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アメリカ空軍軍楽隊 /
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銃剣は17世紀、フランスのバイヨンヌで起きた農民同士の争いから偶然に発明された。この時、興奮した農民が、マスケット銃の銃口にナイフを差込み、相手に襲い掛かったと伝えられている。この発祥地の地名から銃剣のことをバヨネット、ないし、ベイオネット(Bayonet)と呼ぶこともある。
当時はマスケット銃を用いた銃兵隊が組織されていたが、マスケット銃は単発射撃しかできず、戦闘においては射撃と射撃の合間に敵の歩兵や騎兵の突撃を受ける恐れが高く、突撃を許すと近接戦闘の手段が剣しかない銃兵はひとたまりも無かった。このため当時は、銃を持つ兵士の傍には常にパイク(槍に似た長い棒状の武器)を装備する槍兵を置く必要があったが、銃剣の採用により銃兵は敵の歩兵や騎兵の突撃を単独で迎撃することが可能になった。それにより役目のなくなった槍兵は銃兵に更新されると共に、全歩兵を銃兵とすることが可能となり、戦闘能力の向上につながった。
形状はソケット型装着方式の「槍型」とサバイバルナイフ形状の「剣型」があり、ソケット式のものを特に「銃槍(じゅうそう)」と呼ぶこともある。初期には柄を銃口に差し込み用いるソケット式が開発されたが、装着状態では次弾が装填できないという欠点があり、さらに敵に突き刺すと簡単に抜けてしまい次の攻撃が出来なかった。この欠点を改良した物として銃の右横に出る形で取り付けるタイプが発達した。これは当時の銃が前装式(先込め式)だったため、装填作業が行えるよう右側につける形になったものである。その後、後装式長銃が発明されたのと同時期に、銃口の下部に銃剣設置用の器具が取り付けられ始めた。槍型も一部で用いられたが、大部分は剣型であり、両方共に、突く事も斬る事も(叩く事も)出来る型式であった。
銃の有効射程が短く発射間隔も長かった18世紀には銃剣突撃は各地の戦場で絶大な威力を発揮した。19世紀以降、連射式の銃が一般化すると銃剣突撃は大きな犠牲を伴うようになっていったが、それでもなお、銃剣突撃による白兵戦は陸上戦闘の一般的な様式として存続した。日露戦争でも大規模な白兵戦が行なわれ、銃剣の使用が有効であった。しかし第一次世界大戦では、初期においては銃剣突撃が実施されたが、機関銃の登場による阻止火力の飛躍的増大より、正面から銃剣突撃を仕掛けるだけでは犠牲ばかり大きく突破困難になった。機関銃一丁で一個大隊の突撃を止められるとまで言われ、しばしば集団自殺の様相を呈した。これ以後、陣地攻撃は浸透戦術や機甲突破が用いられるようになり旧来の銃剣突撃の時代は終わった。短機関銃や突撃銃の普及で銃剣に頼らずとも近接戦闘が容易になったことも銃剣の地位低下に拍車をかけた。しかし現代でも敵陣地を最終的に陥落させるため銃剣突撃が行われる。
銃剣の長さは第二次世界大戦を境に短くなった、日本の三十年式銃剣アメリカのM1905、イギリスのM1917など第二次世界大戦前に採用された銃剣は長さ40センチ強の刀身を持っていたが、戦時中には25センチ前後にまで短くなった。 これは銃剣の長さが白兵戦での優劣にあまり影響しないことが判明したこと、騎兵の衰退により馬上の騎兵に届く槍としての長さが不要になったことが理由と言われている。
日本には天保年間、高島秋帆の「洋式調練」以来、幕末期に洋式銃と共に導入された。
大日本帝国陸軍では、銃剣のみ配備された部隊があり、小銃の代わりに「戦場ニ於テ着剣銃ニ代用スベキ刺突用具」というサポート機材を作成使用していた。ただし、着剣し、白兵戦で刺突に使用した小銃は、その衝撃で照準器がずれることが多く、照星や照門の微調整をやり直す必要があった。
日露戦争~太平洋戦争に使われた大日本帝国陸軍の三十年式銃剣は、全長40㎝あまりのうち先端から19㎝の処迄しか刃が付いていない。銃剣は突き刺すための槍として使う刃物であり、日本刀のように切り付けることを目的としていないのでこれでよかったのである。実際に同年代の諸外国でも突き刺すことのみの銃剣も多い。しかし、当時の日本人の感覚としては日本刀には鍔元まで刃があるのが普通であったため、各自がヤスリで削ったりして刃を付けた物が多く存在した。しかしその場合、刃の部分に硬化処理などをせずにただ削っただけのものがほとんどで、粗悪な密造刃物と同様のものである。したがって、それらを実際に叩きつけたりすれば、容易に刃が欠けたり潰れたりすることは確実であったと推測される。
現代の歩兵銃の主流であるアサルトライフルは近接戦闘にも対応できるため、銃剣突撃が行われる機会は減った。 しかし軍隊において着剣戦闘訓練は歩兵の必修科目として認知され続けている。銃剣もまた、歩兵が持つべき最低限の武器であり続けている。
現代戦での実用性は極めて低いが、威圧と儀杖には重宝されている。カービン銃からブルパップ型銃にいたるまで例外なく着剣可能であることが要求され続けている。外見の威圧感や、観閲式や儀仗での見栄えの良さなど精神的な意義は大きいといえる。
新兵の基礎訓練の一環として、相手の顔が見える距離で人を殺す行為への訓練をつむため、あるいは弾丸の尽きた後の最後の武器として、はたまた死んだふりをする敵兵をチェックするための道具として使用され続けている。
銃剣を装着したまま発砲すると、銃口のジャンピングが抑制されるため、弾道が低落する。しかし、手から最も離れた銃口近くに重量物をとりつけるとモーメントが大きく、保持が難しくなるので射撃精度を上げる目的で着剣する事はない。保持また発射時に衝撃波が銃剣に反射して、銃弾に干渉するため、集弾密度が拡散する。また発射薬に含まれる硫黄、硝酸などの酸化粒子が銃剣に付着し、発錆を促進する弊害もある。
現代の銃剣は戦闘以外の雑用にも便利なナイフ型が主流である。 塹壕を掘るためのスコップとして使用する想定は以前からなされていたが、近年では銃剣の多機能化が進み、ワイヤーカッターやドライバー、鋸など、様々な機能を併せ持ち、鞘と合わせてサバイバルナイフ化された物も配備されている。
日本の自衛隊は発砲が非常にまれなことから(海外活動においても、弾倉内に弾を入れておくことが禁止されている場合すらある)、カンボジアでのPKO活動の際に、隊員が64式小銃から弾倉を外しているのに気付いた政府軍兵士や現地の人から「案山子」などと馬鹿にされる場合もあったといわれる(杉山隆男『兵士に聞け』など)。そのような場合でも、着剣した小銃の威嚇効果は大きく、現地の自衛官が「一番頼りになった道具は銃剣でした」と言った、というジョークも生んだ。
なお、銃剣は武器である為、日本ではそのままではたとえコレクションとしても、民間人の保有は許されない(着剣装置を破壊した状態、もしくは刀身に二度と刃が付けられない様に加工した状態でのみ許される)。
日本では、大日本帝国陸軍の銃剣術を元に、武道としてスポーツ競技化した、銃剣道(じゅうけんどう)があり、全日本銃剣道連盟が統括している。剣道で使用されるそれに似た防具をつけた者同士が、銃剣に見立てた「たんぽ(クッション)」付きの木銃を用いて、一対一で突き、当てる競技である。現在の自衛隊の銃剣訓練には、この銃剣道と、戦後に制定された自衛隊銃剣格闘が併用されている。後者は棒術に近く、銃剣道の様な銃剣による刺突攻撃だけでなく、斬撃や小銃の銃床を利用した殴打(叩く)の他、弾倉による打撃攻撃が一般的に加わった物を指す。
また、銃剣を想定した短い竹刀を使って行う短剣道と言う競技もある。
FA-MASのようなブルパップ方式の小銃は、長さの面で、通常型の小銃と比べて、着剣戦闘力に難があることが知られている。
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