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赤塚不二夫 とは?

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赤塚 不二夫(あかつか ふじお、本名:赤塚 藤雄、1935年9月14日 - 2008年8月2日)は、日本漫画家血液型A型

出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』


赤塚不二夫はてなダイアリーを別ウィンドウで表示  :  漫画家。俳優。 1935年9月14日、旧満州熱河省承徳の生まれ。帰国後に奈良、新潟で育つ。本名:赤塚藤雄。 1962年、「おそ松くん」大ヒット。1997年、食道がん発覚。1998年、紫綬褒章受賞。 トキワ荘、入居経験あり。アルコール中毒。 一時期、筆名を山田一郎に変えていたことがある。 漫画の中に編集者を出した最初の漫画家だと言われる。 また、俳優としても数多くのドラマや映画に出演している。 タモリを芸能界に送り出した人でもある。 2008年8月2日、肺炎のため死去。72歳。 リスト::漫画家 代表作 ...

出典: 『はてなダイアリー』


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おすすめ度5.0(全レビューの平均)最近の新バカボンアニメは私は観ていません。だからどのバカボンアニメの出来が良いか?なんて知りません。笑昔、「元祖」が放映された時、初めの頃だけ少し観ましたが、正直、子供心に「面白くない」と思って止めてしまいました。それくらい「天才バカボン」が良かったのです。その後のバカボンシリーズも、時代に沿ったものなのでしょうが、一瞬は小倉さんパパのものも観ましたが…それも私には観れません。本来の赤塚さんの漫画の世界とはおそらく一番違っているだろうことはキチンと分かっています。…いますが、この初めに放映されたバカボンを知っている方の中で、どれだけその後のバカボンの方が良いと思われる人がいるだろうか?もともと収集のつかない原作の作風、テレビ版の初バカボンくらいの脚色がある方が良いときっと思うのです。笑もしも、現代の若い人でも、あるいはバカボンが嫌いだった方でも、今までにこの初めのバカボンを観たことのない方は是非観てみてほしいです。声優さんたちの演技も、この頃のほうが良い。原作らしく淡々と進む後続のバカボン版での声優さんの演技は、だんだん下手になって行ったように聞こえてしまう。おそらく脚色のせいでもあると思う。とにかく、この初テレビバカボン版は他のテレビ版とはまったく別ものだ。そして、私はこのアットホームなバカボンが一番だと思う。現代にもよみがえってくれないだろうか?今また、夕方に再放送をしても、現代っ子でも温かみを感じながら観るのではないだろうか?今だからこそ、また放映も望みたい。小さなお子さんのおられるお家では、「しんちゃん」や「ちびまるこちゃん」も良いですが、私はこちらが絶対一番お勧めしたいアニメです。  (ぞろ さんのレビュー)

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ウィキペディア(Wikipedia)記事


赤塚 不二夫
本名 赤塚 藤雄
生誕 1935年9月14日
満州国熱河省灤平県古北口古城裡22号[1]
死没 2008年8月2日(満72歳没)
日本の旗東京都文京区
国籍 日本
職業 漫画家
活動期間 1956年 - 2002年
ジャンル ギャグ漫画少女漫画
代表作 おそ松くん
ひみつのアッコちゃん
天才バカボン
受賞 第10回小学館漫画賞
(『おそ松くん』)
第18回文芸春秋漫画賞
(『天才バカボン』)
第26回日本漫画家協会賞文部大臣賞
紫綬褒章
  
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赤塚 不二夫(あかつか ふじお、本名:赤塚 藤雄、1935年9月14日 - 2008年8月2日)は、日本漫画家血液型A型

1956年に貸本漫画『嵐をこえて』でデビュー。その後石森章太郎を慕い、トキワ荘に入居。以後作品の発表の舞台を漫画雑誌に移し、1962年に『ひみつのアッコちゃん』、『おそ松くん』のヒットで一躍人気作家となる。1967年に『天才バカボン』がヒットし「ギャグまんがの王様」と謳われた。

目次

来歴

満洲 - 新潟時代

1935年(昭和10年)、満州国熱河省に生まれ、6人兄弟の長男として育つ。後に「バカボンのパパ」のモデルとなった[2]父親は、憲兵スパイとして僻地で宣撫工作を行う特務機関員をしていた[3]

赤塚が10歳の時、第二次世界大戦終戦。父親は終戦直前にソビエト軍によってソビエトへ連行され、裁判にかけられることとなった。残された家族は1946年(昭和21年)に奉天から母の故郷の奈良県大和郡山市引き揚げた。帰国までに妹(次女)の綾子はジフテリアにより死去し、弟は他家へ養子に出されたため、日本に帰還する頃には兄弟は半数となった。死んだ次女の名を継いだ生後6ヶ月の妹・綾子も、母の実家に辿りついた直後に栄養失調のため死去。その時、赤塚の母親には泣く気力もなく、赤塚は「胸がえぐられるようだった」という[4][5]。 赤塚は小学校に編入し、5年生となった。

満州にいた頃は父親から漫画を読むことを禁じられ、引き揚げ後は一家が生活苦の状態にあった赤塚は、同級生が『のらくろ』や『冒険ダン吉』の話をしていてもついていけなかったが、2学期の時、貸本屋で5円で漫画を借りて読んだところ、すぐに夢中となった。その頃に手塚治虫の『ロストワールド』に出会ったことで漫画家になることを決意、漫画の執筆に没頭することとなった[3]。12歳の時には『ダイヤモンド島』というSF長編漫画を描き、大阪の三春書房という出版社へ最初の持ち込みを行った[6]

1949年(昭和24年)、父親が帰国。父の故郷の新潟県新潟市に移り中学校を卒業後、金銭的な問題のために高校への進学は断念。少しでも絵に関係した仕事に就きたいという思いから、映画の看板を制作する市内の看板屋に就職した。仕事柄あらゆる映画を鑑賞することとなり、バスター・キートンチャーリー・チャップリン喜劇に感銘を受けた[3][7][6]。同時に『漫画少年』への投稿も始めた。

トキワ荘時代

18歳の時に上京。東京都江戸川区の化学工場に勤務しながら『漫画少年』へ投稿を続けた。その漫画が石森章太郎(後に石ノ森章太郎改名)の目に留まり、石森が主宰する「東日本漫画研究会」が制作する肉筆回覧誌「墨汁一滴」の同人となった。が、つげ義春に独立を勧められ貸本漫画家として一本立ちする事を決意。同人のよこたとくおと西荒川で共同生活をしながらプロ漫画家として活動する事となり1956年(昭和31年)、曙出版から描き下ろし単行本『嵐をこえて』でデビュー[6]

その後、不二夫も上京した石森を手伝う形で鈴木伸一藤子不二雄らのいた豊島区トキワ荘に移り、第二次新漫画党の結成に参加する。のちに赤塚の母も上京し、しばらくの間同居した[8]。 後にブレイン役として長く不二夫を支えた長谷邦夫ともこの頃知り合う。当時赤塚はトキワ荘一の美青年として認識されていた[9]

当時の不二夫は石森のアシスタントの傍ら、数ヶ月に一本程度の少女漫画を描いていた。横山光輝の出張アシスタントも経験。1958年、作家不足に陥った『少女クラブ』増刊号で1作家1作品の原則を守りながら既存の作家で補うために編集者が石ノ森との合作を企画。合作ペンネーム「いずみあすか[10]名義で作品を発表した。

合作の楽しさから続いて石ノ森と水野英子との合作ペンネーム「U・マイア[11]で『赤い火と黒かみ』『星はかなしく』『くらやみの天使』を合作し発表。同年、石森の推薦[8]で『まんが王』(秋田書店)11月号の穴埋めのために描いたギャグ漫画「ナマちゃん」がヒットしてそのまま連載扱いになる。1961年、最初の妻・登茂子との結婚のためにトキワ荘を退去[12]

フジオプロ設立

1962年(昭和37年)、『週刊少年サンデー』で「おそ松くん」、『りぼん』で「ひみつのアッコちゃん」の連載を開始し、一躍人気作家となる。1964年(昭和39年)、『おそ松くん』で第10回(昭和39年度)小学館漫画賞受賞。1965年(昭和40年)、長谷、古谷三敏横山孝雄高井研一郎等と東京都新宿区十二社にフジオ・プロダクションを設立(#フジオ・プロダクション参照)。この年に長女のりえ子が誕生[13]。 また1963年に、トキワ荘時代の仲間が設立したアニメーション製作会社のスタジオ・ゼロに参加[14]1966年(昭和41年)には『おそ松くん』がスタジオ・ゼロ製作により毎日放送系でテレビアニメ化された。

1967年(昭和42年)、『週刊少年マガジン』(講談社)にて「天才バカボン」を発表。天才ギャグ作家として時代の寵児となる。1969年(昭和44年)に『ひみつのアッコちゃん』『もーれつア太郎』、1971年(昭和46年)に『天才バカボン』と、代表作が相次いでテレビアニメ化された。以後2008年現在までに『天才バカボン』は4度、『ひみつのアッコちゃん』は3度、『おそ松くん』『もーれつア太郎』が2度にわたりテレビアニメ化されている。

1972年(昭和47年)、『天才バカボン』で文芸春秋漫画賞を受賞。また同年、フジオ・プロに財政的な余裕が生まれたため「赤塚不二夫責任編集」と題した雑誌『まんがNo.1』を創刊。実質的な編集作業は長谷が行い、不二夫の荒唐無稽なイメージを伝える事に腐心した。しかし1号につき250万円程の赤字を出し、1973年(昭和48年)に6号で休刊[15]1974年(昭和49年)、実験的に山田一郎というペンネームに改名し、連載中の作品をすべて同名義で執筆したが、3ヶ月で元に戻した。

闘病生活・晩年

1987年(昭和62年)、多忙を極める中アルコール依存症に陥っていた不二夫のサポートをと、別れた最初の妻・登茂子が勧めたことにより、眞知子夫人と結婚。結婚記者会見には登茂子とりえ子も同席した[16]

以後入退院を繰り返すも依存症から回復せず、このため1994年(平成6年)、長年アイデアブレーンとして赤塚を支えてきた長谷がやむなくフジオプロを脱退した[17]1998年に食道がんが見つかってからも酒は手放さなかったという。

1997年(平成9年)、第26回日本漫画家協会賞文部大臣賞を受賞。1998年(平成10年)、紫綬褒章を受章。

2000年(平成12年)4月、硬膜下血腫で手術[13]。8月、点字の漫画絵本『赤塚不二夫のさわる絵本“よーいどん!”』を発表。ある日テレビで見た視覚障害をもつ子供たちに笑顔がなかったことにショックを受け、「この子たちを笑わせたい」という思いから制作したもので、点字本としては空前のベストセラーとなり、全国の盲学校に教材として寄贈された。なお、赤塚は同書を少しでも安い価格で提供するためにと、印税を辞退している[18][19]

2002年(平成14年)には点字絵本の第2弾『赤塚不二夫のさわる絵本“ニャロメをさがせ!”』を発表。

2002年4月、検査入院中に脳内出血を起こし倒れ、一切の創作活動を休止。この年に小学館からデビュー以降の作品を集めたDVD全集『赤塚不二夫漫画大全集 DVD-BOX』が発売された。2005年からはオンデマンド出版形式で全271巻が販売されている[20]2003年(平成15年)、妻の尽力により青梅市青梅赤塚不二夫会館を設立。

2006年(平成18年)7月、赤塚を看病してきた妻の眞知子がクモ膜下出血のため56歳で急逝[21]。 2年後の2008年(平成20年)8月2日午後4時55分、肺炎のため東京都内の順天堂医院で死去した。最後まで意識が戻ることはなかった。72歳没[22]。赤塚は2004年から意識不明のまま植物状態にあったという[23]。 2008年2月24日にはちばてつやが赤塚を見舞い、似顔絵をブログで公開していた[24]。 また赤塚の死去の3日前の7月30日に、最初の妻でありりえ子の母である登茂子が死去していた事が後に報じられた[25][26]

赤塚不二夫の訃報はスポーツ新聞各紙が一面で大きく取り上げた他、一般紙も一面で大きく掲載した。また、民放各局ばかりでなくNHKでもトップニュースで取り上げるなど、一連の報道は彼が一時代を築いた漫画家であったことを改めて世間大衆に印象付ける形となった。

また赤塚が才能を見出し、芸能界へデビューさせたタモリは「物心両面の援助は肉親以上のものでした」と赤塚の死を悼み、感謝の言葉も載せた[27]

赤塚の葬儀では、藤子不二雄A(安孫子素雄)[28]が葬儀委員長を務めることとなり、8月6日通夜、翌7日告別式が東京都中野区内ので営まれた。告別式には漫画・出版関係者や芸能関係者、ファンなど約1200人が参列し、藤子不二雄A、古谷三敏北見けんいちらが弔辞を読み上げた。タモリは本名の森田一義として弔辞を読み[29]、「私もあなたの数多くの作品の一つです」と結んだ[25][30]アイドル・フォーが歌う「天才バカボン」のアニメ第1作のテーマソングが葬送曲として流れる中で出棺、遺体は赤塚の自宅にほど近い新宿区落合斎場荼毘に付された。法名は「不二院釋漫雄(ふにいんしゃくまんゆう)」[31]

人物

愛猫家。1979年から飼った菊千代は、死んだフリやバンザイのできる芸達者なCMに出演、一躍人気者になった。『菊千代』の名前は、黒澤明監督の映画七人の侍』で三船敏郎演じた主人公の名前から採った。不二夫自身も『花の菊千代』(コロコロコミック連載)といった漫画を描いた。しかし1997年に菊千代は他界、不二夫自身のみならず周辺のファンをも悲しませた。

映画通でありハタ坊のコミカルな動きはバスター・キートンを範としていること、自分でパロディ映画を作ったことがあることなどを明かしている。自宅のライブラリーには(当時としては高価で珍しい)大画面モニターと、数千本の映画のビデオがあったという。また、少年時代の夢は喜劇王チャーリー・チャップリンの弟子になることだったという。

バカボンのパパが一番気に入っているキャラクターで、その理由は「どんなに酔っ払っていてもバカボンのパパの顔だけは、ちゃんと描けるから」とのこと。である。

芸能界での交流

1967年、テレビ番組『まんが海賊クイズ』で当時は漫画家としては異例のテレビ司会を、黒柳徹子と共に担当[32]。 これを機に、不二夫の交流は立川談志荒木経惟坂田明篠原勝之唐十郎など各界に広がった。後に受章する紫綬褒章は荒木経惟に贈っている。

1970年代半ばには山下洋輔等を介してタモリと出会う。タモリの芸を認めた不二夫は大分県日田市ボウリング場の支配人であったタモリを上京させ、自らは事務所に仮住まいしながらタモリを自宅に居候させ、のちの芸能界入りに大きな貢献をした。またタモリや高平哲郎滝大作らと「面白グループ」を結成した。高平からは由利徹を紹介され、その後由利の弟子だったたこ八郎が赤塚家の居候となった(赤塚は終生、由利徹を敬愛していた[33])。 この他にも青島幸男川内康範[34]美空ひばり[35]など、様々な人物と交友をもっていた。

1970 - 80年代の、テレビで放映される洋画などの音響効果担当者に同姓同名の“赤塚不二夫”がおり、下記のアルバム『ライヴ・イン・ハトヤ』でも音響効果を担当するなど、ふたりは親交があった。

全日本満足問題研究会

1976年から、「週刊読売」誌上で「全日本満足問題研究会」(不二夫、赤瀬川原平奥成達高信太郎、長谷)と名乗り、「バカなことを真面目にやる」連載を行った。1978年には、レコード『ライヴ・イン・ハトヤ』を発表。

ライヴ・イン・ハトヤ

伊東市のホテル、ハトヤのステージでライブコンサートをやったらどうなるかという設定で作られた。

  • 出演:赤塚不二夫/赤瀬川原平/長谷邦夫/奥成達/高信太郎/タモリ/山下洋輔/坂田明/小山彰太/林美雄/常木健男/伊東鳩子/ハトヤ混声合唱団/下落合テンタクルス/ハトヤ男子従業員一同/ビクター女子従業員一同/ハトヤ・ダンシングチーム/ハトヤ・オールスターズ
  • 指揮:佐香裕之
  • スタッフ:構成・演出:高平哲郎/音楽:小林亜星、佐香裕之/舞台監督:新井龍夫、星野ジロウ/美術:赤塚不二夫/音響効果:赤塚不二夫/セットデザイン:茂木のぶお/写真:国玉照男/録音:寺尾寿章、佐藤晋/振付:滝大作/制作:全日本満足問題研究会/協力:伊東ハトヤ、面白グループ、協和広告(株)

面白グループ

タモリや高平、滝らと結成したグループ。

  • 1977年3月、タモリの初LPの完成記念キャンペーンとして、タモリと東京ヴォードビル・ショーの共演によるショー「タモリ・ヴォードビル・ウィーク」を企画・制作。
  • 1978年11月、渋谷公会堂で『輝け!第一回いたいけ祭り』というタモリや赤塚の“宴会芸”を見せるイベントを行うが赤字。奥成達編集で書籍『空とぶ宴会芸』が刊行され、赤字を埋めた。
  • 1979年3月、日活ロマンポルノにて監督:山本晋也、脚本:面白グループ、主演:柄本明、主題歌:所ジョージ、音楽:アルフィーで”赤塚不二夫のギャグ・ポルノ”として『気分を出してもう一度』を製作・公開。また同年6月、東映系で『ケンタッキー・フライド・ムービー』の日本版『下落合焼とりムービー』を監督:山本晋也、脚本・出演:面白グループで製作・公開。
  • 1981年、面白グループ名義で、当時ヒットしていた女子大生2人が執筆した書籍『ANO・ANO(アノアノ)』のパロディ本『SONO・SONO(ソノソノ)』を刊行しベストセラーに。1986年には『ソノソノ』をミュージカル・ショーにして、銀座博品館劇場で『Oh! SONO・SONO(オー・ソノソノ)』を上演した。

フジオ・プロダクション

1965年に長谷、古谷、横山孝、高井等と設立。長谷と古谷が主にブレーンを務め、不二夫がネーム(コマ割りとセリフ)とアタリ(ラフな下描き)を作成し、高井と古谷(のちにあだち勉など)が下絵を完成させて製作を進行。全てのスタッフがアイデア出しや作画に協力するという分業での制作を行っていた[36]。 現在は故・眞知子夫人に替わって長女のりえ子(ロンドン在住の現代美術アーティストであった)が、フジオ・プロダクションの社長を務めている。

元アシスタント

フジオプロの場合、特に古株は赤塚と年齢も近いため師弟関係はなく実質的共同製作者である。

作品リスト

連載作品

  • くらやみの天使 (1958年-1959年、少女クラブ)U・マイア(石森章太郎水野英子との合作)名義
  • ナマちゃん (1958年-1963年、漫画王
  • まつげちゃん (1958年-1961年、ひとみ)
  • まりっぺ先生 (1959年、りぼん)
  • おハナちゃん (1960年-1961年、少女クラブ)
  • ハッピィちゃん (1960年-1961年、りぼん)
  • トンネルチーム (1960年-1961年、たのしい四年生)
  • おカズちゃん (1960年-1961年、たのしい五年生)
  • がんばれマミちゃん (1960年、なかよし
  • ホームラン教室 (1960年-1961年、冒険王)原作:高垣葵、初回は石森章太郎との合作
  • あらマアちゃん (1960年-1961年、なかよし)
  • ボクはなんでもしっている (1961年-1962年、たのしい五年生)
  • カン太郎 (1961年、冒険王)
  • ママなにしてるの (1961年、たのしい三年生)
  • キツツキ貫太 (1961年、週刊少年マガジン
  • まつげちゃん (1961年、りぼん)
  • おそ松くん (1962年-1967年、週刊少年サンデー
  • オーちゃんと11人のなかま (1962年-1963年、たのしい五年生)
  • ジンクスくん (1962年-1963年、中一コース)
  • ひみつのアッコちゃん (1962年-1965年、りぼん)
  • 青い目の由紀 (1962年、少女クラブ)
  • すすめ! ケン太郎 (1962年、漫画王)
  • カン太郎 (1962年、冒険王)
  • おた助くん (1963年-1965年、小学四年生)
  • アイ・アム・ア・トランジスターボーイ (1963年-1964年、中一コース)
  • サーカス☆ジン太 (1963年-1964年、冒険王)
  • まかせて長太 (1963年-1965年、少年
  • カン太郎 (1964年-1965年、少年ブック
  • メチャクチャ No.1 (1964年-1968年、冒険王)
  • そんごくん (1964年-1965年、小学四年生)
  • ケンちゃん (1964年-1965年、朝日新聞日曜版)
  • しびれのスカタン (1965年-1968年、少年画報
  • そんごくん (1965年、小学五年生)
  • $ちゃんとチビ太 (1965年-1966年、少年ブック)
  • なんでもやろうアカツカくん (1965年、少年ブック)
  • おた助・チカちゃん (1965年-1966年、小学四年生)
  • ジャジャ子ちゃん (1965年-1967年、少女フレンド
  • 過激派七年生 (1965年、別冊漫画サンデー)
  • ユー・ラブ・ミー君 (1965年-1966年、平凡
  • いじわる教授 (1965年、ボーイズライフ
  • キビママちゃん (1965年-1966年、りぼん)
  • スリラー教授 (1966年、ボーイズライフ)
  • 怪盗1/2面相 (1966年、少年ブック)
  • 中一コースケ (1966年、中一コース)
  • いじわる一家 (1966年、少女フレンド)
  • 赤塚不二夫のガンバリまショー (1967年、少年ブック)
  • ミータンとおはよう (1967年、りぼん)
  • スリラー一家 (1967年、少女フレンド)
  • 天才バカボン (1967年-1969年、週刊少年マガジン)
  • 天才バカボン (1967年-1969年、別冊少年マガジン
  • スリラー教授 (1967年、ボーイズライフ)
  • ハレハレ学園 (1967年、中一コース)
  • たまねぎたまちゃん (1967年-1969年、小学一年生)
  • へんな子ちゃん (1967年-1968年、りぼん)
  • テッちゃんただいまケンカ中 (1967年、少女フレンド)
  • おそ松くん (1967年-1969年、週刊少年サンデー)※月一連載
  • もーれつア太郎 (1967年-1970年、週刊少年サンデー)
  • ヒッピーちゃん (1967年-1968年、少女フレンド)
  • 荒野のデクの棒 (1968年、週刊少年キング
  • なんでもヤリます (1968年、週刊漫画サンデー高井研一郎との合作
  • 花のデコっ八 (1968年、週刊少年サンデー増刊)
  • われら8(パー)プロ (1968年、週刊少年キング
  • パア助くん (1968年-1969年、小学二年生)
  • 二代目社長 一郎くん (1968年-1969年、小学四年生)
  • ひみつのアッコちゃん (1968年-1969年、りぼん)
  • まんが大学院 (1969年、少年ブック)
  • にわとり一家 (1969年、週刊少年キング)
  • SOSエンチャカ丸 (1969年、小学四年生)
  • やってきた(おいら)ズル長 (1969年、少年ジャンプ
  • ハレンチ名作シリーズ (1969年、りぼんコミック)
  • 天才バカボン (1969年-1970年、週刊少年サンデー)
  • 天才バカボン (1969年-1970年、デラックス少年サンデー)
  • 天才バカボンのおやじ (1969年-1973年、週刊漫画サンデー)
  • 赤塚ギャグ笑待席 (1969年、少年ジャンプ)
  • おれはゲバ鉄 (1970年、週刊少年ジャンプ)
  • 風のカラッペ (1970年-1971年、週刊少年キング)
  • ギャグ+ギャグ (1970年、週刊少年サンデー)
  • ぶッかれ※ダン (1970年-1971年、週刊少年サンデー)
  • 死神デース (1970年-1971年、ぼくらマガジン
  • 狂犬トロッキー (1971年、週刊少年マガジン)シナリオ:滝沢解
  • ハタ坊 (1971年、赤旗日曜版)
  • くりくりくりちゃん (1971年-1972年、幼稚園)
  • おれはバカラス (1971年、週刊少年キング)
  • 天才バカボン (1971年、ぼくらマガジン)
  • 天才バカボン (1971年-1975年、週刊少年マガジン)
  • レッツラゴン (1971年-1974年、週刊少年サンデー)
  • ワルリーマン (1971年-1972年、東京タイムズ
  • にちようパパ (1971年-1972年、東京タイムズ日曜版)
  • ケムゴロー (1971年-1972年、小学四年生)
  • 名人 (1971年-1973年、リイドコミック
  • 天才バカボン (1971年-1975年、月刊テレビマガジン赤塚不二夫とフジオ・プロ名義
  • ワンペイ (1972年、赤旗日曜版)
  • おそ松くん (1972年-1973年、週刊少年キング)
  • クロッケくん (1972年-1973年、小学四年生)
  • はくち小五郎 (1972年-1974年、冒険王)
  • ギャグゲリラ (1972年-1982年、週刊文春
  • クソばばぁ (1972年-1973年、まんがNo.1)
  • ワンペイモウチャン (1972年-1973年、赤旗日曜版)
  • スケ番ケロ子 (1973年、週刊少年チャンピオン)
  • 天才バカボンのパパ (1973年、まんがNo.1)
  • 歌謡曲シリーズ (1973年、月刊明星
  • ニャロメ (1973年-1974年、リイドコミック)
  • ギャグギゲギョ (1974年、週刊少年キング)
  • おいらダメ高 (1974年、高二コース)
  • 少年フライデー (1974年-1975年、週刊少年サンデー)
  • 天才バカボン (1974年-1975年、別冊少年マガジン)
  • オッチャン (1974年-1975年、週刊少年キング)
  • ワルワルワールド (1974年-1975年、週刊少年チャンピオン)
  • おまわりさん (1974年、全電通文化)
  • つまんない子ちゃん (1975年-1976年、プリンセス
  • ニャンニャンニャンダ (1975年-1976年、冒険王)
  • B.C.アダム (1975年、週刊少年マガジン)
  • のらガキ (1975年-1976年、週刊少年サンデー)
  • オッチャン PARTII (1975年-1976年、週刊少年キング)
  • ラクガキ (1975年、読売新聞日曜版)※月一連載
  • 四畳半の西日 (1975年、新潟日報
  • 天才バカボン (1975年-1978年、月刊少年マガジン)
  • 天才バカボン (1975年-1976年、週刊少年マガジン)
  • 元祖天才バカボン (1975年-1977年、月刊テレビマガジン)
  • ひさし・不二夫の漫画全集 (1976年、週刊小説
  • わんぱく天使 (1976年-1977年、プリンセス)
  • 母ちゃんNo.1 (1976年-1977年、週刊少年サンデー)
  • コングおやじ (1976年-1977年、週刊少年キング)
  • タトルくん (1976年、マンガくん
  • 建師ケン作 (1977年、週刊少年マガジン)原作:牛次郎
  • 怪球マン (1977年-1978年、どっかんV
  • 不二夫のギャグありき (1977年、週刊少年サンデー)
  • ハウスジャックナナちゃん (1977年、週刊少年マガジン)原作:筒井康隆(「家族八景」)
  • あんたが名人 (1977年、月刊コミック野郎
  • おバカさん (1978年、週刊少年マガジン)原作:遠藤周作
  • アニマル大戦 (1978年、週刊少年キング)
  • ちびママ (1978年-1979年、どっかんV)
  • アニメまんが (1978年、アニメージュ
  • ニャロメの研究室 (1978年、コスモコミック
  • ギャグランド (1979年、リイドコミック)
  • モンスター13番地 (1979年、少年チャレンジ
  • おじさんはパースーマン (1979年-1981年、小学五年生)
  • ロメオとジュリー (1980年、少年チャレンジ)
  • チビドン (1980年-1981年、コロコロコミック
  • キャスター (1980年-1981年、ポップコーン
  • パパッチ先生 (1980年-1981年、少年少女新聞
  • なんじゃらママ (1980年、少年チャレンジ)
  • 乙女座★虎右衛門 (1981年、週刊ヤングジャンプ
  • 花の菊千代 (1981年-1982年、コロコロコミック)
  • 四谷H (1981年、少年ジェッツ
  • 赤塚不二夫のギャグ・フォトランド (1981年-1982年、ショートショートランド
  • 不二夫のワルワル・ワールド (1982年-1983年、別冊コロコロコミック)
  • 赤塚不二夫の文学散歩 (1983年-1985年、オール讀物
  • 松尾馬蕉 (1983年、平凡パンチ
  • 週刊スペシャル小僧! (1983年-1984年、週刊少年チャンピオン)
  • TOKIOとカケル (1985年、週刊少年チャンピオン)
  • トキワ荘グループ テーマ競作選 (1985年-1986年、コミックWOO
  • 「大先生」を読む。 (1986年-1989年、ビックコミックオリジナル
  • 天才バカボン (1987年-1989年、コミックボンボン
  • おそ松くん (1987年-1990年、コミックボンボン)
  • 天才バカボン (1988年-1989年、月刊少年マガジン)
  • ひみつのアッコちゃん (1988年-1989年、なかよし)
  • 天才バカボン (1989年-1991年、月刊ヒーローマガジン
  • 平成天才バカボン (1990年-1991年、コミックボンボン)
  • もーれつア太郎 (1990年-1991年、コミックボンボン)
  • 大日本プータロー一家 (1990年-1991年、コミックボンボン)
  • へんな子ちゃん (1990年-1994年、週刊女性
  • ギャグ屋 (1991年、週刊現代
  • MR・マサシ (1991年-1992年、コミックボンボン)
  • 平成天才バカボン (1991年-1992年、デラックスボンボン)
  • そんごくん (1992年、デラックスボンボン)
  • ネコの大家さん (1993年-1994年、デラックスボンボン)
  • 母ちゃんNo.1 (1994年-1995年、デラックスボンボン)
  • 下落合シネマ酔館 (1994年-1996年、ビッグゴールド赤塚不二夫やまさき十三名義。映画について語る対談連載
  • バカボン線友録 (1995年、スポーツニッポン
  • 赤塚不二夫のアニマルランド(1995年、まんがジャパンダ

主な読み切り

単行本

  • 嵐をこえて (1956年、曙出版
  • 湖上の閃光 (1956年、曙出版)
  • 心の花園 (1957年、曙出版)
  • 消えた少女 (1957年、曙出版)
  • 白い子犬(天使) (1957年、若木書房
  • その仮面をとれ (1957年、若木書房) - 石森章太郎との合作、石塚不二太郎名義
  • お母さんの歌 (1958年、若木書房)
  • シェー!!の自叙伝 (1966年、華書房
  • ニャロメの万博びっくり案内 (1970年、実業之日本社) - 全3巻
  • まんが入門 (1972年、小学館) - 監修
  • まんがプロ入門 (1972年、曙出版)
  • 「別冊まんがNo.1」赤塚不二夫大年鑑 (1973年、日本社
  • 人生破壊学 (1974年、広済堂
  • 赤塚不二夫1000ページ (1975年、話の特集
  • 全部切りぬく本 (1975年、主婦と生活社
  • まんがプロ入門 (1977年、曙出版)
  • 赤塚不二夫の天才バカ本 (1977年、徳間書店
  • 笑わずに生きるなんて (1978年、海竜社
  • マンガとギャグに強くなる本 (1978年、主婦と生活社)
  • まんが劇画ゼミ(1) (1979年、集英社) - 手塚治虫ちばてつやとの共著
  • ボクは落ちこぼれ (1979年、ポプラ社
  • レッツラゴン宣言 (1981年、山手書房
  • ニャロメのおもしろ数学教室 (1981年、パシフィカ
  • ニャロメのおもしろ宇宙論 (1982年、パシフィカ)
  • 吾輩は菊千代である (1982年、二見書房