鬼束ちひろ とは?ページ内リンク ↓ウィキペディア(Wikipedia)記事 ↓Yahoo!知恵袋鬼束 ちひろ(おにつか ちひろ、1980年10月30日 - )は、日本の女性シンガーソングライター。本名同じ。宮崎県南那珂郡南郷町出身[1][2]。宮崎県立日南高等学校卒。身長152cm[3]。血液型O型。所属レコードレーベルはUNIVERSAL SIGMA・A&M RECORDS、所属事務所はNAPOLEON RECORDS・烏龍舎(共同マネジメント)。 出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』 鬼束ちひろ 出典: 『はてなダイアリー』 関連商品
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| 鬼束ちひろ | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 別名 | ちーちゃん、鬼 |
| 出生日・地 | 1980年10月30日(28歳) |
| 血液型 | O型 |
| 学歴 | 宮崎県立日南高等学校卒 |
| 出身地 | |
| ジャンル | J-POP ロック |
| 職業 | シンガーソングライター |
| 活動期間 | 2000年 - 2004年、2007年 - |
| レーベル | 東芝EMI・Virgin TOKYO(2000年 - 2004年) UNIVERSAL SIGMA・A&M RECORDS(2004年 - ) |
| 事務所 | MELODY STAR RECORDS(2000年 - 2004年) Sony Music Artists(2004年 - 2005年) NAPOLEON RECORDS・烏龍舎(2007年 - ) |
| 共同作業者 | 羽毛田丈史(2000年 - 2004年) 小林武史(2007年) 坂本昌之(2008年) |
| 影響 | ジュエル、カーペンターズ、銀色夏生等 |
| 公式サイト | http://www.onitsuka-chihiro.jp/ |
鬼束 ちひろ(おにつか ちひろ、1980年10月30日 - )は、日本の女性シンガーソングライター。本名同じ。宮崎県南那珂郡南郷町出身[1][2]。宮崎県立日南高等学校卒。身長152cm[3]。血液型O型。所属レコードレーベルはUNIVERSAL SIGMA・A&M RECORDS、所属事務所はNAPOLEON RECORDS・烏龍舎(共同マネジメント)。
目次 |
家族構成は、父・母・弟・妹の5人家族であり、自身は長女である[4]。
幼少から、両親の影響で(特に母親の影響が強い)洋楽に触れる。小学2年生の時に友達に誘われてエレクトーンを習い始め、中学3年生の時まで習い続ける。小学生の頃より部活で陸上を始める。中学時代は陸上部のキャプテンを務め、短距離400mリレー走選手として九州大会にも出場歴がある[1]。
音楽に興味を持ったのは中学時代に母親にカーペンターズのベストアルバムを聴くよう勧められてから。以降は外国人女性シンガーソングライターの楽曲を中心に洋楽を主に聴いていた。好きなアーティストとして公言しているのは、ジュエル、アラニス・モリセット、シェリル・クロウ、アマンダ・マーシャル、メリッサ・エスリッジ、ジョニ・ミッチェル、ポーラ・コール、キャロル・キング、インキュバス、レネ・マーリン、ステレオフォニックス、グー・グー・ドールズ、ボン・ジョヴィ、サイモン&ガーファンクル、トーリ・エイモス、Wink、岡村靖幸、THE BACK HORNなど。
高校2年生の時にジュエルのアルバム『心のかけら』によってその音楽と存在に衝撃を受ける[4][5][6](後に自身はライブやテレビでジュエルの楽曲「Foolish Games」「You Were Meant For Me」をカバーしている)。その瞬間から、シンガーソングライターを志す。17歳のときに、文化祭でエイズに関する劇をやった事に感化され、初めての楽曲「call」を作る[1][7][6]。以降デビュー決定後までは全て英語詞で楽曲を作る。当時作った「call」や「edge」などの曲は日本語詞で、「NOT YOUR GOD」は英語詞のままで、それぞれデビュー後にCDに収録される。
高校3年生に進級してすぐ、オーディション雑誌『De-view』(オリコン・エンタテインメント刊)を読み、当時のマネジメント会社のMELODY STAR RECORDSが主催の「Virgin ARTIST AUDITION」のオーディションを受ける。そこで「call」を披露、才能を評価され、グランプリを受賞[1]。学校の閉塞感や同調を強制させるシステムにもともと嫌悪感を抱いていた事や、歌手志望のために大学受験をする気がなかった事等から、高校3年生の頃は学校へはほとんど行かなかったという[1][6][8]。卒業後の1999年3月に上京し、作曲活動に入る。デビューするまでの期間に多くの作品が生み出される。「We can go」、「シャイン」、「月光」、「シャドウ」などはその当時に作られた。以降の主だった活動は略歴に記載。
ライブの際にしばしばマリア像をステージの隅に置く。これは自分の中の守護神のようなものを表しているとし、自分の歌っている姿を見守っていて欲しいからであると語っている[1]。シングル「everyhome」以降の作品のブックレットにおいても「thanks for God.」と書いている。
好きなものは、小説はアントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの『星の王子さま』[4]。漫画は古谷実の『行け!稲中卓球部』や岡田あーみんの『こいつら100%伝説』、井上雄彦の『SLAM DUNK』など[9]。映画は『アメリカン・ビューティー』や『ギルバート・グレイプ』、『バトル・ロワイアル』、『溺れる魚』など[6]。また、『もんしぇん』[10]、『ぐるりのこと。』[11]では作品に対する賞賛のコメントを寄せている。服飾はMILK FED(ソフィア・コッポラによるデザインのブランド)の洋服[6]やヴィヴィアン・ウエストウッドのブーツ[12]など。食べ物はマクドナルドやコーラ、キャベツ太郎、梅干、チョコレート。コーラは常時ステージドリンクとしているほどで、梅干に関しては「白いご飯と梅干さえあれば大丈夫」とまで発言するほどの大好物[13]。キャラクターグッズも好きで、中でもディズニー映画『ピーター・パン』に登場するティンカー・ベルグッズがお気に入り。自身で「おたま」(オタマジャクシがモチーフ)の縫いぐるみ[7]や十字架などのビーズアクセサリー[14]を作成する事もある。お笑い好きでもあり、好きな芸人はシャカ、田上よしえ、ルート33など[5]。特にシャカはお気に入りで、出演した番組中でも「色々浮気をするけれど結局シャカに帰ってくる」と話しており、どちらかと言えば大熊啓誉(ボケ担当)の方が好きであるという[5][15]。好きな詩人には銀色夏生を挙げており、中学時代からのファンであり「モロに影響を受けた詞も書いていた」と後の対談でも語っている[2]。好きな四字熟語に「疾風怒濤」を[1]、単語に「虎」を挙げ、モットーに「(良い意味でも悪い意味でも)やられたらやり返す」を挙げている[16]。
プライベートでは、お笑いコンビのシャカを誕生日パーティーに招待するなど社交的な面がある[15](但し環境が変わってから今でも交流が続けられているのかは不明である)。本人曰く休みの日は「家でゴロゴロしたり一人で買い物したり」するという[17]。昼夜逆転の生活を送っており[6][18]、楽曲制作は専ら夜中(2〜3時頃)に行っているという。アルバイト経験がなく、「箱入り娘だから、親が許してくれない」と言う旨を明かしている。一度やってみたいアルバイトにアンナミラーズのウェイトレスを挙げている。理由は「セクシーな制服で男性客を悩殺したい」とのこと[19]。
自身を「人見知りしない性格」だと語っている[14]。また所謂「熱しやすく冷めやすいタイプ」である(例えば茶そばを3日間連続で食べ続けて飽きるなどのエピソードを語っている[18])。
サインは、以前はドクロのイラストマークの下に「CHIHIRO」という文字をもってサインとしていた。ドクロマークは普通のドクロの他、『ME AND MY DEVIL』リリースの際にはドクロに角が2本としっぽが生えた「デビルドクロ」、『Beautiful Fighter』リリースの際にはドクロに毛が1本生えた「波平ドクロ」が存在していた。現在は筆記体で「Chihiro」(Cの部分が鬼をイメージしたイラストマークとなっている)と書かれたものをサインとしている。
楽曲制作の手法として大まかに、曲を先に制作してからそこへ詞を付ける作曲先行(所謂曲先)と、詞を先に書いてから曲を乗せる作詞先行(所謂詞先)の2通りがあるが、鬼束の場合は必ず詞先で曲作りを行う。これは鬼束が楽曲において歌詞を最重要視しているためであり、もし歌詞と曲がマッチしていない時でも、「詞の世界を壊したくない」「直感を大事にしたい」との理由で歌詞を変更する事は一切無く、曲のほうを無理矢理詞に合わせたり、曲のフレーズに詰め込む等の手法を用いる[5]。曲作りは大抵夜中自宅の部屋の中で行い、思いついた歌詞を書き上げ(本人は「(歌詞が)降りてくる」と表現・説明することもあるが、神がかり的に受け取られることを嫌ってその表現を避けることもあった)、それに曲をつけるという方式が主である。常にその場で曲を作り上げるというが、例外として「everyhome」は曲を作り上げるまでに3日間を要したという[20][21]。歌詞の書き方は「everyhome」の制作を皮切りに変化が生じている。活動休止前の制作スタイルとしては感情をぶちまけるように曲を制作するというのが主であったが、最近では「自分が他の歌手だったらこういう書き方をする」というように自分を客観的に見て曲を書いたり、映画の映像から見た印象をモチーフとして曲を制作する(「everyhome」は『フォレスト・ガンプ』、「Sweet Rosemary」は『ギルバート・グレイプ』、「bad trip」は『スパン』等)ようにもなってきており、また「長く歌っていける歌を作っていきたい」という心境の変化からも、直截的・普遍的な歌詞が書きたいと考えているようである[12][22][23]。作品のリリースにおいて本人は「毎回これが遺作の気持ちで制作している」と語っている[24]。
作詞を始めたのは小学4年生の時の夏休みの自由課題がきっかけ。現在の作詞スタイルを確立させたのは中学2年生の時、アラニス・モリセットの世界観に影響されてからで[14]、その時の詞は上京する際にすべて焼却処分したという[6]。
歌う時は左手を上下運動させたり身体でバランスを取る。気持ちがいい・解放感がある・バランスがとりやすいという理由から、裸足で歌うことが多い[16][25][26][27]。裸足でのステージが印象深い故に、裸足の歌姫と形容されている。裸足で歌い始めるようになったのはシングル「Cage」発売頃で、2000年11月16日にAir-G主催で札幌市時計台にて行われた『AIR-G' 時計台アコースティックライブ vol.15〜鬼束ちひろ』の時点では既に裸足で歌い始めている。歌うときは腕時計やチョーカーなど身体を締め付けるものは絶対に着けない[25]。これは束縛感を嫌うためであり、厚着もしない。本人曰く末端冷え性であるが、足はおろか一切の防寒対策はしない[25]。本人にとってライブはファンとのコミュニケーションの場としており、ステージングや自身の歌唱において完璧さを求める。これは「ライブが失敗したら死のうと思っている」という本人談からも伺える[1]。
アルバムのタイトルについては、新しいアルバムの制作に取り掛かる際に初めて決めるというわけではなく、1つ前のアルバムを作っている時に次回作のタイトルとして決めているという。
楽曲については、元プロデューサーの羽毛田丈史が重視する、ピアノを基盤としたアンプラグド・アコースティックな生音での楽曲が主体で、ストリングスが用いられる楽曲も多い。鬼束の圧倒的な個性が出発点で、それゆえに、ピアノと鬼束のボーカルだけのパフォーマンスが究極の帰着点であると羽毛田は捉えていたようである。鬼束自身もアコースティックやカントリーな楽曲を好み、作曲もキーボードにて行っていることから、このスタイルを理想と考えていると思われるが、ギターサウンドやカントリーロックといったような、様々な編曲が試みられてはいる。羽毛田から音楽プロデューサーが変わった後も、ピアノを基盤とした楽曲制作は踏襲されている。
いずれのプロデュースにせよ、鬼束自身は、デモ音源を音楽プロデューサーに渡した後は一切楽曲の制作工程(アレンジやアルバム収録曲の選定や曲順決め等)には関与しない方針を貫いている。これは本人曰く「(性格的に)器用貧乏の真逆」ということで、シンガーとしての自分とソングライターとしての自分を(無意識的に)分けていると語っている。[28]。
シングル「infection/LITTLE BEAT RIFLE」を発売してからわずか4日後にアメリカ同時多発テロ事件が発生し、「infection」の歌詞がそれを予見したと取れるような内容であったため、プロモーションが自粛されたというのはよく知られた事例である。その他にも、シングル「流星群」の制作中はしし座流星群が見られる時期であったり、「A Horse and A Queen」をライブで発表する前には、自身が尊敬するジュエルが全治4ヶ月の落馬事故を起こしたりと、楽曲と世相とがリンクしてしまった出来事が複数ある。
どの出来事も楽曲を制作した後のことであり、全て偶然ではあるが、ファンの間で鬼束ちひろの深層的な部分を表す事柄として話される逸話である。しかし本人は、「楽曲と世相とがリンクすることは以前からあったのでショックでもないし驚かなかった」と語っている[2]。
前所属レコード会社と事務所を離れた理由について本人は当初はコメントを出さなかったが、2007年にアルバム『LAS VEGAS』をリリースするにあたり複数の雑誌のインタビューでその心境を語っている。
移籍の発端となったのは2003年に声帯結節を発症してからの活動の流れに違和感を覚えたことで、このことについて「「いい日旅立ち・西へ」のあたりから周囲と波長が合わなくなってきた」「楽曲自体には問題はなかったが、周囲を信用できなくなってきて無理が生じた」[23]と語っており、「前の事務所ともめ事があってそれで力をなくした」[29]との発言から事務所との作品発売に対する確執があったことも示唆している。一部メディアでは、決別が決定打となったのは『シングルBOX』の発売が関係していると言われていた[30]が、これについては後に本人曰く「契約上の問題」「単に関与しなかっただけ」としている[2]。
また、「育つ雑草」を発売後休養し、Sony Music Artistsを中途で契約終了した件については「自分のペースでの創作と、アーティスト活動、世の中のペースが一致しない」[31]としており、「何か問題やトラブルがあった訳ではない」「もっともっと休む時間が必要だった」と語っている[2]。
この契約終了後は活動を休止していたが、活動休止直後に大量服薬による自殺未遂を経験したことを後に明らかにしている[22]。その後も2005年のストーカー被害事件(後述・2005年の箇所参照)もあり精神的に不安定な状態が続き、本人曰く「休んでいる時はただ(精神的に)落ちているだけだった」「リスナーとしての自分は残っていたけど表現者としての自分がまったくなかった」[23]と語っている。2005年に玉井夕海と出会い、翌2006年の映画『もんしぇん』に関わるまで一切表舞台に姿を現すことはなかったが、その間にも友人である歌手のMEGのブログに名前が挙がったり週刊誌の記事に関係者のコメントが掲載されるなど、間接的ではあるが近況が報じられることはあった。
自身が友人であると公言している人物として中島美嘉、元ちとせ、篠原ともえ、氣志團[18]、藤原紀香[7]が挙げられる。中島については、アルバム『Sugar High』リリースを記念して開設された期間限定ウェブサイト『oni.tv』等においても本人から度々話題に挙げるほど親交があった。逆に鬼束を友人と公言している人物として玉井夕海[32]、MEG[33][34]などが挙げられる。
鬼束に影響を受けたと公言している歌手として久嶋美さち、牧伊織、関山藍果等が挙げられる。久嶋は特に影響を受けた楽曲に「infection」を挙げている[35]。歌手以外にも漫画家の徳弘正也もファンであることを公言しており、鬼束が音楽活動を休止中には活動の再開を望むコメントを出している[36]。タレントの相沢真紀は、「月光」の歌まねをテレビ番組で披露したことをきっかけにものまねタレントに転向している[37]。
2002年から2006年まで『まんがタイムきらら』(芳文社刊)において発表された藤島じゅん作の4コマ漫画『てんしの末裔』では、主人公の友人として鬼束の名前をパロディ化したとされる「鬼塚ちひろ」(おにづかちひろ)というキャラクターが登場する。
また2006年に発表された映画『もんしぇん』は、鬼束ちひろの存在と楽曲がモチーフとなって制作され、劇中にも鬼束をモチーフにしたとされる「ちい」という人物が登場する。
詳細は各作品の項を参照のこと。
| 発売日 | タイトル | |
| 1st | 2000年2月9日 | シャイン |
| 2nd | 2000年8月9日 | 月光 |
| 3rd | 2000年11月8日 | Cage |
| 4th | 2001年2月9日 | 眩暈/edge |
| 5th | 2001年9月7日 | infection/LITTLE BEAT RIFLE |
| 6th | 2002年2月6日 | 流星群 |
| 7th | 2003年5月21日 | Sign |
| 8th | 2003年8月20日 | Beautiful Fighter |
| 9th | 2003年10月29日 | いい日旅立ち・西へ |
| 10th | 2003年11月27日 | 私とワルツを |
| ボックスパッケージ | 2004年3月17日 | シングルBOX |
| 11th | 2004年10月27日 | 育つ雑草 |
| 12th | 2007年5月30日 | everyhome |
| 13th | 2007年9月19日 | 僕等 バラ色の日々 |
| 14th | 2008年8月6日 | 蛍 |
| 発売日 | タイトル | |
| 1st | 2001年3月7日 | インソムニア |
| 2nd | 2002年3月6日 | This Armor |
| 3rd | 2002年12月11日 | Sugar High |
| 4th | 2007年10月31日 | LAS VEGAS |
| 発売日 | タイトル | |
| 1st | 2004年12月1日 | the ultimate collection |
| 2nd | 2005年9月7日 | SINGLES 2000-2003 |
再発売廉価盤の記載は割愛する。
| 発売日 | タイトル | 規格 | 備考 | |
|---|---|---|---|---|
| PV | 2000年8月9日 | 月光+1 SINGLE CLIPS LIMITED EDITION | VHS | 「月光」「シャイン (unplugged)」収録 新星堂店舗本数限定販売 |
| PV | 2001年4月11日 | ME AND MY DEVIL | DVD・VHS | 初回プレス盤『インソムニア』連動購入キャンペーン応募券付 DVD初回プレス盤トールサイズパッケージ仕様 |
| ライブ | 2001年11月7日 | CRADLE ON MY NOISE L*I*V*E* 〜LIVE INSOMNIA VIDEO EDITION〜 | DVD・VHS | 初回プレス盤ポストカード2種封入 DVD初回プレス盤トールサイズパッケージ仕様 VHS初回プレス盤カラーカセット仕様 |
| PV | 2002年12月11日 | PRINCESS BELIEVER | DVD・VHS | VHS初回限定生産 |
| ライブ | 2003年5月21日 | ULTIMATE CRASH '02 LIVE AT BUDOKAN | DVD | 初回プレス盤ポストカード2種封入 |
| PV | 2004年12月1日 | the complete clips | DVD | |
| ライブ | 2008年8月6日 | NINE DIRTS AND SNOW WHITE FLICKERS | DVD | 初回プレス盤『蛍』連動購入キャンペーン応募券付 |