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青森市(あおもりし)は、青森県の市で、同県の県庁所在地である。中核市に指定されている。
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本州最北端の中核市である。かつては青函連絡船、現在は津軽海峡線 東日本フェリーを通じて、本州と北海道を結ぶ玄関口としての顔を持つ。8月に開催される青森ねぶた祭は、東北の夏の風物詩として大変有名である。少子高齢社会の到来と豪雪への対策として、中心地域をあえて拡大させない「コンパクトシティ」構想を発表し、注目を浴びている。
また、2010年には、東北新幹線・新青森駅の開業が予定されている。
北は陸奥湾に面し、陸は南に八甲田山を有する自然に恵まれた青森平野を中心とした市である。市の中心にある青森駅は東北本線、奥羽本線の終着駅であり、青森市は本州と北海道を結ぶ交通の要衝の町として発展してきた。
現在の青森市中心部はかつては善知鳥(うとう)村という小さな漁村であった。善知鳥の語源については、鳥のウトウ(浪岡町との合併以前は市の鳥に指定されていた)から採られたと言う説や、アイヌ語の「ウトウ(突起)」に由来するという説などがあるが、はっきりとは分かっていない。伝説ではあるが允恭天皇の時代の善知鳥(烏頭)中納言安方にまつわる逸話が残されている。かつては安潟という湖沼がこの地にあり、漁師達が漁港に使っていた。
堤氏は防衛上の理由から、荒川の流れを東側に変え堤川としたため、安潟は善知鳥沼となり、徐々に干拓されていった。堤氏は後に横内城を本拠とするが、建物は津軽藩の青森港が出来た後の地図である「青森之図」にも「古館」として記述されており、これを青森港の前身と見る意見もある[1]。
やがて弘前藩二代藩主津軽信枚(つがる のぶひら)の時代、港町青森の建設が始まる。森山弥七郎(1574年(天正2年)-1666年(寛文6年)。墓は油川)が信枚の命によりその仕事に当たった。これは、1625年(寛永2年)、幕府年寄衆により弘前藩から江戸までの廻船が認められたことがそのきっかけとされている。
外ヶ浜(おおよそ現在の青森市)にはすでに中世以来の港町大浜(現在の油川)があり、また、堤に宿場があったにもかかわらず、青森にわざわざ港が作られたのは、従来からの有力商人を排し、新しい開発の拠点をつくる必要であったからと考えられている。
なお、従来青森に港町が開かれた理由は、大浜が遠浅で大船の入港に向かなかったこと、あるいは弘前との距離などであるとされていた。しかし、青森でも大浜でも大船は接岸できず、はしけを使った荷役をしていたこと、また、青森は冬の西風を避けられないが、大浜では比較的その影響が小さいことから、従来の説は疑問視されはじめている。
維新期、青森村では大火がたびたび起こる。
1871年(明治4年)9月、県庁が弘前から移され、県の県庁所在地となることが決定した。弘前ではなく青森が選ばれた理由は、地理的な条件や海運などからと言われる。
青森と言う名前の語源は、現在の本町五丁目、当時は米町と称していたところに、松が青々と生い茂る、漁船の目標になっていた小高い丘が古来から青森と呼ばれていたからとされる。「青い森」の略であるというのが一般的だが、アイヌ語の「ア・オ・モリ(突き出た丘)」から来たと言う説もある。
青森市は豪雪の町として知られ、都道府県庁所在都市では唯一の特別豪雪地帯に指定されている。1945年(昭和20)年2月21日の209cmが気象台の記録では最大の積雪である。また、1981年(昭和56年)には青森市内で196cmもの積雪を記録、最近では2005年(平成17年)に178cmを記録している。青森市のような豪雪都市で30万人を超える人口を持つ都市は世界的にみても珍しく、現在、30万人規模の都市で、降雪量は世界一と言われている。
一方、初夏の時期は、偏東風が太平洋上の寒流である千島海流を超える際に発生するやませと呼ばれる冷涼な東風が吹き、7月でも全く気温が上がらない日もある。このため、しばしば農作物が冷害の被害を受ける。またこの時期山間部では濃い霧が発生することが多く、青森空港の欠航はこの時期に集中する。
近年では梅雨がない北海道の札幌市よりも夏季の降水量が少ないこともある。
| 代 | 氏名 | 就任年月日 |
|---|---|---|
| 1 | 工藤卓爾 | 1898年(明治31年)7月4日 |
| 2 | 笹森儀助 | 1902年(明治35年)5月1日 |
| 3 | 芹川得一 | 1904年(明治37年)1月20日 |
| 4 | 淡谷清蔵 | 1908年(明治41年)12月7日 |
| 5-6 | 工藤卓爾 | 1910年(明治43年)4月22日 |
| 7 | 阿部政太郎 | 1917年(大正6年)2月7日 |
| 8 | 工藤卓爾 | 1921年(大正10年)2月28日 |
| 9 | 阿部政太郎 | 1925年(大正14年)2月12日 |
| 10 | 中野浩 | 1926年(大正15年)8月8日 |
| 11 | 北山一郎 | 1930年(昭和5年)8月8日 |
| 12 | 加賀秀雄 | 1934年(昭和9年)10月18日 |
| 13-15 | 千葉伝蔵 | 1936年(昭和11年)5月28日 |
| 16 | 柿崎守忠 | 1945年(昭和20年)7月28日 |
| 17-20 | 横山実 | 1947年(昭和22年)4月5日 |
| 21 | 千葉元江 | 1963年(昭和38年)4月30日 |
| 22-25 | 奈良岡末造 | 1967年(昭和42年)4月30日 |
| 26-29 | 工藤正 | 1979年(昭和54年)4月30日 |
| 30-34 | 佐々木誠造 | 1989年(平成元年)5月7日 |
| 代 | 氏名 | 就任年月日 |
|---|---|---|
| 1 | 佐々木誠造 | 2005年(平成17年)4月24日 |
旧・浪岡町で合併に関して町長のリコールによる住民投票が2004年(平成16年)12月26日に行われ、町長は失職。2005年(平成17年)2月13日に町長選挙が行わなれ、合併反対派の新しい町長になった。同月内に浪岡町議会が招集され住民投票決議案が出されたが反対多数で否決された。なお、町議会により住民投票決議案は五度にわたって否決されている。合併反対派の町長が誕生し、専決処分により青森市との合併の是非を問う浪岡町の住民投票が2005年(平成17年)3月27日に実施され、合併反対が6845票で、合併賛成の1097票を大きく上回った。最終投票率は46.99%であった。しかしすでに合併が決定した後だったため、合併を撤回できなかった。また、2004年(平成16年)10月26日に行われた浪岡町議会で合併議案を賛成12、反対6で可決したのち、加藤新吉元町長と合併に賛成した議員9人が町長のリコールに絡む買収事件や公共工事をめぐる贈収賄事件で逮捕・起訴されている。再び旧浪岡町の地区を独立させようという「分町運動」が続いてはいるが、これには市議会での議決が必要となるため、分町は極めて困難である。尚、2006年(平成18年)3月13日には青森市の中核市移行が県によって承認され、10月から中核市となった。
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青森市の産業構造は、卸売・小売業などの商業、サービス業、公務など第三次産業が中心となっている。
青森市の産業別就業者比率(2000年国勢調査)は、農林水産業2.8%、建設業10.7%、製造業8.2%、卸売・小売業・飲食店26.9%、サービス業30.2%、公務6.3%となっている。青森市は、青森県内の他の市町村に比べて農林水産業の従業者が少ない。製造業の比率は低く、卸売・小売業・飲食店、サービス業、公務の比率が高いのが特徴である。
青森市の青森中央インター付近に卸売団地、第二卸売団地、中央卸売団地があり、その南には総合流通団地がある。青森市金沢には、青森県民には馴染み深い工藤パンの工場がある。
一方、旧・浪岡町の地域では米・リンゴを基幹とする第一次産業が発達している。北部の大釈迦(だいしゃか)地区には工業団地があり、コカ・コーラやかねさ(味噌)の工場がある。
ショッピングセンター
百貨店・スーパーマーケット
卸商業団地
※:「支店名」表記のあるものは市内に1店舗のみ置いている金融機関である。
| 青森市と全国の年齢別人口分布図(比較) | 青森市の年齢・男女別人口分布図 | ||||||||||||||||||
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■紫色は青森市
■緑色は日本全国 |
■青色は男性
■赤色は女性 |
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| 総務省統計局 / 国勢調査(2005年) | |||||||||||||||||||