越路吹雪 とは?ページ内リンク ↓ウィキペディア(Wikipedia)記事 ↓Yahoo!知恵袋越路 吹雪(こしじ ふぶき、本名: 内藤 美保子(ないとう みほこ)、1924年(大正13年)2月18日 - 1980年(昭和55年)11月7日)は、東京市麹町区(現・東京都千代田区麹町)出身の、シャンソン歌手。舞台女優。(山梨県出身の説もある[要出典]) 出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』 関連商品
越路吹雪 /
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| こしじ ふぶき 越路 吹雪 |
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| 本名 | 内藤 美保子 | ||||
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| 別名 | コーちゃん、コッシー | ||||
| 生年月日 | 1924年2月18日 | ||||
| 没年月日 | 1980年11月7日(満56歳没) | ||||
| 出生地 | |||||
| 国籍 | 日本 | ||||
| 民族 | 日本人 | ||||
| 職業 | 歌手、女優 | ||||
| ジャンル | 舞台 | ||||
| 活動期間 | 1939年 - 1980年 | ||||
| 活動内容 | 1939年:宝塚歌劇団入団 1951年:同劇団退団。その後、シャンソン歌手、舞台女優として活躍 1959年: 内藤法美と結婚 1965年:日本レコード大賞歌唱賞受賞 1980年:胃癌のため死去 |
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| 配偶者 | 内藤法美 | ||||
| 家族 | 父・友孝(東京電燈のエンジニア) 母・益代 |
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| 主な作品 | |||||
| 舞台 『再び君が胸に』 曲 「ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョ」 「ろくでなし」 |
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越路 吹雪(こしじ ふぶき、本名: 内藤 美保子(ないとう みほこ)、1924年(大正13年)2月18日 - 1980年(昭和55年)11月7日)は、東京市麹町区(現・東京都千代田区麹町)出身の、シャンソン歌手。舞台女優。(山梨県出身の説もある[要出典])
旧姓の河野(こうの)より愛称コーちゃん、コッシー
所属レコード会社は日本コロムビア(現・コロムビアミュージックエンタテインメント)→東芝音楽工業(その後東芝EMIに改称、現・EMIミュージック・ジャパン)。
目次 |
日本のシャンソンの女王。戦中~戦後にかけて男役として宝塚歌劇団の舞台(主に花組で主演)に立った。
退団後、女優として主にミュージカルで活躍したほか、歌手としてシャンソンや映画音楽を多くカヴァーし、特にシャンソンにおいては岩谷時子とともに数多くの名曲を日本に紹介した。1958年(昭和33年)テアトロン賞、1965年(昭和40年)レコード大賞、1968年(昭和43年)芸術祭奨励賞など、多くの賞を受賞した。
宝塚OGの枠を超えて国民的人気を博したため、美空ひばりや吉永小百合と並んで女性アイドルの源流とみる向きもある(もっとも越路・ひばり・吉永らの時代は芸能人に対して「アイドル」という言葉は使われず、「スター」と呼ぶのが普通であった)。
テレビの出演はほとんどしないことでも有名であったが、1964年(昭和39年)8月31日から始まったフジテレビ系音楽番組「ミュージックフェア」の初代司会者でもある。
同時期に活躍した美空ひばりが現在の演歌のパイオニアとすれば、越路吹雪はJ-POPの先駆者ともいえる(もっとも、ひばりはジャズも歌っている。)。夫は作曲家の内藤法美。子宝には恵まれなかったが最後まで連れ添った。プライベートでは家事の一切を越路が仕切り、特に掃除の腕前は素晴らしかったという。
喫煙者であったことでも知られる。越路を敬愛している和田アキ子いわく、「越路さんが煙草吸ってる姿を人はみな”かわいい”というけど、私が吸うとみんなに恐れられるのよね。」
独身時代、三島由紀夫の恋人だったことがある。三島の母は、自分の息子が越路吹雪と結婚するものと思い込んでいたようだ。また、彼女のファンの1人が佐藤栄作元首相夫人の佐藤寛子で、後援会会長を引き受けていたのも著名なエピソードである。 日生劇場でのリサイタルは、ほとんどが春、秋の二回で約1ヶ月におよぶロングリサイタルであった。舞台衣装はニナリッチとイヴ・サン・ローランのオートクチュールであり、ニナリッチの本店には、彼女の胴の木型がある。 バッグが大好きなことでも有名で、エルメスやルイ・ヴィトン、フェンディなどを愛用していた。パリのエルメス本店で革の手袋を購入する際に「全色頂くわ!」と言った話は有名である。またパリの有名店では「マダム内藤」で通っていた。
面倒見も良く、多くの芸能人から慕われた。宝塚歌劇団在団時、同期生である月丘夢路がぬきんでた美貌を嫉妬されて他の生徒から深刻ないじめにあっていたが、見かねた越路に救われたことを月丘本人が後年になって明かしている。
肝の据わった女性と思われがちだが、さすがにリサイタルの直前は極度の緊張におそわれたという。そのため、緊張を紛らせるために煙草を燻らせ、コーヒーを飲んで、リサイタルに臨んでいた。
晩年は胃癌で胃の4/5を切除する大手術を受け、術後の復帰を目指してリハビリに励んだが、ついに助からなかった。病名は最後まで本人には知らされなかった。死の直前、病床の彼女は夫にコーヒーを頼んだが、これは最後まで必死に看病をしてくれた夫に飲ませるために頼んだものであった。越路の没した8年後に、夫の内藤も肝臓癌のため亡くなっている。
日生劇場の春、秋のリサイタルと共に恒例だったのがディナーショーであった。ここではあくまで分かる限りの記録である。
ほとんどテレビ出演しないことで有名だったが、年に数回は出演していた。ここでもあくまでも分かる限りの記録である。
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