鈴置洋孝 とは?ページ内リンク ↓ウィキペディア(Wikipedia)記事 ↓Yahoo!知恵袋鈴置 洋孝(すずおき ひろたか、1950年3月6日 - 2006年8月6日)は日本の男性俳優、声優、劇団プロデューサー。愛知県名古屋市生まれ、東京経済大学卒業。身長166cm、体重58kg。血液型はA型。星座はうお座。 出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』 鈴置洋孝 出典: 『はてなダイアリー』 関連商品
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| すずおき ひろたか 鈴置 洋孝 |
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| 生年月日 | 1950年3月6日 |
|---|---|
| 没年月日 | 2006年8月6日(満56歳没) |
| 出生地 | |
| 民族 | 日本人 |
| 血液型 | A型 |
| ジャンル | 俳優・声優 |
| 活動期間 | 1973年 - 2006年 |
| 配偶者 | あり |
| 主な作品 | |
| 『機動戦士ガンダム』 『聖闘士星矢』 『ドラゴンボール』 |
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鈴置 洋孝(すずおき ひろたか、1950年3月6日 - 2006年8月6日)は日本の男性俳優、声優、劇団プロデューサー。愛知県名古屋市生まれ、東京経済大学卒業。身長166cm、体重58kg。血液型はA型。星座はうお座。
『機動戦士ガンダム』から『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』までのガンダムシリーズ(ブライト・ノア役)、『無敵鋼人ダイターン3』(破嵐万丈役)、『聖闘士星矢』(ドラゴン紫龍役)、『キャプテン翼(昭和版)』(日向小次郎役)、『ドラゴンボール』(天津飯役)などで知られた。
目次 |
愛知県名古屋市に生まれ育ち19年間暮らした。東京に父方の祖父母の家があり、生後間もない頃から年に1度東京に遊びに来ていた。東京に来た際は名古屋弁と標準語を使い分けていたという。大学に進学するために東京に上京。高校時代までは内向的だったが、大学に入ってフォークソングを始めてからは社交的になったという。
1973年、野沢那智が代表を務めた「劇団薔薇座」にて役者デビューを果たす。薔薇座入団のきっかけは、後に妻となる当時の恋人が入団オーディションを受ける際、付き添いとして遊び半分でオーディションを受けたことによる。結果的に「おまけ」で合格になったという。
声優として仕事を始めたのは、劇団時代に様々なアルバイトをこなしている時に「同じバイトなら声の仕事をしてみては?」と誘われたのがきっかけだという。声優デビューはテレビの洋画吹き替えの「男1」などのその他大勢。また番組レギュラー(ガヤや脇役)として初めて出演したアニメは『超電磁マシーンボルテスV』のその他大勢役である。1978年に『無敵鋼人ダイターン3』の主人公・破嵐万丈役で本格声優デビュー。その後1981年から東京俳優生活協同組合、1998年からは賢プロダクションに所属。アニメを始め洋画の吹き替えなどの活動も多く見られた。
2006年7月に肺癌と診断。東京都杉並区の病院に入院・療養に当たっていた。しかし、同年8月6日の朝に容態が急変。56歳で亡くなった。
甘く凛々しい声が特徴で、青年など若い二枚目役を演じることが多い。ファンからは「殺しても死なない様なふてぶてしさがある」演技と称された。また滅多に使わないが非常にしわがれた老人の声も持ち、『花の魔法使いマリーベル』、『ひげよさらば』などで使用した。
声優活動のみならず舞台活動も盛んに行い、アニメファンや声優ファン以外にも印象を与えた。また1984年からは声優バンド「スラップスティック」に、三ツ矢雄二の後釜として加入。解散するまで音楽活動も行っていた。1997年には「鈴置洋孝プロデュース」を旗揚げし、自身でも演劇のプロデュースを開始し、『煙が目にしみる』等の作品を発表している。幾つかの戯曲作品の台本は書籍化されている。
快活で冗談好きな性格として知られ、ラジオ等のトークを盛り上げていた。
薔薇座に入った頃は、指導の厳しさから「劇団なのか収容所なのかよくわからない凄いところだった」、「(野沢那智の名前にかけて)ナチ収容所」と語っており、当時は野沢にも「あまりにも厳しすぎる」と直接発言していたという。しかし同時に「あそこを経験していたから自分は本当に精神的に鍛えられた。その後現場で辛いと思ったこともなかった」とも語っている。
23、4歳の頃に演劇の傍ら『ゴレンジャー』ショーのアルバイトをしており、当時は体重が50kgに満たない程痩せていたのでモモレンジャー(女性)の役を担当していた。
アフレコのリハーサル中には、メモを取ったりマーカーでチェックすることもせず、台本はいつも真っ白だったという。これについて林原めぐみは、「手ぶらでディレクターの指示を聞いているのを見かねてペンを貸そうとしたところ、『一度聞けば覚えるだろう』と言って断られた。しかも、そのあとの本番ではまったくNGがなかった」と語っている。古谷徹によると、一方で不可解なNGを出すこともあり、OVA『聖闘士星矢』では「白羊宮」と上手く言うことが出来ず、「白洋舎なら言えるのに」と真剣に悩んでいたという。
『電磁戦隊メガレンジャー』での共演者たちは、「アフレコに不慣れで大変だった際(特撮作品は他のドラマと異なり、台詞がすべてアフレコとなる)、鈴置さんが親切に色々教えてくれた」と語っている。
『聖闘士星矢』の冥王ハーデス十二宮編OVAシリーズは、テレビアニメから長期間経過していたこともあってオリジナルキャストの面々は声質が変化しており、原作者の車田正美に酷評された。鈴置はこれに憤慨していたが、劇場版・ゲームの新録に際して古谷徹が「もう一度みんなで星矢を」と呼びかけたところ、「正直、あの役はもう降りるつもりだったが、お前の為ならプライドを捨ててやってやる」と潔く応じたという。古谷は「このときは感動した」と語っている。『星矢』には鈴置の親友である池田秀一も蠍座(スコーピオン)のミロで出演していたが、OVA版から降板となった。
トム・クルーズの吹き替えを担当しているが、これはトム・クルーズ本人がデモテープを聴いて鈴置に決定したという。
ブライト・ノア(「ガンダムシリーズ」)や九能帯刀(『らんま1/2』)天津飯(『ドラゴンボール』)などの長身の役を演じることが多い。ニヒルな二枚目で「フッ」と鼻で笑う役柄も多かった。
インタビュー記事の中で『ダイターン3』の頃を振り返り、「スタジオでの収録が終わったらすぐに移動してキャバレーの呼び込みのアルバイトをしていたが、そっちの方が収入がよかった」と語ったことがある。その当時より知名度が上がった2006年時点でも、声優の出演料は格安である。
駆け出しの頃は喫茶店で正社員として働き、声優業を兼業していたが、周りの視線が辛かったと語っている。それ以外にも英語の勉強のため、帝国ホテルでボーイをしていたことがあったという。
声優業だけで食べていけるようになったのは『機動戦士ガンダム』でブライト役を演じた頃からだったと語っている。『ガンダム』の頃も、収録後に飲みに行く際、出演料の高い永井一郎や池田秀一がタクシーで移動する一方、鈴置だけが自転車で必死に追いかけていたという。
『ガンダム』のヒットによる劇場版製作に当たっては、永井らとともに声優陣の中心となって一致団結してギャラの値上げを交渉、その結果当時としては破格のギャラが支払われた。「それだけの仕事をしたと思うし、それに値する作品だと自分達も思ったから」と鈴置は語っている。また同時に、鈴置を中心としたメインキャストが一丸となって、「主演の古谷徹を断固としてトップクレジットに掲載する」ようにも交渉したという(公開前の宣伝では、アムロの母役として倍賞千恵子が出演することが際立って紹介されており、もともとエンディングもトップクレジットは倍賞となる流れだったという)。
仲の良い声優のひとりに古谷徹がいた。池田秀一とも呑み仲間で、共演する機会がなくとも酒の付き合いは長く続いた。麻生美代子とは仕事でもプライベートでも仲が良く、一緒に旅行に行くこともあったという。
同じく二枚目を演じることの多かった塩沢兼人とも飲み友達で仲が良かった。共に「フッ」と鼻で笑う役柄が多かったことで、雑誌で「日本の二大『フッ』声優」と称されたが、鈴置は「俺の『フッ』は正統派な二枚目だけど、あいつは怪しい変態チックな『フッ』」だと語っている。また日常生活では恥ずかしくて「フッ」とは笑えなかったという。
1990年には新幹線の中で急病で倒れ、『ドラゴンボールZ』の天津飯役を山寺宏一、『らんま1/2 熱闘編』の九能帯刀役は辻谷耕史が代演となったこともある。入院した際、『ドラゴンボールZ』で共演していた堀川亮と古谷徹が心配してそれぞれ見舞いに来た。しかし、鈴置は開口一番「ここの看護婦さんは良い(かわいい)」と発言するなど、普段通りのテンションの高さを見せつけ、堀川も古谷もそのときは安心して苦笑したという。
『タイムボカンシリーズ』の音楽担当であり声優としての出演もしていた山本正之は、鈴置と親交があり陰ながらライバル心もあったらしく、自身の役を振り返って「これで鈴置くんぐらいの二枚目にはなれただろう」と語っている。なお、山本は鈴置の死を悼み、『逆転イッパツマン』の主題歌の三番を新たに作詞、『逆転イッパツマン!3C』を作曲している。間奏に鈴置と富山敬の当時の台詞が挿入されている。
薔薇座時代のメンバーによる印象は、「とにかくもてる奴」で一致している。『らんま1/2』で共演した島津冴子も彼が好きだったと語っている。仕事に遅れると「ゴメンゴメン、彼女がしつこくてさ」が口癖だったという。野島昭生や古谷徹ら、スラップスティックのメンバーは「一度でいいから、言ってみたいよね」と口をそろえており、軟派なキャラクターで知られていたことがうかがえる。野沢那智は「あんな軟派でいい加減な男が絶対プロの役者になどなれるわけがないと思っていたのに、今や座長か…」と苦笑したという。野沢とは同じプロダクションに所属していたこともあり晩年まで親交も深かった。
声優業界でもアルコール好きとして知られていたが、酒の飲みすぎに加え、恒例の夜通しカラオケで体調を崩すことも多かった。またタバコも大好きで、酒かタバコ、どちらかを止めるとしたら酒を止めると語っていた。自身がプロデュースした作品では、たいてい劇中に喫煙や飲酒のシーンがある。鈴置プロデュースの上演脚本は毎度毎度遅々として届かず、稽古ぎりぎりにFAXを受け取りながら進めていったという。その間、鈴置は酒を飲み飲み待ちながら稽古をしていたため、原稿が届く頃には鈴置は泥酔状態でろれつが回らず、余計稽古が遅れたという類の逸話が多々ある。
野球は中日ドラゴンズの大ファンで、幼少期から優勝するのを楽しみにしていたが叶わず、亡くなった翌年の2007年に中日は53年振りに日本一となった。
芸能人では小泉今日子のファンで、結婚しているにも関わらずファンクラブに入会していた事がある。
料理や洗濯などの家事は比較的得意で、とくに料理は三食自分で作っても苦にならないという。
あまり自分の服装や物には拘らない性格だと語っている。
2006年8月6日に逝去したが、その2ヶ月前、賢プロダクションにおけるスクールデュオのWEBラジオにゲスト出演していた。また、同年6月21日にラジオドラマ『星界の断章 『原罪』』のドゥビュース役のパートを収録していた(ドラマは逝去後の9月に放送)。
東京MXテレビによる調査では、訃報前後の一週間にインターネット上の掲示板やブログで上がった話題で「鈴置洋孝」が2位にランクインしている。また、死後一年程経過した「メガミマガジン」の2008年2月号では「メガマガ読者が選ぶ!2007年アニメ10大ニュース!」において「鈴置洋孝さん逝去」が第10位に選ばれた。
また富野由悠季、池田秀一、古谷徹ら『ガンダム』の制作関係者・共演者が、同作関連の雑誌に弔辞を寄せ、他にも古川登志夫、神谷明など複数の声優が自身のHPやファンサイトで哀悼の意を示した。師にあたる野沢那智は「芝居は教えたが、命を失ってまで芝居を守れとは教えたくなかった。本当にかわいい弟子だった」とのコメントを残した。
遺影は生前鈴置が自ら選んだもので、もし何かあったらこの写真を使って欲しいと伝えていたという。
死後、追悼公演として『煙が目にしみる』が再演された。観客席の最前列中央は空席になっており、亡き鈴置も見に来ていたんじゃないかと思わせた。終わりの挨拶に内海賢二は、「鈴置もこのステージのどこかの場面にビールを飲みながら出ていたかも。皆さんの目撃情報を求む」とコメントした。見学に来ていた後輩声優の吉田小南美は、どこかから鈴置に「いい芝居だったろ。拍手してくれよ」との声をかけられた気がして、泣きながら拍手を贈ったと語っている。
2007年9月11日-16日には、鈴置の遺作を基にした『この素晴らしき世界』を鈴置プロデュースの最終公演として上演した。舞台のチラシの裏では追悼公演の「目撃情報」の件に触れ、「しかも何故か見ず知らずの女性の肩を抱いて…納得です。案の定です。さすがです。」と書かれている。この最終公演をもって「鈴置洋孝プロデュース」としての活動は終了したが、麻生美代子を始めとする劇団員の意向により、新しい劇団として再出発する事が発表された。劇団の名前は最終公演の際に公募し「鈴舟」と決定。旗揚げ公演は2008年6月4日-8日に新宿シアターサンモールで絶賛上演された。
鈴置の死後、その持ち役を引き継いだ人物は以下の通り。