郵政民営化 とは?ページ内リンク ↓ウィキペディア(Wikipedia)記事 ↓Yahoo!知恵袋郵政民営化(ゆうせいみんえいか、Postal privatisation)とは、日本における郵政三事業(郵便・簡易保険・郵便貯金)の民営化政策を指す用語である。なお、従来の三事業に包含されていた窓口業務(郵便局窓口での接客サービス)を別の区分ととらえた「郵政四事業」を対象として言うことも多い。 出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』 郵政民営化 出典: 『はてなダイアリー』 関連商品
鈴木 邦成 /
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1996年に第1次橋本内閣の「行政改革会議」が発足し、中央省庁再編について議論が交わされた。翌年8月に出された中間報告では、郵政民営化が政府報告として初めて盛り込まれ、郵便は国営、郵便貯金は民営化を準備、簡易保険は民営化、という案が出された。しかし、最終報告では、郵政三事業は国営を維持させ、三事業一体の公社で国家公務員の職員によって運営される、という結論が出された。公社の職員は本来であれば公務員から外れるはずのため、国家公務員の公社という不自然な形となっており、公社の経営形態を今後見直さないという条項さえもあった。これには、自民党の支持基盤である特定郵便局長会、そのOBで構成されている大樹の会、民主党の支持基盤である郵政系の労働組合、旧郵政省の官僚らの圧力があった[1]。
1999年5月、与野党ともに「郵政民営化」がタブー視されていた当時、超党派の国会議員で構成される「郵政民営化研究会」が立ち上げられた。会長を小泉純一郎が、事務局長を松沢成文がそれぞれ務め、メンバーには中田宏、前原誠司、堂本暁子、上田清司らの名前があった。この研究会では、郵政民営化の実施計画として、郵政持株会社の傘下に郵便会社、地域別の郵貯銀行、地域別の簡保会社をそれぞれ設ける案を提示していた。
2001年1月6日に実施された中央省庁再編により、郵政省の郵政行政及び郵政事業部門は、それぞれ総務省郵政企画管理局と郵政事業庁に再編された。その後、2003年4月1日に郵政事業庁が特殊法人である日本郵政公社となった。
小泉純一郎が内閣総理大臣に就任すると、小泉内閣は郵政民営化を重要施策の一つとして掲げ、小泉自身も「行政改革の本丸」であると主張した。小泉は1979年の大蔵政務次官就任当時より郵政事業の民営化を訴え、宮沢内閣時の郵政大臣在任時や、第2次橋本内閣の厚生大臣在任時にも訴え続けていた。郵政民営化は小泉の長年の悲願だったのである。
しかし、この民営化に対しては米国からの強い要求もあり、2004年10月14日に公表された「日米規制改革および競争政策イニシアティブに基づく日本国政府への米国政府要望書」(略称:年次改革要望書)でも日本郵政公社の民営化が明記されている。郵政民営化について政府の郵政民営化準備室と米国政府・関係者との協議が2004年4月以降、18回行われ、5回は米国の保険業界関係者との間であったことを、2005年8月5日の郵政民営化に関する特別委員会で大門実紀史参議院議員の質問に竹中平蔵郵政民営化担当相が答えて明らかにしている。さらに、2005年3月に発表されたアメリカ通商代表部 (USTR) の「通商交渉・政策年次報告書」には、2004年9月に閣議決定した「内閣の設計図」(小泉内閣の基本方針)に「米国が勧告していた修正点が含まれている」と述べ、米国の勧告で郵政民営化法案の骨格が書き換わったことを、米国政府自身が公式文書に記載している。
民営化は行政サービスの低下につながるとして、野党はもとより自民党内の特定郵便局を支持基盤にする郵政事業懇話会からも激しい抵抗があり、郵政民営化関連法案は、第162回通常国会では衆議院で5票差で可決したものの2005年8月8日に参議院にて否決された。この採決で、自民党は党議拘束をかけたにもかかわらず、多数の国会議員が反対に回った(造反議員の一覧については郵政国会を参照のこと)。
この結果を受けて小泉は民営化の賛否を国民に問うとして、衆議院を解散した(郵政解散)。反対派の一部は自民党を離脱し、新党(国民新党・新党日本)を結成。その一方で離党せず自民党に残った議員は公認を得られず無所属候補として第44回衆議院議員総選挙に出馬することになった。また、郵政民営化に反対した国会議員の選挙区すべてに自民党は対立候補(いわゆる「刺客候補」)を送り込んだ。
そして実施された9月11日の第44回衆議院議員総選挙では、与野党それぞれの得票数の差は僅かであったものの、この選挙では、小選挙区制度の短所である死票の増加が全面に出てしまい、議席数では与党の圧勝という結果になった。(ただし公明党は3議席を失うという敗北する事態に。)自民党は選挙後、郵政民営化に反対した国会議員に除名や離党勧告などの重い処分を科した。
後の特別国会で10月14日に同内容の関連法案が可決・成立された。郵政民営化の審議開始後に次手として道路関係四公団民営化の審議が開始されたが、郵政民営化の審議長期化などにより2005年10月1日に道路関係四公団民営化が先に実現している。
2007年7月29日に行われた第21回参議院議員通常選挙で第一党となった民主党は、同年8月9日に国民新党・社会民主党と共同で、民営化の実施を凍結する「郵政民営化凍結法案」を第167回国会に提出した[2]。この法案は、郵政民営化の実施期日である「10月1日」を「別に定める」に改正し、郵政民営化自体を1年間凍結させるものであったが、審議されないまま廃案となった。民主党は当初、国民新党に配慮して、この法案を第168回国会へ再提出する意思を示していたが[3]、民営化の実施期日に間に合わないとして一旦は再提出を見送った[4]。その後、国民新党から共同提出を求める声があり、再度協議したものの結局は断念した[5]。
その後、国民新党は党内で検討を進め、社民党、民主党と共同で郵政民営化凍結法案を第168回国会へ提出した[6]。内容としては、政府が保有している日本郵政の株式と、日本郵政が保有しているゆうちょ銀行・かんぽ生命保険の両株式の、市場への売却を当面3年間凍結させることにより、郵政三事業の一体経営を継続させるものである。
提出当初は、法案が委員会になかなか付託されなかったため、審議が始まらず、国民新党は民主党に対して法案の早急な委員会付託を求めた[7]。その後、12月4日に参議院総務委員会で提案理由説明が行われ、ようやく審議入りすることとなった。12月11日には参院総務委員会で[8]、翌12日には参院本会議で[9]、それぞれ野党の賛成多数で法案が可決された。法案は衆議院に送付されるものの、与党側は「現在の法律や制度でも、株式を売却する前に、日本郵政グループの完全民営化に関する見直しを行うことはできる」として、法案には反対の意思を示しており、与党が今も多数派を占める衆議院では否決、もしくは審議未了のまま廃案となる見通しである。
2007年10月1日には東京・霞が関にある日本郵政の本社で「日本郵政グループ発足式」が行われた。グループの持株会社となる日本郵政の西川善文社長、福田康夫首相、増田寛也総務大臣に加え、郵政民営化を推し進めた小泉純一郎も出席した。小泉は発足式の中で、従来は全政党が反対していた「郵政民営化」を実現できたのは国民による支持があったからこそであると述べている。民間企業の多くは総資産338兆円・従業員24万人を抱える巨大企業グループを警戒視しており、今後の「公共性の維持」と「効率化」との両立が課題とされている。
郵政民営化関連の法律では日本郵政公社を以下の6つの組織に分けている。
資金運営と新規預金や保険、総合口座の残額管理については郵便貯金銀行、郵便保険会社に移管されるため、長期的には郵便貯金・簡易生命保険管理機構は廃止が視野に入れられている。ただし、郵政民営化法や独立行政法人郵便貯金・簡易生命保険管理機構法では、廃止については全く言及がない。松原聡著『これならわかる!「郵政民営化」』(中央経済社)では旧勘定が無くなった段階で「廃止される見込み」とあるが、その法的根拠が無いため、道路公団のように、一時的と考えられた特殊法人が長期化することを予想する声もある。
政府の機関としては、2004年5月1日に内閣官房郵政民営化準備室(2005年11月10日以降は内閣官房郵政民営化推進室)が設置され、渡辺好明内閣総理大臣補佐官が室長を兼務し、2004年9月27日には、竹中平蔵国務大臣が郵政民営化担当大臣に任命され、両名は2006年9月26日までその任に当たった。その後、郵政民営化担当大臣は、菅義偉総務大臣が務め、2007年8月26日からは増田寛也総務大臣にその任が引き継がれた。
日本郵政公社の正規職員は民営分社化によって5つの新会社に振り分けられた。基本的にこれまで従事してきた業務を引き続き従事できるような振り分けとなっている。特定郵便局の職員は郵便局会社へ帰属。集配郵便局で郵便関係の業務に従事していた職員のうち外務職員は郵便事業会社へ帰属、内務職員については殆どが郵便事業会社へ帰属となったが、一部の内務職員は郵便局会社へ帰属した者もいる。貯金業務に従事していた職員はゆうちょ銀行直営店併設局ではゆうちょ銀行、非併設局では郵便局会社へ帰属となった。保険業務に従事していた職員は法人営業に従事していた職員はかんぽ生命、その他の職員は郵便局会社に帰属となった。ただ、総務担当の職員については各自、日本郵政を除く4社へ振り分けられた。本社・支社職員については所属していた部署を基本線に5つの新会社に振り分けられた。病院および宿泊施設の職員は日本郵政へ帰属となった。
郵政短時間職員は全員、郵便事業会社に帰属。非正規職員(ゆうメイト)は2007年9月30日付けで一旦全員解雇となり、民営化以降これまで従事してきた業務を行う新会社に引き続き採用となった。
国鉄、電電公社、専売公社の民営化を上回る戦後最大規模の改革とも謳われ、その主たる目的は財政投融資を廃止することとされている。これにより、約340兆円という潤沢な郵貯資金を特殊法人などに代表される政府機関ではなく、個人や民間企業に融資できるようにすることで、日本経済の活性化が図れるとされている。加えて、これまでは免除されていた法人税・法人事業税・固定資産税・印紙税や郵便事業会社・ゆうちょ銀行・かんぽ生命保険から郵便局会社に支払われる委託手数料にかかる消費税、民営化会社の株式を政府が売却することで得られる収益によって財政再建も図れるとしている。
しかしながら、国はこれまで郵便貯金が最大の引き受け手であり、民間の金融機関と違い長期的に保有することで国債を大量に発行できていた側面があるため、ゆうちょ銀行の引き受け額が減少すると国家財政が破綻する危険性が高まるのではないかと不安視する意見もある。他方で、小泉内閣発足後に財務省が個人向け国債の販売を開始していること[10]や、政府機関等が民間金融機関から貸出を受けたり 債券を購入してもらっていることなどから、財政投融資を廃止しても実質的には同様の効果が存続するのではないかと疑問視する声もある。
自民党は2005年の郵政選挙の際、約26万人いる郵政公社の常勤職員が民間人になれば、その分の政府負担が減少すると試算し、「郵政民営化によって公務員が削減され財政再建につながる」と主張した。しかし、郵政公社は「独立採算」であるため職員の給与などに税金は一切使われておらず(税制面での優遇措置はあった)、公社職員を民間人にしても政府は人件費負担を抑えることにはならない。 郵政民営化法成立後、このことは一般に広く知られるようになった。ただし、民間人になることで人件費を経営陣が調整できるようになるという利点も挙げられる。
また、民営化しなかった場合には、郵政公社が長期的にみて全体として赤字転落するとの試算があり、これを理由として民営化による業務効率化・合理化を求める声もある。事実、郵便引き受け数は2001年をピークに減少している。しかし、2004年度末においての郵政三事業は、長年赤字であった郵便事業も含めそれぞれ黒字になっていた。
2003年4月1日に公社化された際に「5年間の成果を踏まえた上で民営化を論議する」という先送り論が出たがこれは無視された。また、後述のような外国の例を挙げて、民営化賛成派はドイツを、反対派はニュージーランドの例を挙げていることが多かった。
JRでみられた赤字路線の廃止・転換の様に、過疎地等の不採算地域での特定郵便局の廃止・統合などサービスの打切り・後退の可能性が指摘されている。これについては、民営化後に発足する郵便局会社に対して、郵政民営化に関連する法律や総務省令では、過疎地でのサービス水準を維持するよう義務付けるなど、一定の歯止めをかけている。これに対して、日本郵政の西川善文社長や郵便局会社の川茂夫会長は報道機関によるインタビューの中で、ゆうちょ銀行・かんぽ生命はそれぞれ郵便局会社との長期的な代理店契約を結ぶことで、現在の24,000局という郵便局ネットワークは維持されるとしたうえで、両社の完全民営化の前に収益性の低い郵便局からの業務委託停止・撤退は無いとの考えを示している。
その一方で、民営化前から巨額の赤字を抱えていた国鉄と郵政事業を単純に比較できないとの主張も存在する。ちなみに、電電公社民営化の際も、過疎地で電話が利用できなくなるのではないか、といった反対意見が出された。国鉄では6つの地域会社と貨物会社に分割民営化されたが、郵政三事業では事業ごとに分割民営化し地域ごとの分割は行われない。これは郵便事業は鉄道事業に比べて日本全国均一のサービスを行うことが重要視されているためである。また、国鉄分割民営化と異なる点として、郵便事業ではライバルとなる民間企業が、過疎地や離島などでも宅配便やメール便のサービスをすでに実施しているため、郵便が営業範囲を縮小したとしても信書を除いて他の民間企業がその減少分をカバーできるとされている。しかし、貯金・保険事業については、利益が見込めないなどの理由により郵便局以外の金融機関が元々なかったり、経営合理化などによって撤退された地域では、国鉄民営化で発生した「鉄道空白地」と同様に「金融空白地」が出来るのではないかと警戒を強めている。
郵便局の廃止に関しては、現実にいくつかの郵便局が廃止されており[11]、簡易郵便局においては、民営化直前に一時閉鎖や貯金・保険業務の廃止が相次いでいる[12]。民営化前から簡易郵便局の減少を危惧した日本郵政公社は、2007年1月から受託料の40%~50%弱引き上げ、窓口端末や防犯カメラなどの設置費用の公社負担などを実施していたが、あまり成果は上がらなかった。これは、簡易郵便局の主要な引き受け先である各地の農協の統廃合や、個人受諾者の高齢化などに加え、簡易郵便局が民営化に伴い、業務内容や設置方法等が大規模に変更され、法的根拠のある受託業務は郵便事業のみとなったことにも起因している。民営化後に新規に簡易郵便局を設置する場合、銀行業務と保険業務を受託することが非常に困難になる(詳細については簡易郵便局#郵政民営化と簡易郵便局にて記述)。また、民営化後は設置者によっては一般の利用が不可となるケースがある。これらを危惧した自治体が、実質的に自ら簡易郵便局を開設する動きもある。
ただし、郵便局会社も民営化前のサービス水準を維持させるため、市町村合併により使用されなくなった公民館や役所など、道の駅、警備会社が別荘地などに設置している出動拠点、鉄道の無人駅(駅長と局長を兼務する形態・JR東日本との提携を検討中[13])などへ簡易郵便局を新たに設置する構想を打ち出している。また、災害発生時に被災地に対して派遣される「移動郵便局車」の台数を増やし、日本全国で一時閉鎖されている約400局の簡易郵便局の機能補てんを行うため、近隣に郵便局がない地域での定期巡回を行う考えも示している(民間の金融機関でも移動銀行窓口車を保有しているところがある)。加えて、特定地区にあるいくつかの簡易郵便局を郵便局会社の従業員が定期的に巡回し、時間帯や曜日を限定した営業を行う「定期開局」の導入も視野に入れている。また、グループの持株会社である日本郵政により、過疎地の郵便局ネットワーク維持のため、赤字補てんを目的とした1兆円(最大2兆円)規模の「基金」も設置されている[14]。
郵便事業に関しては、分社化による業務管理等の問題から旧公社時代より段階的に集配郵便局を再編した。例えば、東京、鹿児島、沖縄の一部離島では、従来島にある郵便局ごとに行っていた集配業務を、本島の支店が設置した集配センターや隣接する島にある支店に統廃合した。また、山間部を配達する従業員は新聞社から委託を受け新聞と郵便の配達を併せて行っているが、配達が昼過ぎになってしまうことから住民からは不満の声が上がっている[15]。過疎地の集配センターでは従業員の数が削減され、郵便物の配達時間が遅れたりするケースも出てきたり、非集配局への降格のためにゆうゆう窓口が廃止されるところも発生した。「書留やゆうパック等の当日再配達の受付締切時刻が大幅に短縮され、日中留守にする家庭では事実上再配達が翌日以降になってしまう」「ポストの郵便物収集回数が1日1回となってしまった」「ゆうゆう窓口を利用できない」などの声もある。一方で、一部支店では書留やゆうパックの配達開始時間を早朝から始めたり、集配センターから支店を経由せず配送するようになった地域では、従来より郵便物の届く時間が早くなっている事例もある。なお、より一層の業務合理化を目指すため従業員数の大規模な削減と契約社員化が報道されている[16]。
貯金事業に関しては、料金区分が変わったため一律ではないものの、おおむね各種手数料が値上げとなっているのは、民営化により民間の銀行と同じく印紙税を負担しなければならなくなるための措置である。また、従来は採算度外視ともいえる料金だった普通為替の手数料も値上げされており、定額小為替では1枚あたりの発行手数料が従来の10円から100円となったため、為替の額面金額と同額またはそれ以上の手数料がかかる場合が発生している[17]。これらの価格改定については、旧公社は民営化前より告知していた[18]。また、旧公社時代より現金自動預け払い機(ATM)の撤去計画を進めており、ATMの夜間・土日利用にサービス手数料を課金する動きもある。
これまで禁止されていた郵便局舎・庁舎の賃貸業務が可能となることから、いわゆる「一等地」にある都市部の郵便局を再開発し、高層ビルなどに建て替えたり、集配郵便局の再編により窓口業務のみとなった無集配局において、従来は集配業務に充てていた場所を活用し、コンビニなどのテナントを誘致することなどができるようになり、賃貸収入が得られるようになる、といった利点が論じられている。すでに、一部の郵便局内には「ポスタルショップ」として、ローソンやam/pmなどのコンビニが出店しているほか、印刷などを請け負う「ポスタルスクウェア」の出店も進んでいる。しかし、この動きに対して、建築学的に貴重な局舎が安易な再開発によって失われるとの懸念の声もある[19]。
民営化によって、3つの事業会社と窓口会社に分割された。従来から、電子メールなどの普及により発生している郵便事業の損失分を、郵便貯金・簡易保険の収益で補う、という不透明な会計が行われてきたことから、分社化により郵便事業の事業合理化が期待されている。すでに、国際スピード郵便の利用を企業に対して積極的に促すなど、郵便事業本体の収益性を高める取り組みに加え、Japan Post Systemの導入による集配業務の生産性向上を目指した取り組みも行われている。また、日本郵便が日本通運と宅配便事業の統合も視野に入れた、包括的な業務提携を結ぶことで合意しており、「ペリカン便」と「ゆうパック」が手を組むことで、互いの長所を生かしあいながら、業界内での競争力を高めようとする動きもみられている。しかし、一方で手紙・はがきといった郵便物を、適切な料金で全国一律に配送するユニバーサルサービスの維持も続けなくてはいけないため、合理化と公的なサービスとの両立が課題となっている。
事業ごとに分社することは、かえって非効率化やサービスの低下になるのではないかという考えもある。例えば、ゆうちょ銀行やかんぽ生命の直営店が設置される各地の中央郵便局などの大規模な局舎で、担当会社ごとに仕切りを作る内装工事が行われたり、ATMが郵便局会社とゆうちょ銀行で分担して管理が行われているために、備え付けられている封筒を郵便局会社とゆうちょ銀行で違うものを用意したりなど、これまでと比べて業務ごとの区分が厳密になる。分社化によって従業員が取り扱える業務はそれぞれが所属する会社の業務のみに限られるため、これまでは郵便の配達員に年金の受け取りや簡易保険の保険料納付を頼むことなどもできたが、このような会社間をまたぐ業務の取り扱いが不可能になる。また、時間外窓口は、民営化後は日本郵便による取り扱いとなるため、通常の取扱時間の窓口(郵便局会社の取り扱い)と受けられるサービスに差が発生することが考えられる。
なお、国鉄分割民営化では、それまで全国1社で行われていた事業が地域ごとに分割されたため、複数の会社間をまたがって走行する列車では直通便の削減や会社境界ごとに運行区間の分割などが行われた。例えば、直通列車がなくなったことで乗換を余儀なくされ、それが原因で利用者が減少したにもかかわらず、利用者が少ないという理由で減便・廃便されたという見方も存在する。
民営化法案では、民営化後10年以内(2017年9月末まで)にゆうちょ銀行とかんぽ生命の株式売却を完全に売却することが定められている。このため、郵便局においてはこれまでのゆうちょ銀行とかんぽ生命との事業に制約されない新たなサービスを期待する意見がある。例えば、既存の金融機関や保険会社が郵便局の窓口ネットワークを活用できるようになるといったことである。すでに首都圏にある一部の郵便局では、損害保険会社の自動車保険を「損害保険代理店」として受託販売している[20]。
その反面、直接の資本関係が断たれるため、これまで全国どこでも郵便局に行けば受けられた郵便貯金と簡易保険の業務を郵便局が必ずしも受託しなくても良いということにもなり、特に貯金業務・簡易保険業務に関して、採算の取れない地域では郵便局があってもサービスを受けられなくなる可能性があるのではないかという意見も根強い。
全ての広告媒体において、モデルの吉村美樹をイメージキャラクターに起用していた。
当初は、郵便局のCMの終盤で少し告知する程度や、民営化・分社化の準備として行われた2007年5月4日~5月6日のオンラインサービス休止前に、告知CMを流した程度にとどまっていた。ナレーションは倍賞千恵子が担当した。
その後、民営化が2ヵ月後に迫った8月中旬ごろから、「〒10.1 もうすぐ民営化」と題した、郵便局(郵政サービス)は民営化後も従来通り利用できることを伝えるCMを放送し、民営化直前となった9月中旬ごろからは、9月30日のオンラインサービス休止の告知CMと、JR各社や日本たばこ産業発足時のように新会社を周知させる、「ひとりを愛せる日本へ。」と題した、日本郵政グループの企業CMを放送していた[22]。
2007年7月1日には、全面広告「〒10.1 もうすぐ民営化」が、8月16日には、民営化・分社化についての情報を詳細に説明した全面見開き広告が、全国紙・地方紙にそれぞれ掲載された。9月18日には、「ひとりを愛せる日本へ。」と題した全面広告を掲載し、民営化についての意気込みを紹介した。
2007年8月17日から順次、全国の家庭・事業所に対して、民営化についての情報をまとめたパンフレットが配達された。発送部数は全体で5,756万部(日本郵政公社発表)となった。また、簡易生命保険の契約者に対しても、民営化についての情報をまとめたパンフレットが配達された。郵便貯金の契約者に対してはパンフレットは配達されなかったが、簡易生命保険用のパンフレットと共に郵便局に置かれていたため、自由に受け取ることができた。
加えて、民営化後の郵便サービスについての情報をまとめたパンフレットや、郵政サービス全体についての情報をまとめたチラシ、ゆうちょ銀行のサービス・手数料についての情報をまとめたチラシも置かれていた。
公式サイトでも民営化・分社化について詳しく説明されていた[23]。
ドイツでは、郵便と貯金に分けて民営化後、利用者の少ない郵便局の廃止が進んだ。そのため、スーパーマーケット等に無人ATMを設置して対応していることもある。ドイツにおいては、通常郵便については長年ドイツポストの独占とされており、同社は、通常郵便の独占利潤をもって小荷物部門への国際事業展開を行っており、通常郵便に競合他社が事実上クリームスキミング的に参入している日本とは事情が大きく異なる。
なお、ドイツの場合地方自治体が運営する貯蓄機関が存在していることもあり郵貯のシェアは日本ほど高くはない。また公的金融機関のシェアが低いわけでもない。また、民営化後郵便(ドイツポスト)と郵貯(ポストバンク)は別々に運営されていたが、ドイツポストがポストバンクを買収し再び一緒に経営されることになった。
イギリスでは、窓口会社、郵便会社、小包会社といったように分割されている。貯金事業は独立行政法人のナショナルセービングにより運営される。ナショナルセービングは店舗を持たず郵便窓口会社に業務を委託する形をとる。英国のトニー・ブレア首相は日本の小泉純一郎首相が郵政民営化に熱狂してる様子を見て、「日本だけが逆行していますね」と語った[24]。競合他社との激しい競争により郵便会社や小包会社は必ずしも順調な経営状態ではない。
スイスでは、連邦政府郵政省によって運営されている。ユニークなものとしては郵便バスの存在があげられる。これは、郵便物をバスで輸送し、そのバスに一般の乗客も有料で乗車できるというものである。
アメリカ合衆国には、かつて郵便貯金の制度が存在したが廃止された。廃止直前には利用者が減少傾向にあり、ATM等のオンラインシステムが発達する前であったのでそれほど混乱は生じていないとされる。アメリカ合衆国では口座維持手数料を設けることが一般的で低所得者層を中心に金融機関に口座を持っていない人が少なくない。民営化批判論者からよく反対論として指摘されることである。郵便事業については公共企業体(USポスタルサービス)により運営。郵政事業を民営化するという法律案はこれまでに2回提出されたがいずれも成立せず、2002年には「一律サービスを民間で行うのは不可能」と結論付け、事実上郵政民営化は断念した状態となっている。
ニュージーランドでは、1987年に政府の行財政改革の一環として、これまで郵便・郵便貯金(金融)・電気通信の3事業を取り扱ってきた郵便事業省の、民間企業への売却を前提とした分割・公社化が行われた。郵便貯金事業を担っていた「ポストバンク」は1989年にオーストラリアのオーストラリア・ニュージーランド銀行グループに売却された。この結果、公務員数の削減、郵政事業への税金投入の全廃を達成した。また、独立採算制と民間の参入の自由化により効率化を迫られた郵政公社は、徹底した経営の効率化を迫られ、郵便窓口の外部委託(薬局や書店が兼業)や配達業務の外部委託(入札制)などを採用し、郵便料金の長期据え置きを実現している。郵便窓口業務を民間委託しているため、営業時間の延長や顧客態度の向上など大幅にサービスは向上した。また、郵便窓口数(店舗数)は政府との合意により最低窓口数規定を取り決め、実際には最低窓口数より多くの窓口を開設している。しかし一部の農村地域等では金融業務、郵貯業務を持たない金融空白地帯を生じた。これにより国民から郵貯の復活を求められニュージーランド労働党と旧連合党の連立政権政権は2002年に旧郵便事業を担ってきた公社化された「ニュージーランド・ポスト」に対して、郵便局の窓口を利用した金融機関「キーウィ銀行」を100%子会社として設立させた。
オーストラリアでは、1989年に公社化されたオーストラリア郵便公社(以下ポスト)が運営する。競争事業者の250グラム以内の信書便はポストの4倍以上の料金を請求する規制がある。ポストは小荷物、銀行や政府の窓口業務受託、文房具・包装用品などの分野で規制のない競争関係にある。 売却が議論されている。