野沢秀行 とは?ページ内リンク ↓ウィキペディア(Wikipedia)記事 ↓Yahoo!知恵袋野沢秀行(のざわ ひでゆき、1954年10月19日 - )は、日本のミュージシャン、パーカッショニスト、俳優。サザンオールスターズのメンバーでパーカッション担当。 出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』 関連商品ウィキペディア(Wikipedia)記事
野沢秀行(のざわ ひでゆき、1954年10月19日 - )は、日本のミュージシャン、パーカッショニスト、俳優。サザンオールスターズのメンバーでパーカッション担当。
人物東京都出身。佐野日本大学高等学校卒。血液型A型。ニックネームは「毛ガニ」。近年ではCDのクレジットでも『野沢"毛ガニ"秀行』と表記されることもある。なおボーカルの桑田佳祐は時々野沢のことを「野沢毛ガニ」と呼ぶ。 1975年 - 1977年、南佳孝のバックバンド・「マーブルヘッド・メッセンジャー」に在籍。1977年に、大森隆志がアルバイトをしていたライブハウスに出入りする内に大森と面識ができる。同年、ヤマハ主催のバンドコンテスト『East&West'77』にサザンの出場が決まった際、大森からの熱烈な勧誘があったが、野沢はセミプロであることを理由にあまり良い返事をしなかったという。野沢が参加しないままサザンはコンテストに出場しベストボーカリスト賞を受賞。デビューが決まる頃、急にサザンのレコーディングスタジオにも顔を出すようになり、その急激な態度の変化に当初メンバーは難色を示したが、最終的には『パーカッションが入れば、リトル・フィートと同じ人数・バンド編成になる』という理由で容認し、デビュー直前のサザンに加入。 これらの経緯があり、1978年のデビューから30年経った現在でも「正規メンバーとしては認めていない準メンバー」、「デビュー直前にいつの間にかメンバーに入っていた」と度々ネタにされるなど、他の場面でも弄られる事が多い。 一説によると、野沢をメンバーにするか否かの『毛ガニ欠席裁判』が他のメンバー5人で行われたが、結論は出なかったという。 サザンオールスターズ名義の楽曲で唯一「FIVE ROCK SHOW」でメインボーカルを獲っていると言われているが、ボーカル曲が存在しない故、どれが野沢の声か特定できないため真意は明らかではない。また、サザンの中ではそのキャラクターを活かしてお笑い担当のような役割を果たしている。 愛称である毛ガニについては、『毛深いから』である。サザン名義の一部作品でも“野沢毛ガニ秀行”とクレジットされるほか、桑田のソロ作品に参加する際にはこの名義でクレジットされる。現在サザン名義の作品や公式サイトでは野沢秀行の名を用いる。 また、相当なホラ吹きで、桑田佳祐が1999年の年越しライブ『晴れ着DEポン』での『死体置場でロマンスを』の中で「野沢毛ガニ、ホラを吹くな、嘘つきは大嫌いだ。」と歌ったこともある。 代表的なものとして、「ディープパープル日本公演のときに、あまりの音圧で蚊が潰されて、そのレリーフが日本武道館にある」「アマゾン川には体長1メートルにもなる巨大なセミがいる」(これはライブビデオ「ホタル・カリフォルニア」収録の「赤鼻のトナカイ」の歌詞にもされている)などがある。 あまり知られていないが、サザンオールスターズの中では他のメンバーより1~2学年上となる先輩であり、サザンオールスターズの最年長記録は、メンバー最年長である野沢の年齢を基準にして記録される。 その他、サザンオールスターズや桑田佳祐のPVでは何かしら脇役として出演している。桑田のソロシングル「波乗りジョニー」にも出演し、CGで合成されたまさしく『毛ガニ』として出演した。 桑田が監督をつとめた映画稲村ジェーンのエンディングにも、ほんの一瞬ではあるが野沢の姿を確認することができる。 花火好きであり、「BOHBO No.5」では、演奏者ではなく冒頭から主役の如く出演しており(最も曲中はほとんどこの曲のイメージキャラクター「BOHBOくん」としてだが)、最終的には花火となって空に打ち上げられている。このような出演に至った理由として、この作品が発売、レコーディングされた2005年は悪化した腰痛のリハビリのため音楽活動を休養しており、作品のレコーディングに満足に参加できていないためである。 サザンオールスターズの中ではメンバーの「潤滑油」のような役割も果たしており、桑田佳祐は「毛ガニがいなかったらサザンはとっくに解散している」と語っている。そういう点でもサザンオールスターズの長いキャリアを支える重要な人物である。 略歴ソロ活動は、俳優業として映画『アトランタ・ブギ』(1996年)、TBS系テレビドラマ『愛なんていらねえよ、夏』(2002年)に出演したほか、本業の音楽ではJapanese Electric Foundation(JEF)を結成、アルバム(のちにCD化)1枚をリリースしている。尚、このアルバムはサザンをはじめ各メンバーが音楽作品をリリースしているビクターエンタテインメント(TAISHITAレーベル)からのリリースではなく東芝EMIからのリリースとなっている。 1996年夏のサザンの全国ツアーと2003年は腰痛(ヘルニア)で休業(1996年夏のサザンの全国ツアーは今野多久郎が代役を務めた)。2004年は体にムチを打って復帰したが、2005年は治療に専念するため休業を宣言しテレビ番組やライブへの出演は控えていたが、ライブツアー期間中インターネットラジオで「ラジオでもみんなが好きです」でDJを務めた。 サザンオールスターズのデビュー30周年である2008年も、腰を含めた体調が本調子ではないとの理由で、テレビ番組やライブへの出演は控えることとなった(ただしライブに関しては後半の一部楽曲のみ参加)。また今回も『野沢毛ガ二の「ラジオDE大感謝祭」』と題したインターネットラジオでDJを務めた。 また、音楽以外の活動として、1988年から「Kegani-Racing」を結成、チームオーナー兼監督として筑波ナイター9時間耐久などのモータースポーツに参加、1990年からはリクルートのサポートを受け「B-ingKegani-Racing」の監督としてグループA、N1耐久などへ参戦していた。 作品アルバム
出演テレビドラマ
映画CM
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