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鉄砲伝来 とは?

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鉄砲伝来(てっぽうでんらい)とは、15世紀ヨーロッパから東アジア火縄銃型の鉄砲が伝わったこと、狭義には日本の種子島に伝来した事件を指す。鉄砲現物のほか、その製造技術や射撃法なども伝わった。

出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』


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おすすめ度4.0(全レビューの平均)このシリーズもついに、信長を中心とした戦国時代に入りましたが、本書ではその前に、「戦国時代とはなんぞや」について多くの紙面を割いています。 特に印象的なのは、鉄砲伝来についての我々の誤解と、天下人になれた人と、そうでない人との本質的違いについての記述です。 そんな説明をしないで、淡々と時代に沿って話を進めれば良いのに、あえてこのように一般人の(つまり読者の)誤解を最初に解いておいてから話を進める著者の構成はさすがです。 著者が繰り返し力説する、「コロンブスの卵を作った人間が英雄」と言うのも、朝倉孝景の項を読んでようやく理解出来ました。こういった読者に理解させる例示を持ってくるのがとてもうまいですね。  (jiateng4 さんのレビュー)

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おすすめ度4.0(全レビューの平均)教科書では、一瞬でとおりすぎる倭寇。 実は倭寇は日本人だけではなく、その大半が大陸の人達であることと、 それが中国の海禁政策を背景としていることなど、 お題の着目点が新鮮で興味深いです。 鉄砲も偶然伝来したのではなく、商人根性のなせる業だったんですね。 検証は、100%正しいかどうかは別として、 いろいろ問いを投げかけられている気がして、 思考の幅が広がるシリーズです。  (SlapShot さんのレビュー)

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鉄砲伝来とは、西洋との出会いというよりは、東アジアの海上貿易において倭寇が占める位置を明らかにしているイベントだということなのだが、著者はそれらを語るよりも鉄砲とそれに関わった人たちを描くことに関心があるようだ。 「百年通説の打破」という著者の気負いと実際のこの本自体には、かなりギャップがあると思う。タイトルと最初の部分の記述を読むと、本当のところ鉄砲の伝来はどうであったかを詳細に語るのかと思いきや、実際は最初にさらっと語るだけで、本の残りの大部分は鉄砲事情あれこれ、武芸としての砲術や砲術師や鉄砲鍛冶のことで占められている。正直のところ、タイトルは「戦国期から徳川初期におけるニッポン鉄砲事情」というのが正しいと思う。 本書で一番面白かったのは第八章の朝鮮出兵により朝鮮に降伏した日本人と鉄砲についての記述。司馬遼太郎氏が、加藤清正が朝鮮からつれてきた朝鮮人について書かれたのとは逆に、朝鮮側に降伏した倭人達について書かれた部分は初めて知った事で、へぇ〜と感心。  (エパメイノンダス さんのレビュー)

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ウィキペディア(Wikipedia)記事


鉄砲伝来(てっぽうでんらい)とは、15世紀ヨーロッパから東アジア火縄銃型の鉄砲が伝わったこと、狭義には日本の種子島に伝来した事件を指す。鉄砲現物のほか、その製造技術や射撃法なども伝わった。

「鉄砲」とは日本においてはじめは火縄銃をさす言葉として使われ、後に小銃から大砲まで火器一般を意味する名称となった。

目次

種子島以前

東アジアから東南アジアにおいて、15世紀には中国の海禁政策を行い、また日本の室町幕府との日明貿易(勘合貿易)が途絶した事などにより倭寇(後期倭寇)による私貿易、密貿易が活発になっていた。日本や琉球王国においても原始的な火器は使用されていて、火器は倭寇勢力等により日本へも持ち込まれていたらしい。

鉄砲の伝来は、初期の火縄銃の形式が東南アジアの加圧式火鋏を持った鳥銃に似ている事や東南アジアにおいても先行して火縄銃が使われていた事などから、種子島への鉄砲伝来に代表されるようなヨーロッパ経由でなく倭寇などの密貿易によって東南アジア方面から持ち込まれたとする説がある(宇田川武久説)。しかし欧米や日本の研究者の中には、欧州の瞬発式メカが日本に伝えられて改良発展したものが、オランダによって日本から買い付けられて東南アジアに輸出され、それらが手本となって日本式の機構が東南アジアに広まったとする説をとる者も少なくなく、宇田川説を否定的にみる意見も多い。

種子島への鉄砲伝来

鉄炮記』によれば、種子島への鉄砲伝来天文12年8月25日 (旧暦)ユリウス暦1543年9月23日)の出来事で、大隅国鹿児島県種子島西之浦湾に漂着した中国船に乗っていた「五峰」と名乗るの儒生が西村織部と筆談で通訳を行う。同乗していたポルトガル人(「牟良叔舎」、「喜利志多佗孟太」)が鉄砲を所持しており、鉄砲の実演を行い種子島島主である種子島恵時時尭親子がそのうち2挺を購入して研究を重ね、刀鍛冶の八板金兵衛に命じて複製を研究させる。その頃種子島に在島していた堺の橘屋又三郎と、紀州根来寺の僧津田算長が本土へ持ち帰り、さらには足利将軍家にも献上されたことなどから、鉄砲製造技術は短期間のうちに複数のルートで本土に伝えられた。

やがて鉄砲鍛冶が成立し、戦場における新兵器として火器が導入され、日本の天下統一を左右することになる。室町時代以降も日本の武器製造技術は進歩し、その主要輸出先はオスマントルコであった [要出典](後に徳川家康による覇権の成立後、日本は武器輸出を禁止した)。

伝来当初は猟銃としてであったがすぐに戦場で用いられ、当時の鉄砲はマッチロック式であり、火縄銃と呼ばれた。やがて早合と呼ばれる弾と火薬を一体化させる工夫がなされ、すぐに装填できるよう改良された。実戦での最初の使用は、薩摩国島津氏家臣の伊集院忠朗による大隅国の加治木城攻めであるとされる。九州や中国地方の戦国大名から、やがて天下統一事業を推進していた尾張国織田信長1575年(天正3年)に甲斐武田氏との長篠の戦いをはじめとする戦で、鉄砲を有効活用したとされ、鉄砲が戦争における主力兵器として活用される軍事革命が起こる。

『鉄炮記』について・その他

鉄炮記』は鉄砲伝来を記す唯一資料であるが、江戸時代慶長年間(1606年)に種子島氏が鉄砲伝来を記念して記させたもので、歴史学においては、その記述を無条件に信用するわけにはいかない。

『鉄炮記』には「天文癸卯」(1543年)と記されているが、一方でポルトガル側の史料には鉄砲の伝来を記さないものや、イエズス会の『日本教会史』には1542年(天文11年)の出来事、フェルナン・メンデス・ピントの『東洋遍歴記』には1545年(天文14年)の出来事であると記されているなど年代には諸説が存在する。また、『鉄炮記』に「五峰」と記されている人物は、日本の平戸五島列島を拠点に活動していた倭寇の頭領である王直の号と同じであり、またポルトガル史料にはジャンク船であったと記されていることなどから同一人物であるとも考えられている。

種子島氏に伝わる記録には、ポルトガル人により持ち込まれた鉄砲は明治の西南戦争の際に消失したとされる。また、国産第1号と伝わる鉄砲が存在している。

鉄砲の記述

  • 『北条五代記』に、関八州に鉄炮はじまる事、という記述がある。ここでは、1510年(永正7年)に唐(中国)から渡来したという。

見しは昔、相州小田原に玉瀧坊と云て年よりたる山伏有。愚老若き頃、其山臥物 語せられしは、我関東より毎年大峯へのぼる。享禄はじまる年、和泉の堺へ下りしに、あらけなく鳴物の声する、是は何事ぞやととへば、鉄炮と云物、唐国より永正七年に初て渡りたると云て、目当てと うつ。我是を見、扨も不思議奇特 成物かなとおもひ、此鉄炮を一挺買て、関東へ持て下り、屋形氏綱公へ進上す。(中略)氏康時代、堺より国康といふ鉄炮張りの名人をよび下し給ひぬ。扨又根来法師に、杉房・二王坊・岸和田などといふ者下りて、関東をかけまはつて鉄炮ををしへしが、今見れば人毎に持し、と申されし

  • 大久保忠教の『三河物語』では、松平清康が、熊谷が城へ押し寄せた際に、四方鉄砲を打ち込むと記載されている。1530年(享禄3年)のこととされる。また、今川殿の名代として、北条早雲が松平方の西三河の岩津城を攻撃した際に、四方鉄砲を放つとある、出版社の欄外の解説には、この役は、1506年(永正3年)のことで、鉄砲はこのときないとして、『鉄炮記』の記述を支持している。

鉄砲伝来諸説

  • 『中古治亂記』には、1501年(文亀元年)に、南蛮国から伝来。
  • 『北條五代記』、『甲陽軍鑑』、『重編応仁記』では、1510年(永正7年)に伝来。
  • 『國友鐵砲記』には、1501年(文亀元年)、1510年(永正7年)、1539年(天文8年)、の3回に渡り、南蛮から伝来。
  • 『國友鐵砲鍛冶由緒書』、『國友紀行』には1544年(天文13年)に伝来。

と諸説あり、鉄砲記の伝来年以前とするものもあり、はっきりしない。

関連項目


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