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日本書紀には一つの地域として越(こし)、(越洲(こしのしま)[1]、高志(こし)、古志(こし)とも呼ばれた)が書かれる。ここでは越国と題しているが、国家の形態を成していたとは必ずしも言えない。
古くから交易や交流などはあったもののヤマト王権の勢力はまだ及ばない日本海側の地域であり、越前・敦賀の氣比神宮から船出し日本海を北上して、能登・羽咋の気多大社を経て、さらに越後・弥彦神社がある弥彦山を右手に見るまでを一つの地域として「越」と呼んだ[2]。(交流の実態は各神社の歴史および継体天皇の出自など参照のこと。)
西端は、若狭国と越前国(現在の福井県美浜町と敦賀市)を隔てる関峠と明確に規定されていた。一方、北端は645年大化の改新の頃まで船から弥彦山を見るまでと、漠然としたものだったと考えられる。蝦夷との境界として648年(大化4年)に渟足柵が設けられ「越」の北端となり、その後磐舟柵、初期の出羽柵までと次第に北端は伸びていった[2]。越前国守阿倍比羅夫が658年水軍180隻を率いて蝦夷を討ったと伝わるなど、一方の安定した西端と比較し、北端は蝦夷との戦いの辺境であった。
689年-692年(持統3-6年)大宝律令によって都があった近畿に近い地域から越前国、越中国、越後国の3国へと分割された。「越州」の呼称は、分割後も三国の総称またはそれぞれの国の別称として広く用いられた。
継体天皇以降のヤマト王権の勢力拡大や大化の改新などの政治的変遷を経て、 大宝律令により全土に渡り国の形を成していった。 この後は3国それぞれの歴史を歩むこととなる。 後にまず越前国から能登国が、次に加賀国が分立され、また越後国の出羽郡 が出羽国として分離建国された。
越は、古くは「高志」などと表記されたが、7世紀末の分割時かそれに近い時期に、「越」にほぼ統一された。『古事記』のほか、7世紀後半の木簡に「高志」の表記がある。日本神話には、八岐大蛇は高志国からやって来るとの記述がある。福井市内には「高志」の地区名と名称が残っている。
越国から分割された越前・越中・越後の3国は越州(えっしゅう)あるいは三越(さんえつ)と呼ばれることがある。
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