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高峰秀子 とは?

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高峰 秀子(たかみね ひでこ、1924年3月27日 - )は函館市出身の日本女優エッセイスト。愛称:デコちゃん。夫は映画監督脚本家松山善三。本名:松山秀子、旧姓:平山。日本映画史を代表する大女優の一人。

出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』


高峰秀子はてなダイアリーを別ウィンドウで表示  :  大正13(1924)年北海道産まれ。 5歳のとき「子役」として映画界にデビュー。 その後、「二十四の瞳」「浮雲」「名もなく貧しく美しく」など多数の映画に出演。 著書に「わたしの渡世日記」(日本エッセイスト・クラブ賞受賞)など。

出典: 『はてなダイアリー』


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おすすめ度5.0(全レビューの平均)この本は上下2冊からなっていて、上巻は著者の生い立ちから太平洋戦争が終わるまで、下巻は戦後から松山善三氏と結婚するまでを描いている。 「文庫版まえがき」に本を書いた経緯が書かれてあるが、当時週刊朝日の編集長だった扇谷正造氏が昭和50年の記念プランとして連載エッセイを頼みにきたのは49年の末だった。著者はあまりに強引な勧誘に半分やけになって引き受けたと書いてあるが、恩師山本嘉次郎監督の死去が49年の9月でその葬儀があまりに寂しかったと本に書かれてあるのを読むと、書いたのは山本氏の死去と無縁ではなかったと思われる。 著者の銀幕でのきらびやかな活躍とは裏腹に私生活では複雑な養父母との関係や東海林太郎が別の養父として現われたり、ろくに学校へ通えない環境など多難な日々を送っていた。著者の青春時代は戦争と重なり、血染めのブロマイドの話や「同期の桜」を特攻隊員の前で歌って途中から涙で歌えなくなると、それに誘われるかのように隊員も泣き出したというエピソードを添える。若き日の黒澤明助監督との淡い恋の描写は秀逸。谷崎潤一郎や田中絹代など豊富な人間交流を丁寧に描写しており、貴重な写真も数多く載っていてそれも楽しい。  (sirou55 さんのレビュー)

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おすすめ度5.0(全レビューの平均)後半は上巻の最後で特攻隊員を涙で送った著者が、日比谷の東宝劇場を急遽米軍用に改造した「アーニー・パイル劇場」のステージで、超満員の米兵を前にアメリカの流行歌を歌っているところから始まる。「人には言えない、妙なうしろめたさが、私の背後に忍び寄って」くるが、「人々は食料を奪いあって道義は地に堕ちた」とも書く。 戦後の東宝大争議に巻き込まれて当時の「赤いスタジオ」の様子を描き、また自殺直前の意外な太宰治の印象や、恐れ多くも昭和天皇・皇后両陛下に御植樹の介添え役で会われたエピソードを書いている。これらの描写が抜群にうまくて面白い。あまりにうまくて解説で沢木耕太郎氏がゴーストライターの存在の有無を書いているほどであるが、その疑いはその後多くのすぐれた著作を残していることで明らかである。仕事は猛烈に忙しかったが、母親との確執はますます先鋭化し、プロデューサーとの金銭トラブルや深みにはまった泥沼の男女問題も生じていた。これらを一掃したくてパリに逃避行するが帰国後も人気は衰えず、「二十四の瞳」などの代表作を残した。 尊敬する小津安二郎、谷崎潤一郎、梅原龍三郎、木下恵介、成瀬巳喜男らとの交友は写真も載せて楽しい読み物になっている。沢木は「言いたいことを言いたいように書く。容易そうに見えてこれほど難しいことはない」と書き、それをいとも簡単にやってのける著者の才能をほめているが、自伝の場合は特にそうだ。著者は恥の上っ面だけ撫でたような気がして不満が残るというが、身内のことや金銭、男女問題などかなりきわどい話も赤裸々に書かれていて、飾りッ気のない著者のさっぱりした性格が反映されている。  (sirou55 さんのレビュー)

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ウィキペディア(Wikipedia)記事


たかみね ひでこ
高峰秀子

本名 松山秀子
生年月日 1924年3月27日(84歳)
出生地 日本北海道
ジャンル 映画俳優
活動期間 1929年-1979年
配偶者 松山善三
主な作品
二十四の瞳』『浮雲』『カルメン故郷に帰る』『喜びも悲しみも幾歳月

高峰 秀子(たかみね ひでこ、1924年3月27日 - )は函館市出身の日本女優エッセイスト。愛称:デコちゃん。夫は映画監督脚本家松山善三。本名:松山秀子、旧姓:平山。日本映画史を代表する大女優の一人。

1929年映画『母』に子役デビュー1979年に引退宣言。引退後は普段の生活に根ざしたエッセイを多数発表している。

目次

主な出演映画

『カルメン故郷に帰る』(1951)
『カルメン故郷に帰る』(1951)

略歴

松竹蒲田時代

東海林太郎と (1936)
東海林太郎と (1936)

デビューから1937年までの子役時代を過ごす。日本のシャーリー・テンプルと呼ばれる。共にオデコであったのでデコちゃんの愛称がつく。この時代に既にスターとしての人気を博しており、島津保次郎監督『愛よ人類と共にあれ』(1931) では男の子役を演じるなど、天才子役の名を欲しいままにしている。

映画人の多くに可愛がられており、東海林太郎は養女に引き取ろうとしたほどであった(高峰の養母の反対で実現せず)。また一方では養母の強烈な愛情への戸惑いや、彼女のギャランティーで家族全体が生活していることへの精神的な負担など、家庭においては一概に幸福とは言えない状況であった。

東宝時代

1937年、彼女は当時勢力を伸ばしつつあった東宝へ移籍する。松竹では学校にも通えないほど売れっ子であるにもかかわらず、狭いアパート住まいで貧しかったが、桁違いのギャラと世田谷の一軒家と高等女学校へ通えるという条件付きであった。彼女は文化学院へ入学するが、撮影でほとんど出席できず、結局1年で退学した。

東宝では『綴方教室』、『』(共に山本嘉次郎監督)などの映画に出演し、天才子役から女優へと脱皮していった。『馬』で助監督を務めた黒澤明と撮影中に恋に落ちたが母親の反対で強引に別れさせられた。

1941年には後に多くの名作を生み出すことになる成瀬巳喜男監督とのコンビを『秀子の車掌さん』で初めて組んだ。

戦争中においても彼女の人気は上昇し続け、多くの映画に出演した。また出征兵の中には彼女のブロマイドを胸に戦地へと旅立った者もおり、戦後の彼女の反戦思想に大きな影響を与えた。

戦時中の彼女の代表作は『婦系図』、『阿片戦争』などマキノ雅弘(当時は正博)監督作品が上げられる。

大河内伝次郎の当たり役『丹下左膳』にも出演しており(『新編 丹下左膳 隻眼の巻』『同 恋車の巻』。ただし『恋車の巻』の映像は現存せず)、それが縁で当時建設中であった女人禁制の大河内山荘に招かれた。

新東宝時代

東宝争議に巻き込まれた結果、彼女も新東宝へ移籍することになる。太宰治の遺作『グッドバイ』や谷崎潤一郎の傑作『細雪』に出演したのもこの時期である。谷崎とは彼の家族を交えた形で、以後も交流が続いた。

『宗方姉妹』で小津安二郎監督作品にも出演を果たしている。

フリー時代

『二十四の瞳』(1954)
『二十四の瞳』(1954)

女優としての黄金時代を迎えたのがこの時期である。数々の名監督とタッグを組み、八面六臂の活躍を見せた。

松竹においては木下惠介監督作品に多く出演し、日本初のフルカラー作品となった『カルメン故郷に帰る』をはじめ、『カルメン純情す』、『二十四の瞳』、『喜びも悲しみも幾歳月』などの作品に出演した。『二十四の瞳』の撮影で当時木下の助監督をしていた松山善三と出会い、1955年結婚する。仲人は川口松太郎三益愛子夫妻に木下惠介の3名だった。

東宝においては成瀬巳喜男監督作品に多く出演し、『浮雲』をはじめ『女が階段を上る時』(衣装も彼女が担当した)、『流れる』、『乱れる』、『妻の心』、『放浪記』、『娘・妻・母』などの作品に出演した。


大映においては豊田四郎監督作品『雁』などに出演した。その他、夫の松山善三監督のデビュー作品『名もなく貧しく美しく』(東宝)、豊田四郎監督『恍惚の人』(東宝)、稲垣浩監督『無法松の一生』(東宝)、増村保造監督『華岡青洲の妻』(大映)など映画史に名を残す傑作群に出演を果たす。なお、主要映画会社の中で唯一彼女と関わりのない東映日活については 1960年代以降のいわゆる『ヤクザ映画』によい感情を抱いていなかったようである。

63年から出演本数が減り、68年以降はTVドラマでも活躍のほか、フジTV「小川宏ショー」内の「高峰秀子対談」コーナーの聞き手を勤めた。

そんな中、1971年2月に高峰は国会の席においてテレビのクイズ番組を低俗だと非難。そもそもの発端はフジテレビで放送されていた「クイズ・キングにまかせろ!」の賞品(1000万円のマンションの所有権)が独占禁止法に違反しているという告発によるものだった。この騒動で高峰は「俳優を毒するクイズは最低のいやしさだ。」と弁明。その騒ぎを受けて公正取引委員会は、全てのクイズ番組に対し賞金額の見直しを求め、同年9月に全てのクイズ番組の賞金(賞品)の上限を100万円までに定めるまでに至った。

72年10月には東京紀伊国屋ホールで反戦劇「ケイトンズヴィル事件の九人」に出演。

引退

1979年木下惠介監督の映画『衝動殺人 息子よ』を最後に女優を引退。以後は軽妙なタッチながら鋭い人間観察を披露するエッセイを多数発表している。女優時代の思い出などを綴った著書『わたしの渡世日記』は当時のベストセラーになった。また、松山善三が監督を務めた映画『典子は、今』等には助監督として製作に参加していた。

2003年には松山善三が監督を務めた映画『葉っぱのフレディ』で朗読を担当している。

歌手としての高峰秀子

『銀座カンカン娘』(1949)笠置シズ子(左)と
『銀座カンカン娘』(1949)
笠置シズ子(左)と
  • 戦前からレコードを出していた。
  • 1942年の『森の水車』は発売禁止となる。
  • 1949年の主演映画『銀座カンカン娘』の同名主題歌(服部良一作曲)は歌謡史に残る大ヒットとなった。
  • 1951年の主演映画『カルメン故郷に帰る』の同名主題歌(黛敏郎作曲)も歌ってやはり大ヒットとなっている。

テレビ番組

著書

関連項目

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