鉄道ファン とは?ページ内リンク ↓ウィキペディア(Wikipedia)記事 ↓Yahoo!知恵袋鉄道ファン 出典: 『はてなダイアリー』 関連商品
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以下は鉄道趣味とされる趣味の例である。それぞれの分野に熱中するファンは、〔 〕内に示すような愛称・俗称で呼ばれることがある。
以上の他にもある。また上記の各カテゴリについては当然重なり合う部分も多く、いくつかの趣味を兼ねる者も多い。
鉄道ファンにとって時刻表とは、単に時刻を調べるための道具にとどまらず、様々な使用法がなされる。主なものは以下のとおり。
旅行の際、大判の時刻表を持っていくのはかさばるからと携帯版の時刻表を持っていく者も増えているが、それでも大型時刻表を持っていく者も存在する。その理由として、複雑な旅行計画を組む鉄道ファンにとって、旅行中に万が一ダイヤが乱れた際行程を立て直すためにはどうしても情報量の多い大型時刻表が要ること、また、列車内や待ち合わせ時間にて暇な際に情報量の多い大型時刻表を見るなどして時間つぶしをすること、さらには、列車のデッキで椅子代わりに使う、列車の座席およびホームで枕代わりにして使うなどが挙げられる。人によっては、大判時刻表の必要な部分だけをちぎったり、コピーする者もいる。
大型時刻表の発行元は交通新聞社とJTBパブリッシングの2社に現在では集約されたため、好みが大きく別れる。前者の「JR時刻表」は優等列車が赤色表示なので分かりやすいということ、後者の「JTB時刻表」は、国鉄時代において公式時刻表「国鉄監修交通公社の時刻表」として長い歴史があり、ページ割りも国鉄時代とほとんど同じであること、大都市近辺詳細図のページが会社別色別で見やすいこと、「グッたいむ」といった読者投稿コラムが乗っていることなどを、それぞれ利点として上げている。
紀行作家の宮脇俊三は「時刻表2万キロ」において、自分の国鉄全線完乗を『「列車に乗る」のではなく「時刻表に乗る」』と評している。
最近は(社)鉄道貨物協会発行の「貨物時刻表」が貨物列車を撮影する鉄道ファンの必需品となりつつある。
鉄道趣味、特に鉄道写真においてはカメラは欠かすことのできない道具である。望遠から広角まで様々な種類のレンズが必要になるため、一眼レフが好んで用いられる。特に一本限りの臨時列車など、一発勝負でミスできない撮影のために、プロ並みに複数のカメラを同時に準備する例もある。通勤中などに不意に変わった車両や変わった運用を目撃したときのため、小型軽量で携行の容易なコンパクトカメラを欠かさず携帯する鉄道ファンもいる。インスタントカメラもこのような使用がなされる。ただしカメラ付き携帯電話の普及で、これで代用するケースも増えている。
銀箱(ぎんばこ)と呼ばれるアルミ製のカメラバッグは、本格的な写真撮影には必須の用具である。もっとも重いため何日も乗り続けるような旅行にはあまり向かない。したがって銀箱を使わずソフトケースを愛用する人も多い。銀箱のほかに脚立と三脚も必須道具であり、有名な撮影ポイントやプラットホームの先端部分では三脚を立てたファンが集い、熾烈な場所取り合戦を展開することもある。ただし、プラットホームにおいて三脚を立てるのはマナーの悪い行為とされる。
鉄道写真を趣味とする鉄道ファンはカメラメーカーのよい「お得意様」である。そのため、カメラメーカーが鉄道ファンを支援することもある。たとえば、富士写真フイルムは、「いい旅チャレンジ2万キロ」を後援していた時期もあり、キヤノンは、ファン雑誌でのコンテストを協賛している。鉄道趣味誌にカメラメーカーが広告を掲載することは現在でも多い。
旅行は必ず鉄道というレールファンも多いが、鉄道写真を趣味とする場合、機材の運搬、交通の不便な撮影地への移動手段として車は欠かせないものと言える。山間部の撮影ポイントや秘境駅などへ移動するために、オフロードバイクを愛用する鉄道ファンもいる。
また、自分の愛車にグリーン車マーク、電子ホーンやタイフォンといった鉄道に関連した装飾や装備を施したり、ナンバープレートの希望番号制度が実施されて後は、機関車や電車等の形式番号に因むナンバーを取得する者も存在する。
主に自動車の運転ができない学生の鉄道ファンに多用されている。また、自動車では入れない狭い道を通り、撮影ポイントまで行くのにも使われる。小回りも効くこともあって、多く使われる。その他、公共交通機関を利用しているファンは撮影地への移動手段として、駅などのレンタサイクルを利用することもある。
輪行した上で鉄道旅行と自転車旅行を同時に楽しみ、上記のように撮影を行う者もいる。
また自転車で廃線探索を行う者もいる。
大多数が男性である。かつては女性は皆無に近かったが、現在ではそれなりにまとまった数がいる。
幼年期の男の子は、その多くが鉄道や自動車などの乗り物に興味を示すが、10代半ばからは、他の趣味(音楽・スポーツ・芸術・本、乗り物でも主に車・バイク・バス・飛行機や船、軍事系)に移行することが多い。しかし、一部の人々は鉄道に対する興味をより深めていき、「鉄道趣味」と呼ばれる趣味を楽しむようになる。なお、鉄道ファンが親となった場合にも、子供にこの趣味を教え込むこともある。
鉄道ファンには、バス・航空・船舶等他の交通機関も対象にするファンも存在する。鉄道ファンだからといって鉄道しか使わないということはもちろんなく、趣味活動の効率を上げるために自家用車や自転車・航空機等を使う鉄道ファンも多い(例:撮影、遠くに鉄道旅行に出かけるとき現地での時間確保を優先して往復に航空機を利用する、等)。一方鉄道及びそれに接続する公共交通機関(路線バス等)を重視するファンもいる。
日本における「鉄道ファン」に対する呼称は一様ではなく、時代や文脈によってさまざまに分かれている。以下、呼称について各呼称ごとにその由来・時代変遷を述べる。
鉄道趣味に関する活動の中でマナーを全くわきまえず、迷惑行為を繰り返す者もいる。車内で他の乗客の迷惑も顧みずに撮影や録音等をする、鉄道を撮影するために他人の敷地に無断侵入したり、ゴミを持ち帰らずに放置する者がいる。挙句の果てには、鉄道会社の展示物や備品を盗むという犯罪すら発生しているほどである。
日本でこのような迷惑行為が増加したのは、1970年代の蒸気機関車全廃に伴う「SLブーム」でファンが著しく広がり、それに続く「ブルートレインブーム」で若年層がよりいっそう流入したことが原因であると考えられている。この時代、列車撮影が盛んになるとともに、撮影名所での場所取り・不法侵入・危険な区域への突入・破壊窃盗行為・列車妨害等々の無法な行為や、過熱した鉄道ファンが沿線で夜行列車撮影のために深夜徘徊することが問題になった[6]。
鉄道ファンは自動車ファンなどと異なって趣味対象を直接所有することはきわめて難しい。鉄道関係のイベントで解体された車両の備品などを購入できたり、車両そのものを譲渡あるいは寄贈してもらったり(斎藤茂太など)するケースはあるが、後者には相応の資金力やコネクションが要求される[7]。こうしたためもあってか保存車両や鉄道敷地内の備品が盗まれすることがある。対策として、保存車両の備品の一部をレプリカに差し替える場合もある。
上記の如くマナーに欠け迷惑行為におよぶ者はごく少数である。しかしイベント列車などの運転、路線の新設あるいは廃止の時などでファンが集まる際、往々にして一部の者による良からぬ行為が目に付き、故に鉄道ファンに対する世間の評価を低下させてしまっている。
また、鉄道ファンは自分の好みに合わないデザイン・サービス・車両等を趣味的観点だけで批判する傾向があり、時としてファン同士で論争になることがある(過去に『鉄道ジャーナル』誌で読者欄における東西大手私鉄のサービスに対する論争がヒートアップし、最終的に読者を直接集めて和解をさせるという形を取ったことがある)。こうした論争は雑誌の読者投稿が中心であったが、インターネットの普及以降は電子掲示板上で顕著化することとなった。また、こうした傾向は一般のファンのみならず鉄道関係の評論(川島令三や原武史など)、あるいは一部の鉄道雑誌にも見られる傾向であり、評論としては中立性に欠くとの声もある。
以下は迷惑行為の例である。
最近の事例では、2007年に東日本旅客鉄道千葉支社でのD51形運転の時に、関係者以外立ち入り禁止区域である鉄道施設への複数侵入があったが、中には単に「蒸気機関車が走る」という珍しさから立ち入り禁止区域での撮影を試みただけというにわか鉄道ファンもいた。また、群馬県安中市の碓氷峠鉄道文化むらにおける保存車の部品盗難が発生したが、後に犯人が逮捕された際、鉄道ファンではなく転売を目的とした窃盗犯による犯行であったことが判明した。鉄道を対象とした騒動・事件のすべてに純粋な鉄道ファンが直接関わっているとは限らないが、ファンによる非合法的な需要が存在するとも言える。
日本の鉄道ファンは、その対象を日本国内の鉄道のみとしている人が多く、日本国外の鉄道を趣味の対象としている人は多くはない。
その理由としては、次のようなものが挙げられる。
かつては「鉄道雑誌以外に、海外の鉄道の情報を得る手段がないから」と言われたこともあった。近年、インターネットの発達により、以前に比べて情報量や即時性の面で改善されているため、(語学力の問題はあるが)「情報の少なさ」という理由は以前に比べ緩和されていると言える。日本語のウェブサイトに限ってみても、(個人の海外旅行記的なページが中心ではあるものの)急激に情報量が増えている。
定量的なデータではなく、あくまで定性的なものであるが、日本の鉄道ファンが日本国外の鉄道に興味を示さない傾向が強いことは、鉄道雑誌において「海外の鉄道を特集に取り上げると、売り上げが落ちる」「海外の記事はいつも人気がない」と言われていることからも窺い知れる[8]。
日本国外の鉄道を趣味の対象とする場合でも、その対象はヨーロッパ(特にフランスやドイツ)、あるいは地理的に近接している台湾や韓国など、きわめて少数の国・地域に偏っている傾向がある。さらに、高速鉄道や観光鉄道など、日本で露出度が高い鉄道だけを趣味の対象としている場合も少なくない。
ただ2000年代に入ってからは、(近代化・合理化が進んだこと、ローカル線の縮小が進んでいることなどの理由で)日本の鉄道に魅力を感じなくなってきている人が増えているのに加え、かつて日本で運用された中古車両が海外(タイ、フィリピン、インドネシア、ロシアなど)の鉄道事業者に譲渡されるようになったことや、格安航空券の普及で日本国外への旅行に敷居の高さを感じなくなったことにより、新たな魅力を求めて日本国外の鉄道に興味を持つ人も徐々に増加している。
また、かつて自身が若い頃に鉄道趣味をしていた現在のリタイア層が、金銭的な余裕も持ち合わせていることにより、日本の鉄道のみならず国外の鉄道を見聞するために旅行するといった現象も起きている。こういった層をターゲットとした旅行商品も用意されるようになり、一般観光旅行よりは高額にも関わらず、多くの参加者を集めるという現象も起きている。
国によっては、鉄道を軍事機密扱いとしている国があったり、治安の問題など、日本国内の常識は通用しない場合があり、事前の調査、準備や、慎重な行動が求められる。
鉄道を趣味の対象とする行為の歴史は古く、鉄道の歴史とともに始まったといわれる。ただし明確な「鉄道趣味人」の登場までには少しばかり時間がかかったようだ。詩人・童話作家の宮沢賢治は鉄道に関心を持ち、自作の中に多くの鉄道を用いた描写があるが、現代的な意味での「マニア」とはいささか異なる。
明確に「鉄道を職業とは異なるレベルで探求する」という人物は1902年から1907年にかけて全国の鉄道写真を撮影して回った岩崎輝彌(1887 - 1956)と渡邉四郎(1880 - 1921)をもって嚆矢とするといわれる。この二人が写真家の小川一真に依頼して撮影した膨大な写真は、「岩崎・渡邉コレクション」として鉄道博物館に所蔵されている。鉄道創世期における「鉄道マニア」は経済的に裕福な層が中心であった。岩崎輝彌は三菱財閥創始者の岩崎家の一員であり、渡邉四郎は渡邉銀行創立者の一族である。また、大正時代にすでに機関車や一等車を趣味で乗り比べていた内田百閒は陸海軍の学校や大学で語学を教える教授だった。
当時の一般庶民の生活水準を考えると、鉄道趣味を含めた、今日的な趣味を行うだけの余裕はなかった。一般庶民のなかに鉄道趣味が浸透するのは、さらに時代が下ってから(一般的には1970年代以降)になる。
昭和初期には「鉄道」(1929年)「鉄道趣味」(1933年)「カメラと機関車」(1938年)といった鉄道趣味を専門とした雑誌も発行されるようになった。もっとも、これらの雑誌は流通機構に乗って発売されていたわけではなく、発行部数も読者数もきわめて僅少であった。この頃から活躍していた鉄道趣味人としては西尾克三郎、高松吉太郎、亀井一男、本島三良、宮松金次郎らが挙げられる。彼らは鉄道写真の大家としても成し、膨大な写真コレクションの数々は今でも十分活用されている。
しかし、昭和10年代になり、国内が次第に軍国主義に傾いていくと、鉄道の軍事的側面が重視されるようになり、軍事機密保護上の理由で高所からの撮影が禁止となるなど、鉄道趣味に対する制約が厳しくなっていった。また戦時体制により用紙の統制が進んだこともあって上記の雑誌も1940年頃までにすべて廃刊に追い込まれ、以後は太平洋戦争の終結まで鉄道趣味活動は事実上、不可能となったのである。
だが、一部の鉄道趣味者は、厳しい看視の目をかいくぐり、涙ぐましい努力と危険を冒しながら趣味活動を続行していた。公共機関の輸送力や時刻表は軍事機密であったため、駅構内などで鉄道車両に直接カメラを向けたり、車両番号をノートに書き留めたりする行為は完全に禁止となった。もし見つかれば、スパイ容疑による厳しい取調べが待ち受けていた。当局の許可を得てようやく撮影した写真も、検閲により容赦なく葬り去られるなど、鉄道趣味の暗黒時代であったが、周囲の目をごまかすため、数学の教科書の行間に車両番号を書き留めたというエピソードはよく知られている。
また、戦争による影響はこうした趣味活動の面のみにとどまらず、戦前に趣味者が蓄積・収集した写真などの記録や各種資料が、空襲により焼失したり、終戦直後の外地からの引き揚げの際にやむなく放棄されたりして多数失われている。
終戦後は国内情勢が混乱していたとはいえ、鉄道撮影に関する制約が少なくなったため、戦後間もない頃でも多くの鉄道写真が一部の趣味者により撮影されている。また、進駐軍が持ち込んだカラーフィルムの一部が日本人向け市場に流れ、鉄道趣味者の手に渡ってカラー写真による鉄道の記録が残されるようになるのもこの頃である。当時のカラーフィルムは高価で品質や性能も良くなく、感度が低く光線漏れが起こりやすい上に経年により退色しやすかったため良質のカラー写真は数が少ないが、近年ではコンピュータによる画像補正技術の進歩と普及により、劣悪であった当時の写真が貴重な記録として日の目を見るケースも多くなっている。
戦後の鉄道趣味雑誌としてはまず1947年に「鉄道模型趣味」が創刊されている。これは本来は鉄道模型の専門誌であるが、実物の鉄道車両に関する記事も掲載されていた。1951年、はじめて一般流通機構に乗った鉄道趣味雑誌「鉄道ピクトリアル」が創刊された。
1953年には日本初の全国規模の鉄道愛好団体である鉄道友の会が設立された。また、旧華族で昭和天皇の皇女・孝宮と結婚した鷹司平通(乗り物通として知られていた)が交通博物館の館長になったりもした。交通博物館が秋葉原に近い神田にできたことで鉄道マニアが集結する場所は秋葉原が拠点となり、他の全くジャンルの違うマニアにも秋葉原の集結の影響を少なからず与えた。現在でも鉄道趣味の情報発信基地は秋葉原と言われることも少なくない。
1960年代に入り、高度経済成長の中、鉄道車両・設備の更新が急速に進められ、秀逸な車両が次々と投入される。だがそれは同時に古い車両の淘汰が進められることと表裏一体であった。またこの時代、道路網の整備とバス路線の拡充により、全国各地の地方私鉄が廃業に追い込まれていった。このような時代背景の中、鉄道趣味といえば鉄道車両・列車とそれに伴う鉄道撮影が主体であった。切符収集などもあったが、少数派であった。
鉄道趣味雑誌としては「鉄道ピクトリアル」に続き、1961年には「鉄道ファン」、1967年には「鉄道ジャーナル」が創刊された。これらも記事の中心は鉄道車両や列車であった。1962年からは「鉄道ピクトリアル」誌上に廃線に関する記事も掲載され、廃線跡趣味の嚆矢ともなった。
1970年、「ディスカバー・ジャパン」キャンペーンが始まった。1970年代に入ると蒸気機関車の減少が社会的関心事となり、多くの人々が蒸気機関車の見物や撮影を行うようになった。いわゆる「SLブーム」である。これに乗じた形で1972年に新たな鉄道趣味雑誌「SLダイヤ情報」(1976年に「鉄道ダイヤ情報」に改題)が創刊された。同年には、日本の鉄道開業100周年を記念して、日本初の蒸気機関車動態保存施設「梅小路蒸気機関車館」が、京都市の梅小路機関区の扇形庫を利用して開設され、日本の近代型蒸気機関車16形式17両が同館に収められた。
1976年に蒸気機関車が全廃されると、今度は現在では減少が進む客車寝台特急列車(ブルートレイン)を撮影する人々が増えた。いわゆる「ブルートレインブーム」であった。このSLブームとブルートレインブームにより低年齢層を中心に鉄道ファンが急増したが、反面、鉄道ファンの質的低下を問題視する声も出るようになった。もっともSLブームと違ってブルートレインブームは趣味人の中心が小学生・中学生であったためか、休日や休日前日の深夜の駅での撮影など風紀上の問題はあったが、マナーの問題はさほど出なかった。さらに1978年10月のダイヤ改正で国鉄の特急電車に絵入りヘッドマークが採用されると、そちらも人気を集め、多数の特急が発着する上野駅のホームでは休日となると、撮影に訪れたたくさんの少年ファンで賑うようになった。
1978年に宮脇俊三が国鉄全線完乗を達成し、その過程を綴った『時刻表2万キロ』を発表した。さらに国鉄が「いい旅チャレンジ20,000km」キャンペーンを実施したことや、宮脇のほかに種村直樹の執筆活動もあって、鉄道旅行が鉄道趣味の一分野として定着してきた。
また当時は国鉄分割民営化という、当時としては世界にも類を見ない巨大事業が進められていたことや、川島令三などの執筆活動の影響により、独自の理論を構築する鉄道ファンも増加した。
鉄道に関する書籍も様々な視野からのものが発行されるようになったことや、情報技術(IT)が普及し、ニフティサーブの鉄道フォーラムやネットニュースのfj.rec.railなどによって情報発信・閲覧が容易になったことなどから、次々と新しいタイプの趣味が生まれ、鉄道趣味の多様化が進んだ。1995年頃からWindows95の発売などもあって個人で鉄道趣味に関するウェブサイトや電子掲示板を開設する愛好者も増加していった。
インターネットのさらなる普及で1990年代後半以降に見られた趣味者による個人ホームページ・電子掲示板の開設がますます進んだ。また画像や音声のデジタル化技術が進歩したこともあって、撮影した鉄道画像や録音した鉄道音声の公開・投稿が盛んに行われるようになった。さらには鉄道趣味専門のポータルサイトや電子掲示板サイトを運営する者も現れた。これらによって情報が即時に鉄道ファン同士で交換できる環境が整い、素早く鉄道情報が入手できるようになった。また、103系・113系・485系・キハ58・0系などの国鉄時代からの看板車両の廃車やブルートレインなどの人気列車の廃止が相次いでいることや、過去に廃止された国鉄の人気列車の復活運転が相次いで行われたことをきっかけに、いわゆる国鉄ブームが到来し、鉄道ファンも増加傾向にある。そのため新規鉄道ファンの中には国鉄時代を懐かしんで定年退職後の趣味として鉄道を選択した年配層もかなり多い。
野村総合研究所オタク市場予測チーム による「オタク市場の研究」(東洋経済新報社)によると、鉄道ファンは約2万人、市場規模は40億円と推定されている。趣味の分野によってつぎ込む金額は異なるが、模型、コレクションの分野では支出額が大きくなると分析されている。
ただし、同研究所の報告では、鉄道趣味は「販売数・利用者数の減少による商品供給の鈍化」「新規利用者が減少」により、「安定・衰退期」にある趣味と分析しており、市場規模は今後は縮小、良くて横這いになると分析している[1] 。このことは即ち、鉄道趣味分野に対する新規ビジネスの成立が、きわめて困難であることを意味する。
その傾向は、鉄道趣味雑誌の販売数減少や、鉄道研究会・鉄道趣味団体の会員数減少・解散などの形で、はっきりと現れるようになってきている。
ただし2007年には、ドラマ「特急田中3号」が放送されたり、アニメ「鉄子の旅」が放送されるなど女性の鉄道ファンが増加し、鉄道趣味を取り上げたテレビ番組が放送されるようになり、また団塊の世代の定年退職後の新たな趣味として注目されるようになるなど、新たな展開が期待される。
鉄道ファンはもちろん個人でもやっていくことはできるが、鉄道趣味を持つ他者と交流することにより、様々な情報を入手できたり、鉄道趣味の未経験分野に関する見聞を広めることができるなどの利点がある。このため鉄道趣味に関するサークルを作るファンは多い。
鉄道趣味サークルの代表的なものが、学校のサークル活動・部活動の一つである鉄道研究部・研究会である。元部員・会員を中心に略して「鉄研」とも呼ぶ。川島令三が芦屋高校鉄道研究部の立ち上げ人であり、東海大学鉄道研究会出身ではあるが、下記に挙げた鉄道ファンの著名人すべてが鉄道研究部・研究会の類に入っていたわけではない。活動中・休部中問わず全国の大学・高等学校・中学校にある鉄道研究部・研究会の数は数えるのが困難なほど多い。
神奈川県には、神奈川県高等学校文化連盟の一組織として、神奈川県高等学校鉄道研究部連盟(神奈川県高鉄連)が存在し、神奈川県内の高校の鉄道研究部等が加盟している。また、毎年行われる神奈川県高等学校総合文化祭において鉄道研究発表会を実施している。高鉄連が存在するのは神奈川県だけである。
鉄道研究部の活動は各校異なるが、おおむね以下のようなものがある。
学校レベルでの部誌の中には、一般書店の鉄道コーナーで販売されるものもある。部誌は白黒の単色刷りのものが多いが、一部にカラー刷りのものもある。研究発表活動は、取材の成果(写真・データなど)や鉄道模型の展示などが基本である。
特に長い歴史と多大な活動実績を持つ鉄道研究部の中には、5大鉄道趣味雑誌(鉄道ファン、鉄道ジャーナル、鉄道ピクトリアル、レイルマガジン、鉄道ダイヤ情報)から執筆を依頼されたり、鉄道会社からイベントへの参画が来たりすることもある。
通常、会員はその学校の学生・生徒に限定され、その学校の教職員が顧問を務める。学生時代に会員であった学校出身者によるサークルが存在することもある(例:赤門鉄路クラブ)。
ある一つの学校の学生・生徒だけで構成される学校鉄道研究会だけではなく、一般に入会希望者を募り、活動している鉄道サークルもある。代表的なもので鉄道友の会や鉄道資料交換会(RSEC)、Rail-On(JR東日本公認のファンクラブ)など。 これらは貸切列車を仕立てた大規模な懇親イベントや鉄道模型の運転会、あるいは貴重な歴史的鉄道車両の保存・維持管理など、個人では不可能な活動を実現することを活動の目的としていることが多い。
東京都には昭和鉄道高等学校、岩倉高等学校という鉄道関係の学科を持つ高等学校が存在する。高校の授業として鉄道が学べることや、在校中にJR、私鉄駅での実習やアルバイト(私鉄のみ)までできること、鉄道関係各社局への就職率が高い等の理由で鉄道ファンの生徒も多い。
Category:鉄道雑誌および 鉄道雑誌の一覧#日本も参照
鉄道ファン向けの雑誌も多数刊行されている。