般男子」「一般女子」などのグループに分けて4択にしたり(2問目)もしていた。
優勝者
他の番組での類似企画台場2丁目マラソン - 文字通り、フジテレビがオールスター感謝祭を模して、「ジャンクSPORTS」のスペシャルで、2005年に一度だけ行われた企画である。同局の女子アナが走った。司会者の浜田雅功(ダウンタウン)は「パクリかい!」とつっこんでいた。放送はオールスター感謝祭放送の4日前だった。 関連項目外部リンクこの記事は、ウィキペディアの記事を複製、改変、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。ことなびに掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。 Yahoo!知恵袋
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