長沼宗政 とは?ページ内リンク ↓ウィキペディア(Wikipedia)記事 ↓Yahoo!知恵袋長沼 宗政(ながぬま むねまさ、応保2年(1162年) - 仁治元年11月19日(1241年1月2日))は鎌倉時代前期の武将。長沼氏の祖。小山政光の次男。小山朝政・結城朝光らの兄弟。母は宇都宮宗綱女。初め五郎と称し、後に淡路守と号した。 出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』 ウィキペディア(Wikipedia)記事長沼 宗政(ながぬま むねまさ、応保2年(1162年) - 仁治元年11月19日(1241年1月2日))は鎌倉時代前期の武将。長沼氏の祖。小山政光の次男。小山朝政・結城朝光らの兄弟。母は宇都宮宗綱女。初め五郎と称し、後に淡路守と号した。 寿永2年(1183年)源義広(志田義広)を下野国で討ち、その後源頼朝に従って平家追討に従軍した。文治5年(1189年)頼朝の奥州征伐に随行した。頼朝から信濃国善光寺地頭職を与えられたが、承元4年(1210年)8月に改替。正治2年(1200年)11月、美濃国大榑荘の地頭職を得た。その後、建仁3年(1203年)の比企能員追討、元久2年(1205年)の畠山重忠追討に従い、更に承久の乱にも従軍した。その直後、摂津国守護職・摂津国藍荘地頭職を得て、更に淡路国守護職、淡路国笑原保・上田保地頭職を給与され、国守・守護を兼帯して淡路国を支配した。摂津国守護職はその後改易されたが、淡路国守護職は鎌倉時代末期まで相伝され、貞応2年(1223年)には淡路国の大田文まで作成された。寛喜2年(1230年)8月に嫡子長沼時宗に譲与した所領は、本領の長沼荘・下野国御厨別当職・淡路国守護職を始めとして、武蔵国・陸奥国・美濃国・美作国・備後国などの諸国に及ぶものだった。仁治元年(1240年)11月19日に、下野国長沼荘(栃木県芳賀郡二宮町)で79歳で没した。 参考文献
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