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高槻市(たかつきし)は、大阪府北部の市。中核市に指定されている。「水とみどりの生活文化都市」がキャッチフレーズ。
政令指定都市である大阪市と京都市とのちょうど中間に位置し、北摂のベッドタウンとして発展している。市章も、京都市と大阪市の市章を融合させたデザインとなっている([1])。また、市章は街区表示板にも描かれている。
目次 |
明治以降の行政区域の変遷については別項を参照のこと。
高槻市は昭和40年代から50年代前半にかけて大阪市及び京都市のベッドタウンとして宅地開発が進み人口が急増、1975年には30万人の大台に到達した。その後も順調に増加を続け、1995年には362,270人と統計上過去最高を記録した。しかしその後少子高齢化の進展や都心回帰などの影響により人口は減少に転じ、2005年には351,802人となった。ただ大阪府の調査・推計では2004年初頭を境として高槻市の人口動態は社会減から社会増に転じており、依然続く自然増と併せて人口動態そのものは年々改善している。これはJR高槻駅周辺の再開発によって市中心部の商業機能が向上し、市内の生活がより便利になったため周辺地区からの流入が増えたことが理由と見られる。
なお市内の人口動態については、主に居住用のマンション建設が相次いでいる摂津富田駅、高槻駅周辺では増加、市北部の山際に広がる団地群や市南部の淀川近くに広がる旧来の市街地においては減少という形になっている。市への流入者は多くが近畿圏内から来るが、近年は東京など首都圏からの移住も見られるようになった。
| 代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 |
| 初 | 礒村彌右衞門 | 1943年2月19日 | 1945年10月25日 |
| 2 | 中井啓吉 | 1945年11月20日 | 1946年11月15日 |
| 3 | 古田誠一郎 | 1947年4月19日 | 1950年2月8日 |
| 4-5 | 阪上安太郎 | 1950年3月21日 | 1958年3月20日 |
| 6-7 | 鈴木定次郎 | 1958年3月21日 | 1966年3月20日 |
| 8-10 | 吉田得三 | 1966年3月21日 | 1976年3月18日 |
| 11-12 | 西島文年 | 1976年4月18日 | 1984年4月17日 |
| 13-16 | 江村利雄 | 1984年4月18日 | 1999年4月30日 |
| 17- | 奥本務 | 1999年5月1日 | 現職 |
<市議会>
<市長部局>
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<行政委員会>
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<水道事業>
<自動車運送事業>
<消防>
定数は36人。任期は、平成19年5月1日から23年4月30日まで。
| 会派名 | 議席数 |
| 公明党議員団 | 8 |
| 市民・民主議員団 | 7 |
| 自由民主党議員団 | 6 |
| 日本共産党高槻市議会議員団 | 5 |
| 高志会 | 5 |
| 元気市民 | 2 |
| 無所属 | 3 |
なお、1993年に死刑廃止を求める意見書が全会一致で可決されて国に送られた。
選挙区は三島郡とともに構成する。定数は5名。主要政党の5党の全てが議席を持っている。
2007年4月30日から
| 氏名 | 党派名 |
| 吉田利幸 | 自由民主党 |
| 林啓二 | 公明党 |
| 大前英世 | 民主党 |
| 宮原威 | 日本共産党 |
| 小沢福子 | 社会民主党 |
三島郡とともに大阪10区を構成する。第44回衆議院議員総選挙では以下2名の当選者を出している。
| 氏名 | 党派名 | 当選回数 | |
| 松浪健太 | 自由民主党 | 2 | 選挙区 |
| 辻元清美 | 社会民主党 | 3 | 比例復活 |
Jリーグのガンバ大阪のホームタウン(本拠地は吹田市の万博記念競技場)である。将来的には京都大学大学院農学研究科付属農場(京大農場)移転跡地に専用サッカー場建設の計画があるが、2007年現在も未定のままである。
また、なでしこリーグのスペランツァF.C.高槻のホームタウンでもある。大阪府の中でもサッカーの町として力を注いでいる。
第3次産業の割合が多く、大阪府の平均より小売業やサービス業が盛んである。
特に高槻駅周辺は百貨店が2軒(西武百貨店・松坂屋)、映画館を備えたショッピングセンター(平和堂)があるなど、大阪府三島地域最大級の商業集積地となっている。飲食店や服飾関係の店舗も多く、周辺の自治体から多くの若者が集まるエリアとして近年関西でも注目を集めている。
平成18年度時点での産業別事業所、就業者数は以下。
| 事業所数 | 就業者数 | |
| 一次産業 | 7 | 1,018 |
| 二次産業 | 1,146 | 39,990 |
| 三次産業 | 8,260 | 111,179 |
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かつては、山間部において京菓子向けの寒天作りが盛んに行われていたが、市街化が進み平年の気温も上昇したことで、現在は生産している農家はない。鵜殿と呼ばれる淀川河川敷で良質なヨシが採れたことから、簾作りも盛んであったという。かつて、市街地北部の服部地区ではたばこの栽培が行われ「服部煙草」と呼ばれていた。池田、伊丹とならぶ「北摂三銘酒」のひとつに数えられるお酒の名産地である市域西部の富田地域には現在2軒の作り酒屋があり、オリジナルブランドで日本酒、また地ビールを生産している。
一般的な関西弁であるが、同じ大阪府内の河内弁や泉州弁とは異なり、京都府に隣接するためか穏やかな語感を持つ(これは北摂全般についてもある程度当てはまる)。摂津弁は、大阪府の北摂地域から神戸にかけての旧摂津国で話されていた方言で、北摂・阪神地域にかけてはほぼ同じ方言と言える。北摂地域は、摂津弁の中でも北摂弁と呼ばれる方言で、京言葉の影響を受けている。特に三島地域では、過去には大阪弁のだすではなく京言葉のどすが使用されており、京言葉の影響を受けていたことがわかる。近年話されている方言は、70年代ニュータウンとして開拓され急激に人口が増え、また、転勤族が多く住む地域でもあるため、標準語に近い大阪弁になっている。
高槻市の人口は平成6年(1994年)度の363,000 人をピークに減少傾向にあったが、平成15年度以降は徐々に増加に転じ平成20年6月末現在で359,040人(男173,944人、女185,096人)となっている。 高槻市の約半分は森林になっており可住地面積は57.37km²、可住地人口密度は6,133人/km²。 日本の市の人口順位によると、高槻市は2008年7月末現在で58位となっている。
| 高槻市と全国の年齢別人口分布図(比較) | 高槻市の年齢・男女別人口分布図 | ||||||||||||||||||
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■紫色は高槻市
■緑色は日本全国 |
■青色は男性
■赤色は女性 |
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| 総務省統計局 / 国勢調査(2005年) | |||||||||||||||||||
| 区分 | 人数 [人] | 割合 [%] |
|---|---|---|
| 年少人口(14歳以下) | 49,101 | 13.68 |
| 生産年齢人口(15~64歳) | 234,076 | 65.19 |
| 高齢人口(65歳以上) | 75,863 | 21.13 |
| 地区別人口(2005年度) [単位 人] | |
|---|---|
| 樫田地区 | |
| 高槻北地区 | |
| 五領地区 | |
| 三箇牧地区 | |
| 高槻西地区 | |
| 如是・富田地区 | |
| 高槻南地区 | |
| 1925年 | |
| 1930年 | |
| 1935年 | |
| 1940年 | |
| 1947年 | |
| 1950年 | |
| 1955年 | |
| 1960年 | |
| 1965年 | |
| 1970年 | |
| 1975年 | |
| 1980年 | |
| 1985年 | |
| 1990年 | |
| 1995年 |