鵺 とは?ページ内リンク ↓ウィキペディア(Wikipedia)記事 ↓Yahoo!知恵袋和英辞典鵺 [ぬえ]関連商品
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『平家物語』などに登場し、サルの顔、タヌキの胴体、トラの手足を持ち、尾はヘビで(文献によっては胴体については何も書かれなかったり、胴が虎で描かれる事もある)、「ヒョーヒョー」という、鳥のトラツグミの声に似た大変に気味の悪い声で鳴いた、とされる。一説には雷獣であるともいわれる。また、出現したのは一般には平安時代後期とされるが、平安時代のいつ頃かは、二条天皇の時代、近衛天皇の時代、後白河天皇の時代、鳥羽天皇の時代など、資料によって諸説ある[1]。
元来、鵺とは夜に鳴く鳥のことであり、『古事記』『万葉集』にも名が見られる[1]。この鳥の正体は、現在ではトラツグミのこととするのが定説である[1]。この鳥の寂しげな鳴き声は平安時代頃の人々には不吉なものに聞こえたことから凶鳥とされ、天皇や貴族たちは鳴き声が聞こえるや、大事が起きないよう祈祷したという[1]。
『平家物語』にある怪物はあくまで「鵺の声で鳴く得体の知れないもの」で名前はついていなかった。しかし現在ではこの怪物の名前が鵺だと思われ、そちらの方が有名である。有名な「鵺の鳴く夜は恐ろしい」の映画「悪霊島」(原作・横溝正史)のキャッチ・フレーズはこの事である。描写される姿形は北東の寅(虎)、南東の巳(蛇)、南西の申(猿)、北西の戌亥(犬とイノシシ)といった干支を表わす獣の合成という考えもある。
『平家物語』や摂津国の地誌『摂津名所図会』などによると、鵺退治の話は以下のように述べられている。平安時代末期、天皇(近衛天皇)の住む御所・清涼殿に、毎晩のように黒煙とともに不気味な鳴き声が響き渡り、二条天皇がこれに恐怖していた。遂に天皇は病の身となってしまい、薬や祈祷をもってしても効果はなかった。側近たちはかつて源義家が弓を鳴らして怪事をやませた前例に倣って、弓の達人である源頼政に怪物退治を命じた。頼政はある夜、家来の猪早太(井早太との表記もある[2])を連れ、先祖の源頼光より受け継いだ弓を手にして怪物退治に出向いた。すると清涼殿を不気味な黒煙が覆い始めたので、頼政が山鳥の尾で作った尖り矢を射ると、悲鳴とともに鵺が二条城の北方あたりに落下し、すかさず猪早太が取り押さえてとどめを差した[3][4]。その時宮廷の上空には、カッコウの鳴き声が二声三声聞こえ、静けさが戻ってきたという[3]。これにより天皇の体調もたちまちにして回復し[5]、頼政は天皇から褒美に獅子王という刀を貰賜した。
退治された鵺のその後については諸説ある。『平家物語』などによれば、京の都の人々は鵺の祟りを恐れて、死体を船に乗せて鴨川に流した。淀川を下った船は大阪東成郡に一旦漂着した後、海を漂って芦屋川と住吉川の間の浜に打ち上げられた。芦屋の人々はこの屍骸をねんごろに葬り、鵺塚を造って弔ったという[3]。鵺を葬ったとされる鵺塚は、『摂津名所図会』では「鵺塚 芦屋川住吉川の間にあり」とある[3]。
また江戸初期の地誌『芦分船』によれば、鵺は淀川下流に流れ着き、祟りを恐れた村人たちが母恩寺の住職に告げ、ねんごろに弔って土に埋めて塚を建てたものの[1][6]、明治時代に入って塚が取り壊されかけ、鵺の怨霊が近くに住む人々を悩ませ、慌てて塚が修復されたという[4]。一方で『源平盛衰記』『閑田次筆』によれば、鵺は京都府の清水寺に埋められたといい、江戸時代にはそれを掘り起こしたために祟りがあったという[1]。
別説では鵺の死霊は1頭の馬と化し、木下と名づけられて頼政に飼われたという。この馬は良馬であったために平宗盛に取り上げられ、それをきっかけに頼政は反平家のために挙兵してその身を滅ぼすことになり、鵺は宿縁を晴らしたのだという[1]。
また静岡県の浜名湖西方に鵺の死体が落ちて来たともいい、浜松市北区の三ヶ日町鵺代、胴崎、羽平、尾奈といった地名はそれぞれ鵺の頭部、胴体、羽、尾が落ちてきたという伝説に由来する[7]。
上記のほか、大分県別府市の八幡地獄にあったテーマパーク「怪物館」には鵺のミイラがあったといい、ほかにも類のない貴重なものと言われたが、このテーマパークは現存せず、ミイラも行方も判明していない[11]。
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