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長門型戦艦(ながとがたせんかん)は、大日本帝国海軍の戦艦の艦型のひとつで、八八艦隊計画により最初に作られた戦艦。長門と陸奥の2隻が建造された。 2番艦の陸奥は、ワシントン海軍軍縮条約で完成しているかどうか問題になり、結果として陸奥の建造は認められたが、代償としてアメリカ海軍はコロラド級戦艦2隻の建造(別に1隻が既に完成。)、イギリス海軍は戦艦2隻の新造を認められた。
艦形について当初は前檣を三脚マストにする予定だった。だが、ジュットランド沖海戦の戦訓を取り入れ、耐震性に優れる強固な主檣に六本の副檣を合わせた七脚檣を採用した。 艦首は水線付近で60度の傾斜を持ち、上部を垂直とする独特のスプーン・バウを採用した。これは当時、決戦海域に配備する予定だった秘密兵器・一号機雷を乗り切るための形状だった。 主砲塔は英国から提供されたクイーン・エリザベス級の設計図を参考として、これと同様に連装4基を前後に背負式で配置した。 就役後の長門型戦艦は運用面で艦隊側から、良好な評価を得た。加速・減速性能は就役中の日本戦艦で最良であり、旋回半径は扶桑型や伊勢型よりも大きかったものの、速度低下は少なかった。また、舵の利きもよく、艦の保針も容易であることから、日本戦艦で最良の運動性を持つと評価された。 主砲塔の減少に伴い居住区を広く取れたため、乗員からも歓迎された。 また機関に最新のギヤードタービンを採用し、巡洋戦艦並みの速力26.7ノットを記録したが、速力は機密とされ、公表23ノットとされていた。この最高速力は、改装に伴う重量増加により25ノットに低下した。なお、1920年代の米国資料には「日本の公称は23ノット、でも機関の能力から考えて24.5~25ノットは出るはず」とあり、1936年に米国で出た大改装前の長門を示す資料でも、24.5ノットと認識されていた。 なお、改装前の長門型は燃料を3分の2搭載した状態では25.5ノットが最高とされていた。また、改装後に10/10全力公試で排水量43,473トン、機関出力88,445馬力での25.8ノットを発揮したことがある。こうしたことからも、改装による速力低下は実質的には最低限に抑えられていた。レイテ沖海戦で同部隊の大和が26ノット以上の速度で2時間半以上走り回っても、同行する長門が後落しなかったことが、このことを証明している。 航続力は16ノットで5,500浬だったが、改装で10,600浬とほぼ倍加した。 当初は改装時に機関換装を行い、速力を29.3ノットに向上させると共に、機関改善によって捻出したスペースに格納庫を設置し、9機の航空機を搭載する予定だった。搭載機用のエレベーターも昭和7年に日立製作所より、横須賀工廠に納入されたが、中止され、改装は重防御重視となった。 なお、同型の設計は一般的には日本独自のものとされているが、長門型のタービン主機は米国ウェスチングハウス社の基本設計によるものであり、長門の歯車減速装置は同社からの輸入品であった。陸奥は同社から歯切盤を輸入して国内で歯車を削りだしたものである。このように、一部はまだ輸入に頼る部分もあった。とはいえ、日本独自の設計が多い本型は、大きな問題を起こさなかった。こうしたことからも、長門型建造のころには、日本の軍艦建造技術が一応、世界レベルに到達していたことが証明された。 長門型戦艦は建造時(1920年)では、世界最大・最強・最高速の戦艦であった(大きさ、速力では同時期に建造されたフッドが上回るが、これは巡洋戦艦)。長門型と同クラスである16インチ砲を備えた、ライバルのコロラド級(3隻/1921年)、ネルソン級(2隻/1927年)と合わせて「世界のビックセブン」と讃えられた日本海軍の象徴であった。 また、昭和9年から行われた大改装により攻防力が大幅に向上し、ネルソン級戦艦や各国の35,000トン級条約型戦艦(米ノースカロライナ級、英キングジョージV世級、仏リシュリュー級、伊ヴィットリオ・ヴェネト級、独ビスマルク級などの新型戦艦を指す)に対抗できるだけの戦力を、額面上は維持し続けた「最強の旧世代戦艦」と言っていい艦型である。 主砲長門型の主砲は大正4年(1915)に、米海軍が今後戦艦主砲に16インチ砲(40.6センチ砲)を採用することを予測して、開発されたものである。 国内で実用化された最初の戦艦用主砲であり、さらに世界で最初に採用された16インチ級艦砲であった。級、と断り書きするのは、長門型の主砲口径で40.6センチではなく、正41センチだからである。 この主砲は大正6年(1917)に「四十五口径三年式四十一糎砲」として正式化されたが、ワシントン海軍軍縮条約の結果、戦艦の主砲口径が最大16インチとされたため、条約調印後の大正11年(1922)3月29日に呼称が「四十五口径三年式四十糎砲」と変更されている(実口径41センチに変更はない)。 本砲の砲身直径67.4センチは英国の15インチMk.Iよりも小さく、技術的に優れた軽量砲であった。性能的にも、米戦艦コロラド級や、英戦艦ネルソン級の16インチ砲より全般的に優れており、米新型戦艦のSHS(初速低下と引き替えに、水平装甲への打撃力を大幅に増した大重量砲弾)を搭載した16インチ砲を除けば、最強の16インチ級艦載砲と言えた。 建造当初の性能は、初速790m/s、最大射程30,300m(最大仰角30度/俯角5度)、砲弾重量1,000kg(五式徹甲弾)、砲身の命数は250発、距離20キロでの垂直装甲貫徹力は271ミリであったが、改装により未成に終わった加賀型戦艦の主砲塔と換装され、砲弾の改良もあって大幅に強化された。 改装後の性能は初速790m/s、最大射程38,430m(最大仰角43度/俯角2度)、砲弾重量1,020kg(九一式徹甲弾)、砲身の命数は250発、距離20キロでの垂直装甲貫徹力は454ミリであった。 また、建造時には砲の駐退機構と揚弾機への動力供給能力不足により「斉発(多連装砲塔が、搭載砲を同時に発砲すること。全砲を一斉に発射する場合も斉発と呼ぶ)」を多用すると射撃速度が低下するという問題があった。これは改装により、弾庫及び装薬庫の移送機能強化、装薬缶の形状変更などの改善がされている。 この改善により、それまで常用されてきた搭載砲の半数ずつを交互に発砲する「斉射(交互一斉打ち方)」だけでなく、全搭載砲の斉発を問題なく行えるようになった。しかし、斉発可能となったことにより今度は揚弾能力の不足が問題となった。昭和14年の『術科年報』によると、斉射による交互射撃では16秒ごとの砲撃が可能だが、斉発では30秒前後が精一杯とされ、実際には最初の10発ですら平均50秒近く要する艦や、長門の3番砲のように41発目以降の揚弾で100秒を越える艦があるなど、要求された発射速度を達成できなかった。 実際の発射速度は、昭和14年の艦隊演習時では、最良で40秒、最悪で1分20秒であった。これは14インチ砲の記録だが、長門型の41センチ砲もほぼ同等とされている。 また命中率改善のために、各砲の射撃タイミングをわずかにずらす九八式発砲遅延装置が搭載された。これにより、全砲による斉発を行った場合、1発の命中弾(水中弾を含む)が75%で期待できる距離が34,500mとなったとされた。しかし実際には25,000mを越える距離での着弾観測が困難であること(32,000mまでの測距は一応信頼が置けるが、近弾以外の弾着水柱を確認できないので、観測機を併用しなければ着弾修正が難しい)から、遠距離射撃に対する問題は解消されていなかった。 演習時の観測機使用による主砲の散布界は、昭和15年度の昼間乙種戦闘射撃実施記録では、自艦速力21ノットのさいに長門が32,500mで遠近261m/左右102m、命中率は15.7%(水中弾による命中を考慮した第二有効帯を含めるなら、17.5%)、陸奥が32,300mで遠近200m/左右52m、命中率14.9%と優れた数値も残っている(ただし、陸奥は同じ演習で28,300mで12発撃って命中0、長門も命中1など、あくまで目安でしかないことに注意)。 さらに昭和19年12月に、一度充填した砲弾を他の弾種に変更する機構を追加設置したとされている。 副兵装前型である伊勢型に引き続き「五十口径三年式十四糎砲」を搭載した。搭載位置は両舷の最上甲板と上甲板の二段ケースメイト配置に装備され、単装砲20基を搭載した。伊勢型よりも船体容積が増したため、副砲により居住空間が狭くなる弊害は少しは改善された。その他に「四十口径三年式八糎高角砲(実口径は3インチ)」を第一煙突両脇のシェルター甲板に2基ずつの計4門搭載した。 改装により、三年式8センチ高角砲を降ろし、代わりに八九式12.7センチ連装高角砲4基(計8門)を搭載した、重量問題などもあり副砲2門を降ろしている。 さらに昭和18年6月に、二号一型電探を搭載した。マリアナ沖海戦後に副砲2門撤去の代償として、二号二型電探、一号三型電探各2基搭載、対空機銃増設(計98門)を行った。レイテ沖海戦後には、副砲4門撤去の代償として、八九式12.7センチ連装高角砲2基(計12門)、25ミリ機銃30門(計128門)を増設している。こうした装備のほとんどは、昭和20年6月に本土決戦に備えた特殊警備艦となった際に降ろされている。 さらに、53.3センチ魚雷発射管を8門(4基を水上設置の半旋回型とし、残りは水中装備)搭載していたが、改装時に撤去された。 防御構造(改装前)建造中にユトランド沖海戦が起こったことから、長門型は同海戦の戦訓である「水平防御の強化、高速の実現」を反映した、初のポスト・ジュットランド型戦艦として完成した。水平防御は元設計よりも1インチ強化され、70ミリ+76ミリで計146ミリあった(機関出力も元計画の60,000馬力より20,000馬力強化され、1.5ノット増加の26.5ノットという計画となっている)。 主砲塔前楯と側面は12インチ(305ミリ)、上面は6インチ(152ミリ)であり、コロラド級の18/9~10/5インチに比べ、前面は薄いものの、遠距離での砲戦には対応していた。ただしネルソン級は16/11/7.25インチなので改装前の長門型を上回る重防御だった。 垂直防御は水線部305ミリ+傾斜装甲76ミリであり、343ミリのコロラド級とほぼ同等、330~356ミリ18度傾斜(垂直換算だと400ミリ以上)のネルソン級よりは劣っていた。 水中防御は舷側装甲の下端から下方内側に傾斜した防御隔壁を備え、鋼板を3枚重ねた構造となっており、さらに水中弾防御として76.2mmHT鋼の隔壁を備えていた。水中防御区画の幅は6.2mであり、防御構造を加味する必要はあるが、コロラド級の5.334m、ネルソン級の5.625mを上回っていた。 防御構造(改装後)なお、改装により、各部位の防御力は大幅に強化された。砲塔防御は前楯に+203ミリ(合計508ミリ)、側面に+50.8ミリ(合計356ミリ)、天蓋に+76.2~101.6ミリ(合計229~254ミリ)となっており、バーベットも508ミリとなっていた。他国を含むすべての近代戦艦を見渡しても、本型よりも主砲塔防御が強靱なのは大和型だけであった。 垂直防御は、弾火薬庫部分の傾斜装甲に127~280ミリを加え、305ミリ+203~356ミリと非常に強力だった(ただし、弾火薬庫部分以外は新造時の305+傾斜装甲76ミリのままであった)。 水平防御は弾火薬庫部分で69.85ミリHT+127ミリNVNC+50.8ミリHT(合計247.65ミリ。1枚板換算だと180ミリ程度)。機関部の水平防御は50.8ミリHT+69.85ミリHT+25.4ミリDS+50.8ミリHT(合計196.85ミリ。1枚板換算だと140ミリ程度)とかなり強化されていた。 水中防御はバルジを加え約9mの幅となっていた。これはテネシー級(改装後)の7mを大幅に上回るものであり、全ての近代戦艦を含めた中でもかなりの水中防御力を備えていた艦型と考えられる。 艦橋構造について本型から近代戦艦的な艦橋構造になった。前部艦橋は頂上部に円筒状ケース内に射撃方位盤を収めた射撃所とされ、水線からの高さは約41mとされている。その下部は射撃指揮所、その下は檣楼指揮所とされ、半段下がって両側が副砲指揮所となっている。その次は列強の中でも大型の10m主砲用測距儀が置かれた高所測距儀所とされ、測距儀はレール上を旋回するという珍しい方式となっている。 その他竣工時の長門と陸奥の識別点は様々な点があり、主なものでは主砲塔用測距儀が長門は波式6m測距儀で陸奥は武式8m測距儀で大型化している(改装時に両艦とも10m測距儀と交換)。また、艦首からの眺めでは菊の御紋章の位置が長門よりも陸奥の方が上がっている点も挙げられる。 歴史
同型艦関連項目
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