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高校野球 とは?

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高校野球(こうこうやきゅう)とは、日本における高等学校中等教育学校の後期課程の生徒高等専門学校の第1学年から第3学年の学生が行う野球大会のことをいう。

出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』


高校野球はてなダイアリーを別ウィンドウで表示  :  高校の野球部同士が戦う野球。 一般的に日本高等学校野球連盟(高野連)主催の甲子園球場にて開催される春と夏の年2回の全国大会を指すことが多い。 春 「選抜高等学校野球大会」(通称「センバツ」)と呼ばれる。 各地区から選考委員によって出場校が選ばれるというもの。主催は高野連と毎日新聞社。 夏 「全国高等学校野球選手権大会」と呼ばれる。 各都道府県の大会の優勝校が出場できる。主催は高野連と朝日新聞社。 他に全国高等学校軟式野球選手権大会、 日本学生野球協会主催の明治神宮野球大会や国民体育大会もある ...

出典: 『はてなダイアリー』


和英辞典

高校野球 [こうこうやきゅう] 別ウィンドウで表示  …  (n) high-school baseball

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ウィキペディア(Wikipedia)記事


春の選抜、夏の全国高等学校選手権大会の球場として知られる阪神甲子園球場
2007年夏の全国高等学校選手権大会・神奈川県地区予選の高校球児

高校野球(こうこうやきゅう)とは、日本における高等学校中等教育学校の後期課程の生徒高等専門学校の第1学年から第3学年の学生が行う野球大会のことをいう。

戦後の学制改革を経て継続しているため、旧学制による中等学校野球も一般的にはこれに含まれる。同様に、旧学制による高等学校野球とは異なる。

目次

高校野球の概観

概観

高校野球は上は難関校から下は底辺校に至るまでの約4500校による戦いである。なお全国大会に出た高校は不祥事、幻の甲子園、さらには1941年の夏の大会を含めて約1000校しかない。

主催

主催は、全国大会は日本高等学校野球連盟(高野連)と新聞社(選抜高等学校野球大会には毎日新聞社が、全国高等学校野球選手権大会には朝日新聞社)が行っている。この他、地方大会は各都道府県高等学校野球連盟などが主催する。

全国大会

名前の通り、高校生が高等学校の硬式野球部で行う野球のこと。特に阪神甲子園球場で行われる二つの全国的大会は「甲子園大会」と呼ばれ、日本で人気を博している。

毎年3月下旬から4月上旬にかけて開催される。秋季地区大会の成績などを参考に選抜された一般選考28校、特別選考の21世紀枠2校、希望枠1校、明治神宮枠1校の計32校で行われるトーナメント大会(明治神宮枠は獲得地区の一般枠を増枠する形となる)。地区大会の成績や選考次第では同一府県から2校以上の出場がかなう場合もある。優勝校には大紫紺旗が贈られる。尚、2008年の第80回記念大会は一般選考30校、21世紀枠3校、希望枠1校、明治神宮枠2校の計36校で争われた。
毎年8月に開催される。各府県1校ずつ、北海道は南北海道・北北海道の2校、東京都は東東京・西東京の2校の合計49校によるトーナメント大会。6月中旬から7月下旬(雨天順延で8月にずれ込む場合もある)にかけて行われる地方大会を勝ちあがった学校が出場できる。
国民的行事と呼ばれ、ときに社会現象となるほどの盛り上がりを見せる学生スポーツ最大の大会である。優勝校には大深紅旗が贈られる。尚、2008年の第90回記念大会は、第80回記念大会同様、埼玉、千葉、神奈川、愛知、大阪、兵庫の各府県から2校ずつ代表校が決定され、計55校で争われる。
毎年10月に開催される。選手権で成績上位の高校から選考された11校と開催地枠の1校によるトーナメント大会で、シーズン最後の全国大会。日程の余裕がないため、雨天中止が続いた場合にはダブルヘッダーの実施や同時優勝になることもある(1979年は、雨天の為日程が消化できず、ベスト4に残った4校が優勝扱いとなった)。
近年は国体の目玉種目となっており、2006年ののじぎく兵庫国体では会場の高砂市野球場に徹夜組が並び、2007年の秋田わか杉国体では会場のこまちスタジアム高校野球としては球場史上最多の2万4000人が詰めかけた。公開競技であるため成績は天皇杯に加味されない。
毎年11月に開催される。秋季地区大会で優勝した10チームによるトーナメント大会で新チーム最初の全国大会。
出場校は実質上、翌年のセンバツの内定を得たチームばかりなので、センバツの前哨戦としての意味合いを持つ。優勝校所属地区は翌年のセンバツの出場枠を1つ多く獲得できる特典がある(明治神宮枠)。なお、2007年の第37回大会では決勝進出の両地区に翌2008年のセンバツ出場枠が与えられた(記念大会のため)。
甲子園練習
春と夏の全国大会の開幕の前に、出場が決まった全代表チームの阪神甲子園球場での事前練習(通称:甲子園練習)が行われる。これは大会までに甲子園のグラウンドの雰囲気を事前に確かめるという目的があり、大会開幕の概ね1週間前から順次行われる。1チームの割り当ては概ね30~50分程度。
なお、夏の大会についてはプロ野球阪神タイガースの公式戦との日程調整の関係で午前中だけの開催となる場合がある。2008年選手権大会では、日程上の都合で施設見学のみが行われた。

地方大会

試合後の審判団・対戦両チームによる挨拶風景・2007年の横浜スタジアム
  • 秋季都道府県大会
    • 新チームにとって最初の大きな公式戦である。地域によっては予めトーナメント方式やリーグ方式などで地域大会を行い、都道府県レベルの大会への出場校を決定する場合も多い。また秋季地方大会の前に新人大会を行い、秋季都道府県大会のシード校を決定する地域も見られる。成績優秀校は地区大会へ進出する。
  • 秋季地区大会
    • 北海道、東北、関東、東京、東海、北信越、近畿、中国、四国、九州の10地区でそれぞれ地区大会が開催される。東京地区が関東地区と別枠なのは、センバツの代表選考において、東京都は関東地方とは別枠で出場枠が与えられているためである。センバツの予選ではないが、この大会の成績が翌年のセンバツ出場校選考の際、非常に重要な資料となる。尚、この大会は明治神宮野球大会の予選を兼ねており、各地区大会優勝校が神宮大会出場権を獲得する。
  • 春季都道府県大会
    • 一冬超えたチームの力試しとなる公式戦である。特に九州、四国のセンバツ大会出場校は日程的な問題で出場辞退となる場合が多い(チャレンジマッチのみの出場や、予選免除で地区大会に出場する場合がある)。この大会の成績を基に夏の大会のシード校を決定する地域も多い。成績優秀校は春季地区大会へ進出する。
  • 春季地区大会
    • 北海道、東北、関東、東海、北信越、近畿、中国、九州の9地区でそれぞれ地区大会が開催される。甲子園には直結しない大会である。
  • 選手権大会地方予選(夏季都道府県大会)
    • 毎年6月中旬から7月にかけて開催され、優勝校は夏の甲子園に出場できる。3年生にとってこの大会で敗退することは夏の終わりを意味する。この大会で敗退したチームは世代交代が行われ、再び秋の大会へ向けて新チームが始動することとなる。

その他にも新人大会や1年生大会、地域リーグ、地方杯がある。通常、新入学生(1年生)の選手は夏の大会のみしか出場できない(春の大会は新学期の2年生、3年生の選手のみとなる)ため、甲子園出場のチャンスは3年間で最大5回になる。

エピソード

海外領土からの参加

戦前は日本領である台湾朝鮮満州租借地といった外地の学校も、予選および全国大会に参加していた(春は台湾のみの参加)。1921年の夏の第7回大会に釜山商(朝鮮)、大連商が外地の学校として初出場をした。準優勝したこともあった。戦後は参加がなくなった。

これまでの海外勢の戦績(決勝)
開催年 大会 学校 結果 相手校
1926年 夏・第12回 大連商 準優勝 1-2 静岡中(静岡)
1931年 夏・第17回 嘉義農林(台湾) 準優勝 0-4 中京商(愛知)

大学野球経験者の出場・19歳の出場

大会初期の頃、大学野球経験者が高校野球全国大会(当時は中学野球)に出場することがあった。 1918年、全国大会に出場した慶應普通部(東京)の山口昇(野球)は、慶應義塾大の選手として大学野球経験があった。山口は全国大会出場時は中学5年だったが、当時の大学野球の規約では系列校であれば大学生でなくても大学野球に出場できたため、このような現象が起こった。

また、1920年、全国大会に出場した豊国中(福岡)の小方二十世は、出場時は19歳であり、法政大の選手として大学野球経験があった。当時の中学野球の規約では選手の年齢制限はなく、在籍生を学校長が代表選手と認めればどんな選手でも出場できたため、このような現象が起こった。

1922年に選手年齢を18歳未満にする年齢制限などの規約改正を行い、以降は基本的には大学野球経験者が出場することはなくなった。

しかし、規約改正以降も年齢制限を超えながら出場特例が認められ、甲子園に出場した選手が何人かいる。1956年の夏大会で甲子園に出場した米子東(鳥取)の長島康夫は、外地からの引き揚げのため大会出場時には19歳になっていたが、高野連は事情を考慮して、予選1ヶ月前に特例を設けて長島の出場を許可している。その後、中学卒業後に1年以上何らかの事情で高校に進学できなかった選手に関しては、満19歳以下でも出場資格が得られる規則になっている。1999年の春大会で甲子園に出場した明徳義塾(高知)の森岡エーデル次郎は、帰国子女のため学年がずれ、大会出場時には19歳になっていたが、特例が認められ出場した。

規約では、高野連に部員登録をしたことがある生徒が、家族を伴う引っ越しなど正当な理由なく転校した場合、新たな学校への転入の日から1年間は公式戦に選手登録することができない。部員登録をしたことがあっても、中退・再入試を経て別の学校に入学すれば、公式戦に出場できる。ただしこの措置は、公式戦における通常(3年夏まで)の選手登録を保証するものではない(例えば1年の途中で中退し、翌年度別の学校に入学すると、3年の選抜大会に出場しない限り2年秋までしか選手登録はできない)。 同様に、同じ学校内で軟式から硬式、硬式から軟式への転部した場合も、1年間公式戦に選手登録できない。ただし、部員不足の部の救済などの場合を除く。

甲子園6回以上出場

現在、一人の選手が甲子園に出場できるのは最大5回までである。しかし、学制改革前は旧制中学が5年制のため、6回以上甲子園に出場することが可能であり、理論上は一人の選手が9回出場することが可能だった。なお、実際には一人の選手による最多出場回数は8回が最高であった。学制改革後に、5回すべてに出場した選手は清原和博荒木大輔桑田真澄小沢章一、梅田大喜、鶴川将吾等がいる。そのうち全大会でホームランを打った選手は、清原のみである。

甲子園の土

現在の土は、国内の黒土と中国福建省の白砂を混ぜた物を使っているという[1]

最初の持ち帰りとそれからの話

1937年の夏の大会で、熊本工(熊本)は決勝戦で敗れて準優勝に終わった。決勝戦終了後に、熊本工の投手であった川上哲治は甲子園の土をユニフォームのポケットに入れた。その後、1949年の夏の大会で、小倉(福岡)が準々決勝で倉敷工(岡山)に負けた後、小倉の投手であった福島一雄が甲子園の土を拾って地元に持ち帰った。これが甲子園の土第一号とされている。 以降、高校球児たちの憧れである甲子園球場への出場の記念として、戦いに敗れた高校球児が試合後に甲子園の土を拾って持ち帰るようになった。

アメリカ統治下の沖縄の高校の話

1958年、沖縄はアメリカ統治下にあった。その夏の大会で、春夏を通じて初めて沖縄から首里が出場。1回戦で敦賀(福井)に敗戦し、試合終了後に甲子園の土を拾った。

しかし、検疫の関係で沖縄に持ち帰ることができず、帰郷後処分されたという。外国の土・動植物を検疫を経ずに持ち込む事はどこの国でも法で禁じられているが、沖縄以外のもの(外国や日本本土も含めて)という理由での処分にも関わらず、那覇港の沿岸に捨てられている。なお、那覇港にてアメリカ人職員が高圧的に没収したわけではなく、沖縄の係官が申し訳なさそうに「規則なので…」といった感じでの没収だったため、申し出ずに土を持ちかえった高校生もいたという。

それを知った日本航空客室乗務員有志らが、球場周辺にあった海岸の石を拾い首里に寄贈。同校庭に、今も甲子園初出場を記念した「友愛の碑」というモニュメントとして飾られている。また、これがメディアで扱われ、沖縄返還運動を加速させる一端ともなったという。(出典:『世界飛び地大全』)

地方大会での甲子園球場の使用

兵庫県大会や近畿大会では、阪神甲子園球場を使用することがあるため、全国大会未経験でも、甲子園の土を踏んだ高校球児が存在する。

甲子園球場が完成した1924年から地方大会に使用されており、兵庫県の球児は本大会より一足先に完成されたばかりの甲子園球場の感触を味わっていた。その後も兵庫県内の球場事情や立地が重なり、たびたび甲子園球場が使用されていた。平成になってからは地方大会で使用されることは少なくなったが、現在でも使用されることがある。

勝利校の校歌演奏(斉唱)と校旗掲揚

神奈川県地区予選・試合後の勝利校の校歌演奏風景・2007年の横浜スタジアム

試合で勝負を決した後、勝利校の校歌演奏と校旗掲揚が行われている。 これを発案したのは、毎日新聞大阪本社の記者であった人見絹枝である(他に、人見は開会式での「校名プラカードを先頭に入場行進」という形式も同時に発案している)。人見は1928年アムステルダムオリンピックの女子800mに出場し、日本女子陸上初となる銀メダルを獲得した。オリンピックの各競技表彰式では金メダル選手の国の国歌が流れ、上位3位までの選手の国旗が掲揚される。人見はこの体験を元に発案した。

勝利校の校歌演奏と校旗掲揚は、1929年の春の第6回大会から始められた。最初に校歌演奏と校旗掲揚を行ったのは、八尾中(大阪)であった。当初は生演奏で行われていたが、現在はテープを流している。

夏の大会での勝利校の校歌演奏と校旗掲揚は、春の大会より28年遅れて、1957年の第39回大会から始められた。最初に校歌演奏と校旗掲揚を行ったのは、坂出商(香川)であった。

春、夏、秋の地方大会では、校歌演奏(斉唱)のある地区とない地区に分かれる。

雨天コールドで勝利した場合、雨に濡れた選手や応援団の体調を考慮し、校歌演奏を省略することがある。例としては、1988年夏の滝川二(兵庫・対高田戦)や1993年夏の鹿児島商工(鹿児島・対堀越戦)がある。また引き分け再試合が決まったときは両校の校歌は演奏されない。

前述のとおり、試合に勝たなければ校歌を聞くことは出来ないが、甲子園大会の初戦に限り、2回表・裏の攻撃前に両校の校歌が流れる。

なお、夏の大会では校歌演奏なのに対し、春の大会では校歌斉唱とアナウンスされる。夏の大会は主催者が制作した独唱テープを用いるが、春の大会は各校持ち寄りのテープを流しているため、春夏連続で甲子園出場すると、春と夏では前奏やテンポなどが異なる。

夏の大会では校歌をもたない学校が勝利した場合、栄冠は君に輝くが校歌代わりとなる[2]

校歌が一定の長さ以上の場合、省略したものを用いたり、省略を要請したりする場合がある(最近では2003年春の横浜、2004年春の済美など)。

春優勝校と夏優勝校の決戦試合

高校野球の全国大会は春と夏で年2回あるが、両大会の優勝校同士による決戦試合が1回行われたことがある。

1927年、春優勝校は和歌山中(和歌山)で夏優勝校は高松商(香川)であったが、「真の日本一を決めよう」という声があがり、同年11月6日に大阪の寝屋川球場で両校による決戦試合が行われた。この試合は7対4で高松商が和歌山中に勝利した。

全国大会出場辞退

過去には、全国大会出場を決めた学校に不祥事が発生すると、その学校が出場辞退を強いられた。たとえ、不祥事を起こした者が野球部員でなくても、連帯責任として野球部の全国大会出場に影響を及ぼした。日本学生野球憲章の第20条に基づくものであくまで自主的に辞退するものとされているが、実質的には出場権の剥奪である。しかし、最近の高野連は野球部員以外の不祥事には、連帯責任を負わないとしている。次第に連帯責任を問わなくなってきた一例として、2008年、選手権大会開幕前に発覚した桐生第一の部員逮捕の一件に関して、高野連は出場を認める判断を下した。 高野連の規定では、2003年までは「3年生の11月末日をもって部員登録を抹消」としていたが、2004年に「退部しない限り卒業日(3月31日(厳密には4月1日))までは野球部員」と改正された。

今までの全国大会(選手権・選抜)出場辞退校(春は推薦辞退を含む)
開催年 大会 学校 辞退理由
1922年 夏・第8回 新潟商(新潟) 部員の病気
1935年 春・第12回 浪華商(大阪) 系列校にからむ刑事事件
1939年 夏・第25回 帝京商(東京) 部員の出場資格問題
1939年 夏・第25回 日大三(東京) 部員の出場資格問題
1952年 春・第24回 門司東(福岡) 部員の試験免除
1958年 春・第30回 浪華商(大阪) 在校生の恐喝事件
1965年 春・第37回 高知商(高知) 部員の暴力事件
1967年 春・第39回 津山商(岡山) 元部員の暴力事件
1971年 春・第43回 北海(北海道) 在校生の暴力事件
1971年 春・第43回 三田学園(兵庫) 在校生の暴力事件
1971年 春・第43回 市和歌山商(和歌山) 在校生の暴力事件
1971年 春・第43回 南部(和歌山) 在校生の暴力事件
1975年 春・第45回 門司工(福岡) 在校生の暴力未遂
1984年 春・第56回 池田(徳島) 部員の飲酒運転事故
1984年 春・第56回 函館大有斗(北海道) 部員のひき逃げ事故
1985年 春・第57回 明徳義塾(高知) 部長の売春斡旋事件
1987年 春・第59回 東海大浦安(千葉) 部員の暴力事件
1989年 春・第61回 岩倉(東京) 指導者の暴力事件
1992年 春・第64回 上宮(大阪) 元監督の在校生への暴力事件
1992年 春・第64回 神戸弘陵(兵庫) 部員の喫煙
1999年 春・第71回 開星(島根) 部員の出場資格問題
2000年 春・第72回 敦賀気比(福井) 部員の無免許・飲酒運転事故
2002年 春・第74回 仙台育英(宮城) 部員の部内暴力
2005年 夏・第87回 明徳義塾(高知) 部員の暴力事件・喫煙
2006年 春・第78回 駒大苫小牧(北海道) 部員の飲酒・喫煙

北海道の高校野球

北海道は1959年から南・北に分割され、南北海道は函館・小樽・室蘭・札幌の4地区、北北海道は空知・旭川・名寄・北見・十勝・釧根の6地区に分かれている。 南北海道はかつては札幌地区に有力校が多かったが、進学校化や選手の分散・流出や駒大苫小牧を筆頭とする苫小牧近郊の高校の台頭も著しい。北北海道は旭川地区が圧倒的勢力で、十勝地区がこれに次いでいたが、空知地区の編入により、勢力が移りつつある。名寄地区のみが春夏通じて甲子園出場校を出していない。

かつて、北海道の高校野球は「負け」の代名詞とさえ言われた。夏の代表は2004年の駒大苫小牧の優勝まで、ベスト4進出は1928年の北海のみ、ベスト8進出は1961年、1962年、1994年(いずれも北海・南北海道)と1995年(旭川実業・北北海道)のみであった。春の代表は1963年に北海が準優勝、駒大岩見沢が1983年にベスト8、1993年にベスト4まで勝ち進んでいる。

北海道民の間でも、「勝つ」よりも「不様に負けない」ように応援するというスタイルがあった。原因としては、雪国のハンデ、関西までの移動による体力の消耗(かつては鉄道での移動であった)、関西の暑さにバテる、北海道人気質である「おおらか・おっとり」、くじ運の悪さ(初戦で優勝候補と対戦することも多かった)等がある。北海道勢との対戦を願う(特に北陸や山陰や東九州や関東・関西勢の初出場校ほど北海道勢は「楽に勝てる」「ボーナスゲーム」という考え)、対戦が決まってガッツポーズしたチームがあった、等は有名な話であるが、過去の北海道勢の成績を見れば不思議は無く、ましてや北海道の高校が優勝することなど、不可能の同義語と言われてきたのである。

甲子園で北海道のチーム同士の対戦が今までに1度だけある。1994年夏の2回戦、北海(南北海道)対砂川北(北北海道)の試合であり、北海が10-1で勝利を収めた。この大会で、北海は北海道勢として夏は33年ぶりのベスト8進出を果たした。

1993年夏に稚内大谷、2004年夏に雄武、2005年夏・2006年夏に遠軽が北北海道大会決勝に進出し、最北の出場校(夏春共に網走南ヶ丘)の更新が期待されたが、いずれも敗退した。2005年夏には日本最東端の根室と最北端野球部の稚内(日本最北端の礼文は野球部が無い)が北大会に出場したが、初戦で敗退した。現在、最東の出場校は中標津(1990年夏)である。

注)北北海道の空知地区であるが、少子化・過疎化に伴う学校数減少と南北北海道の学校数のバランスを取るために、07年春季全道大会から南空知地区(南北海道)と北空知地区(北北海道)を空知地区として統一の上、北北海道に編入した経緯がある。

白河の関・津軽海峡超え

福島県白河に作られていた関所(白河の関)に由来。春夏の大会で東北以北の地域から優勝校が出なかったため、高校野球の隠語として使用されていた。ただ、2001年春および2003年夏の大会の際は、宮城県代表の決勝戦の対戦相手がいずれも茨城県の常総学院高であったため、白河の関ではなく、福島・茨城両県境付近にかつてあったとされる「勿来の関を越える」という表現が正しいのではないかとの議論があった[要出典]

その後、2004年夏の大会で駒大苫小牧(南北海道)が全国制覇を成し遂げ、それまでの最北だった作新学院(栃木)を大きく更新し、優勝旗は一足飛びに津軽海峡を越えた。駒苫ナインを乗せた機内にて、キャビンアテンダントが「深紅の大優勝旗も皆さまとともに津軽海峡を越え、まもなく北海道の空域へと入ります」と放送し、乗客はこぞって歓声を上げたという(駒苫の優勝時に発行された北海道新聞の号外では「海峡越え」と表記された)。

駒大苫小牧の優勝後、白河市長が苫小牧市長宛てに「駒大苫小牧の優勝おめでとうございます。ただ、白河の関どころか津軽海峡まで飛び越えてしまったことで、白河の関の知名度が下がってしまうのが少し残念ですが…」という趣旨の手紙を送っている。

一般に『「白河の関」を超えた』ともされる優勝旗ではあるが、スポーツ記者や高校野球ファンなどからは「白河の関とは、陸路で超えることに意味がある」との意味で、現在でも『未だ白河の関は残っている』とされる事も多い。特に駒大苫小牧が優勝して以後は、幾度となく準優勝まで勝ち進みながら未だ優勝旗を手にした事の無い東北地方の野球関係者によって、これまで以上に切実な言葉として使われるようになったと言われている。

東北地方の学校が優勝していない原因については、一般論として、降雪期間はグラウンドが使えない事、日照時間の短さ、地域外の学校との練習試合などが少ない、事実上のアウェーである関西および甲子園の雰囲気に呑まれる、試合時の湿気や暑さなどがホームと掛け離れている、などを言われる事が多い。このような状況から『政治家と甲子園には期待するな』とまで言われることも有る東北地方の高校野球だが。国体や明治神宮大会は降雪期から隔たった秋季に行われるなどのため、優勝校を出す事に成功している。またその他の大会において、国体では1952年の盛岡商(岩手)が、明治神宮大会では1977年の東北(宮城)が、それぞれ東北勢として初優勝している。

2004年までの北海道・東北勢の戦績(決勝)
開催年 大会 学校 結果 相手校
1915年 夏・第1回 秋田中(秋田) 準優勝 1-2 京都二中(京都)
1963年 春・第35回 北海(北海道) 準優勝 0-10 下関商(山口)
1969年 夏・第51回 三沢(青森) 準優勝 2-4 松山商(愛媛)
1971年 夏・第53回 磐城(福島) 準優勝 0-1 桐蔭学園(神奈川)
1989年 夏・第71回 仙台育英(宮城) 準優勝 0-2 帝京(東東京)
2001年 春・第73回 仙台育英(宮城) 準優勝 6-7 常総学院(茨城)
2003年 夏・第85回 東北(宮城) 準優勝 2-4 常総学院(茨城)
2004年 夏・第86回 駒大苫小牧(南北海道) 優勝 13-10 済美(愛媛)

箱根の関

関東の学校が、全国制覇を成し遂げた場合の高校野球の隠語。初めて箱根を越したのは1916年の夏の大会の慶應普通部(東京)、その後1949年の夏の大会の湘南(神奈川)が達成した。

1916年夏に慶應普通部が優勝したにも関わらず、1949年夏の湘南の優勝において箱根越えが注目された理由として以下の要因があげられる。箱根が東西を分ける関所として人々に有名であること、慶應普通部の優勝から湘南の優勝まで33年間の開きがあること、湘南の優勝までの当時の高校野球(または中学野球)では西高東低(西日本の学校が強く、東日本の学校が弱い)の印象が強かったこと、1916年はまだ2回目の大会であり当時の中学野球は世間から余り注目されていなかったことなどである。

春の箱根越えは1957年早稲田実(東京)が達成。早稲田実の優勝以降は関東勢の優勝が珍しくなくなったためか、現在ではほとんど意識されなくなっている。

1949年までの関東勢の戦績(決勝)
開催年 大会 学校 結果 相手校
1916年 夏・第2回 慶應普通部(東京) 優勝 6-2 市岡中(大阪)
1920年 夏・第6回 慶應普通部(東京) 準優勝 0-17 関西学院中(兵庫)
1924年 春・第1回 早稲田実(東京) 準優勝 0-2 高松商(香川)
1925年 夏・第11回 早稲田実(東京) 準優勝 3-5 高松商(香川)
1936年 春・第13回 桐生中(群馬) 準優勝 1-2 愛知商(愛知)
1949年 夏・第31回 湘南(神奈川) 優勝 5-3 岐阜(岐阜)

山梨県の甲子園制覇

関東勢で山梨県勢は唯一春夏ともに優勝したことがない。また決勝進出も春夏通じて経験がない。最近では2004年夏第86回選手権大会で、東海大甲府がベスト4に進出したが、準決勝戦では優勝した駒大苫小牧(南北海道)に8-10で惜しくも敗れ、山梨県勢初の決勝進出を逃している。

新潟県・北陸の甲子園制覇

北信越5県では長野県が甲子園優勝経験を持つが、新潟県北陸三県では甲子園優勝校はまだ存在しない。準優勝は1978年春の福井商(福井)と1995年夏の星稜(石川)がある。他の大会では、若狭(福井)が1952年の国体と1973年の明治神宮大会で初優勝をしている。その後も、北陸勢は国体や明治神宮大会で何度か優勝をしている。そのため、該当地域の甲子園制覇は時間の問題とする声もある。

これとは別に、北陸三県は大学進学率が全国で常に上位にあり、難関な大学に現役で進学する生徒の比率も高い。このため「天候に左右されやすい高校野球に打ち込むよりも、3年間必死に勉強して大学に現役で入るほうが得だ」とする考え方が多いためでないか、という意見もある。

また、新潟県は春夏通じて唯一ベスト4に入ったことがない。かつては山形もそうであったが、05年に羽黒の進出により達成された。春は佐賀・島根・滋賀・石川・新潟・福島、夏は富山・新潟・山形がベスト4に入っていないのである。06年の日大山形のベスト8進出で47都道府県すべて春夏共にベスト8を果たしたことになる。

今までの北陸勢の戦績(決勝)
開催年 大会 学校 結果 相手校
1978年 春・第50回 福井商(福井) 準優勝 0-2 浜松商(静岡)
1995年 夏・第77回 星稜(石川) 準優勝 1-3 帝京(東東京)

滋賀県の甲子園制覇

甲子園のお膝元である近畿地方に属するものの、滋賀県勢は近畿勢で唯一いまだに春夏とも優勝校がない。2001年夏選手権で近江が、春夏通じて滋賀県勢初の決勝進出を果たしたが、決勝では日大三に敗れて準優勝となった。

今までの滋賀県勢の戦績(決勝)
開催年 大会 学校 結果 相手校
2001年 夏・第83回 近江(滋賀) 準優勝 2-5 日大三(西東京)

山陰の甲子園制覇

山陰地方には色々な解釈があるがここでは山陰地方の項を参考にし、鳥取県島根県及び山口県北部と定める。

原因として雪国のハンディがよく指摘される。山陰地方は日本海側気候に属し湿った雪が多い。昨夏までの甲子園での通算成績は鳥取が54勝84敗、島根は34勝77敗、山口県北部は0勝2敗で大きく負け越している。 鳥取県・島根県については、草創期には何度か上位進出があるものの、人口が少ない(鳥取県の人口は日本最少)地域であるため、優秀な高校生の絶対数もその分少ない。このため、他地域のレベルアップも著しい近年では振るわなくなっている。

現在まで山陰地方から決勝進出を果たしたのは、1960年春選抜で準優勝した鳥取の米子東高校のみである。また、最近では2003年夏選手権で、島根代表の江の川高校が、島根県勢として80年ぶり(80年前は松江中=現・松江北高校以来)にベスト4に進出した(準決勝戦、1-6で宮城・東北高校に敗退)。

今までの山陰勢の戦績(決勝)
開催年 大会 学校 結果 相手校
1960年 春・第32回 米子東(鳥取) 準優勝 1-2 高松商(香川)

孤塁を守る徳島県

近年は野球留学などで全国から有力選手を集める私立高校が多く、甲子園出場校における私立高校の割合は増え続けている。そんな中、徳島県だけは、未だに私立高校の甲子園出場がない。これは徳島県内に私立高校が4校しかない上に、野球部があるのが生光学園だけであるというのが最大の理由である。しかし近年は生光学園も力をつけており、悲願の甲子園初出場も時間の問題かもしれない。

関門海峡

高校野球で、九州の学校が全国制覇を成し遂げた場合の象徴的な用語。1947年の夏の大会で小倉中(福岡)は優勝し、優勝旗は初めて関門海峡を越した。また、それまでの最西だった松山商(愛媛)を更新した。春の大会では1958年の済々黌(熊本)が達成。

1947年までの九州勢の戦績(決勝)
開催年 大会 学校 結果 相手校
1934年 夏・第20回 熊本工(熊本) 準優勝 0-2 呉港中(広島)
1937年 夏・第23回 熊本工(熊本) 準優勝 1-3 中京商(愛知)
1947年 春・第19回 小倉中(福岡) 準優勝 1-3 徳島商(徳島)
1947年 夏・第29回 小倉中(福岡) 優勝 6-3 岐阜商(岐阜)

海を渡る

高校野球で、沖縄県の学校が全国制覇を成し遂げた場合の象徴的な用語。沖縄はその歴史的経緯から、本土に対する意識が強かった。そのため、沖縄水産(沖縄)が夏の大会で1990年と1991年に2年連続で決勝に進出しながら準優勝に終わった時、当時の同校の栽弘義監督が「優勝旗が沖縄の海を渡らなければ、 沖縄の戦後は終わらない」 と発言したと報道された(しかし、本人は否定している)。

1999年の春の大会で沖縄尚学(沖縄)が沖縄勢として初優勝し、優勝旗は沖縄の海を渡った。また、それまでの最南だった鹿児島実(鹿児島)を更新した(試合終了後、スタンドでは相手の水戸商(茨城)の応援団を交えてのウェーブが起きた。2008年春の優勝の際にも同じことが起きた)。

2008年までの沖縄勢の戦績(決勝)
開催年 大会 学校 結果 相手校
1990年 夏・第72回 沖縄水産(沖縄) 準優勝 0-1 天理(奈良)
1991年 夏・第73回 沖縄水産(沖縄) 準優勝 8-13 大阪桐蔭(大阪)
1999年 春・第71回 沖縄尚学(沖縄) 優勝 7-2 水戸商(茨城)
2008年 春・第80回 沖縄尚学(沖縄) 優勝 9-0 聖望学園(埼玉)

この他、沖縄という地域の特殊性から、離島勢の躍進についても注目する必要がある。夏の大会では宮古が1977,78年に県大会準優勝、八重山が1988年に県大会準優勝とあと一歩のところで甲子園出場を逃しているが、2006年夏に八重山商工が出場(同年春の大会でも、沖縄県の離島勢として初めて出場した)し、2勝を挙げている。

注:八重山商工の他、沖縄本島以外の「島」からは久賀(山口:1962年春、1999年夏)、隠岐(島根:2003年春)、洲本(兵庫:1953年春、1975年夏、1986年春)が甲子園に出場している。しかし、久賀の在る周防大島は瀬戸内海であるうえ、2回目の出場時には本土との架橋島、隠岐は21世紀枠での出場(通常の戦績の他に、「離島」であることも考慮されているであろう)、洲本は1953年春の優勝校であるが、学校所在地が離島とはいえない「淡路島」である。2008年夏には佐渡が新潟大会決勝に進出したが、出場は果たせなかった。

春夏連覇・夏春連覇

春の選抜大会で優勝した年の夏の全国大会で優勝することを春夏連覇という。また、夏の全国大会で優勝した翌年の春の選抜大会で優勝することを夏春連覇という。春夏連覇や夏春連覇をすると、優勝校には2つの優勝旗が同時期に置かれることになる。過去に9例がある。

春夏連覇・夏春連覇
開催年 学校 春大会 夏大会 連覇
1930年 広島商(広島) 夏・16回 夏春連覇
1931年 春・8回
1937年 中京商(愛知) 夏・23回 夏春連覇
1938年 春・15回
1960年 法政二(神奈川) 夏・42回 夏春連覇
1961年 春・33回
1962年 作新学院(栃木) 春・34回 夏・44回 春夏連覇
1966年 中京商(愛知) 春・38回 夏・48回 春夏連覇
1979年 箕島(和歌山) 春・51回 夏・61回 春夏連覇
1982年 池田(徳島) 夏・64回 夏春連覇
1983年 春・55回
1987年 PL学園(大阪) 春・59回 夏・69回 春夏連覇
1998年 横浜(神奈川) 春・70回 夏・80回 春夏連覇

雨に負けた春夏連覇

連覇を目指す高校が初戦敗退することは珍しくないが、試合中の降雨による再試合で初戦敗退した高校がある。

1965年の選抜を制した岡山東商は、春夏連覇を懸けて夏の甲子園に進出した。初戦の日大二に4-1と勝っていたが、5回表に降雨ノーゲームとなった。岡山東商のエース、平松政次は右肩痛に悩んでいたものの再試合にも登板したが、日大二が平松を攻略し5-2で岡山東商を下した。

初出場・初優勝

初出場・初優勝
開催年 大会 学校 備考
1915年 夏・1回 京都二中(京都)
1916年 夏・2回 慶應普通部(東京)
1917年 夏・3回 愛知一中(愛知)
1919年 夏・5回 神戸一中(兵庫)
1923年 夏・9回 甲陽中(兵庫) ここまでセンバツ開始前
1924年 春・1回 高松商(香川)
1934年 春・9回 東邦商(愛知) 春夏通じて初出場
1936年 夏・22回 岐阜商(岐阜)
1949年 夏・31回 湘南(神奈川) 春夏通じて初出場
1950年 春・22回 韮山(静岡) 春夏通じて初出場
1953年 春・25回 洲本(兵庫) 春夏通じて初出場
1954年 春・26回 飯田長姫(長野)
1955年 夏・37回 四日市(三重)
1961年 春・33回 法政二(神奈川)
1964年 春・36回 徳島海南(徳島) 春夏通じて初出場
1965年 夏・47回 三池工(福岡) 春夏通じて初出場
1967年 春・39回 津久見(大分)
1968年 春・40回 大宮工(埼玉) 春夏通じて初出場
1968年 夏・50回 興國(大阪)
1971年 夏・53回 桐蔭学園(神奈川) 春夏通じて初出場
1972年 春・44回 日大桜丘(東京) 春夏通じて初出場
1973年 春・45回 横浜(神奈川)
1976年 春・48回 崇徳(広島)
1976年 夏・58回 桜美林(東京)
1984年 春・56回 岩倉(東京) 春夏通じて初出場
1985年 春・57回 伊野商(高知) 春夏通じて初出場
1988年 春・60回 宇和島東(愛媛)
1991年 夏・73回 大阪桐蔭(大阪)
1995年 春・67回 観音寺中央(香川) 春夏通じて初出場
2004年 春・76回 済美(愛媛) 春夏通じて初出場・史上最短の創部2年目

夏の甲子園専門

夏の大会から10年後に春の大会が始まった。回を重ねるごとに春夏の甲子園出場の高校が増えてくる一方で、夏の甲子園しか出場できていない高校もある。岩手県福岡高校は、1927年夏に甲子園へ初出場を決め、1985年の夏まで10度甲子園に出場し8強入りも2度あるが、なぜか春の甲子園には一度も出場していない(昭和3年と4年には選抜されたが予算不足で辞退)。原則1府県1校の夏と違い、春は1地区2、3校と甲子園の出場枠が狭い。夏の出場のみという高校は334校に上るが、2ケタ以上の出場経験があり春出場なしというのは福岡高校の1校しかない(戦前は満州・朝鮮・台湾からも出場があり、満州の大連商業が夏12回出場し準優勝もありながら、春の出場がないという例がある)。

春の甲子園専門

春の出場のみという高校は153校あるが、甲子園の出場回数は最高でも5回(それまで春に7回出場し、夏出場が無かった東京の国士舘が2005年夏に初出場)である。ただし、和歌山の海南(旧海南中、春14回・夏4回)や大阪の上宮(春8回・夏1回)のように、春の出場回数のほうが極端に多い学校は大都市圏を中心に多数存在する。例えば東海大相模(神奈川)は、2000年のセンバツで全国制覇したほか、'92(準優勝)、'95、'05、'06と、近年もセンバツで好成績を残しているが、夏の甲子園は1977年以来31年間出場できていない。大都市圏の学校にこのような傾向があるのは、地方大会でのトーナメント制(ハイレベル激戦区での一校勝ち残り)の難しさを物語っている。逆に春の大会はまさに選抜であり、土壇場の勝負強さや運よりも、本来その高校が持っている地力が左右すると言える。(当然地域性も加味されるが)

雨と決勝の因縁

雨でノーゲームになった試合が春は不明だが、夏は6度ある。

2003年第85回全国高等学校野球選手権大会1回戦、倉敷工岡山)対駒大苫小牧(南北海道)の試合では、駒大苫小牧が8-0と大量リードしながらも、4回裏途中台風接近による激しい雨が降り続き、降雨ノーゲームとなる。そして翌日の再試合では、前日とうってかわって倉敷工が試合を優位に進め、5-2で駒大苫小牧を下した。日付から「8・9の悲劇」と言われる。

2004年第86回全国高等学校野球選手権大会甲子園に戻ってきた駒大苫小牧は、前年の降雨ノーゲームによる悔しい負け方をばねに、初戦の2回戦で佐世保実長崎)を7-3で下し、北海道勢春夏50勝目の勝利を挙げた。その後も駒大苫小牧は日大三横浜など強豪に勝ち続け、そして決勝では済美愛媛)を13-10で下し、見事に北海道勢として初の甲子園優勝を果たした。

駒大苫小牧が8点もリードしながら降雨ノーゲーム再試合負けが大きく知られることになったが、これからさかのぼること10年前にも似たような経緯の試合があった。

1993年第75回全国高等学校野球選手権大会2回戦、鹿児島商工鹿児島)対堀越(西東京)の試合で鹿児島商工が3-0とリードした8回表、降り続く雨で球場全体が水浸しになり、2度目の24分間の中断後、降雨コールドゲームが適用されて鹿児島商工が3-0で堀越を下した。

続く3回戦、鹿児島商工は常総学院茨城)と対戦し、鹿児島商工が4-0と大きくリードしながらも4回表、前日に続く雨で今度は降雨ノーゲームになってしまい、翌日の再試合ではなかなか点が取れず投手戦になり、7回表に1点を取った常総学院にそのまま1-0で逃げられてしまう。

1994年第76回全国高等学校野球選手権大会で鹿児島商工は、学校名を樟南に変更して甲子園に戻ってくる。前年に降雨ノーゲームによる悔しい負け方をした樟南(鹿児島)は3回戦、双葉福島)との試合中、試合成立寸前の7回裏途中に雨で中断するが、1時間10分後に試合再開、結局4-1で下してそのまま決勝へ勝ち進むことになる。

この年の決勝で対戦した佐賀商佐賀)も、準々決勝の北海(南北海道)との試合中の4回表に、雨により1時間33分中断となったが、6-3で佐賀商が勝利。

この年の樟南は、前年のことや福岡-田村のバッテリーの評判から優勝候補とも言われていたが、地方大会から神がかり的に勝ってきた佐賀商に対して、9回表佐賀商の当時キャプテンだった西原に、4-4の同点から夏の大会の決勝では史上初の満塁