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黒澤明 とは?

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黒澤 明(くろさわ あきら、新字体:黒沢、1910年3月23日 - 1998年9月6日)は、日本映画監督小津安二郎溝口健二成瀬巳喜男らと共に、世界的にその名前が知られた日本映画巨匠の一人。日本では「世界のクロサワ」と呼ばれた。米国映画芸術科学アカデミー会員[要出典]文化勲章受章。文化功労者東京都名誉都民血液型B型

出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』


黒澤明はてなダイアリーを別ウィンドウで表示  :  Akira Kurosawa(1910年-1998年) 映画監督、脚本家。「世界のクロサワ」とも呼ばれ、巨匠の名にふさわしい。痛快で娯楽性もある斬新なその作品は観客のみならず全世界の映画人に衝撃を与え、発表当時のみならず今なお映画製作・映像製作に多大な影響を与え続けている。 略歴 http://www.kurosawa-akira.com/chronicle.html 1910年(明治43年)3月23日、現在の東京都品川区に生まれる。1936年(昭和11年)PCL映画製作所(現・東宝)に入社、山本嘉 ...

出典: 『はてなダイアリー』


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おすすめ度5.0(全レビューの平均) Do it delicately like a devil.  Do it boldly like an angel.                  AKIRA KUROSAWA 開くとポスターほどの大きさになる歌詞カードに書いてある言葉で、この通りに黒澤映画は多彩でアクション・ヒューマン・サスペンス・時代劇・スペクタクルと様々な映画の曲が収録されています。代表作品のメインテーマを聞きながらその歴史を振り返ると共に、まるで一本の映画のような構成になっており、このインスピレーションから新しい映画が作れそうです。 オープニングは『七人の侍』で、レクイエム・侍のテーマ・町・村・勝四郎と志乃・菊千代のテーマなどをバランス良くリミックスしてあります。『生きる』〜『どん底』までは低調な曲が続きますが、『隠し砦の三悪人』からガラリと痛快な曲調に変わります。『悪い奴ほどよく眠る』〜『天国と地獄』は悪を挫く痛快なタイトルが居並びます。 無骨な医聖『赤ひげ』、貧しい生活に希望を見出す人々『どですかでん』、北の大地の国境を越えた友情『デルス・ウザーラ』は破壊の後にもたらされる再生です。 『影武者』『乱』『夢』は最近の日本映画にはない圧倒的なスケールの曲で、それを生み出した映画世界を肌で感じ取る事ができます。 「よーい、スタート!」という監督の肉声が入り、オープニングへの回帰が演出された見事なエンディングがCDラストに収録され、ファンには堪らない出来栄えです。 まだ黒澤映画を観たことのない人が雰囲気を知るためにも良い一本だと思います。 おすすめの曲は、『七人の侍』『用心棒』『どですかでん』『デルス・ウザーラ』『影武者』です。  (RYU さんのレビュー)

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ウィキペディア(Wikipedia)記事


くろさわ あきら
黒澤 明

生年月日 1910年3月23日
没年月日 1998年9月6日(満88歳没)
出生地 日本の旗 東京府荏原郡大井町
(現・東京都品川区
家族 長男・黒澤久雄、長女・黒澤和子

黒澤 明(くろさわ あきら、新字体:黒沢、1910年3月23日 - 1998年9月6日)は、日本映画監督小津安二郎溝口健二成瀬巳喜男らと共に、世界的にその名前が知られた日本映画巨匠の一人。日本では「世界のクロサワ」と呼ばれた。米国映画芸術科学アカデミー会員[要出典]文化勲章受章。文化功労者東京都名誉都民血液型B型

目次

経歴

監督になるまで

東京府荏原郡大井町(現在の東京都品川区東大井)の学校法人日本体育会(現:日本体育大学)敷地にて、4男4女の末っ子として生まれる。父親は秋田県大仙市(旧中仙町)出身の元軍人、体育教師、学校法人日本体育会理事。黒田小学校を経て、1928年京華中学校卒業。画家を志して日本プロレタリア美術家同盟に参加、洋画家の岡本唐貴白土三平の実父)に絵を教わる。1936年、画業に見切りをつけて26歳でP.C.L.映画製作所(現在の東宝)に入社。主として山本嘉次郎の助監督(「」などを担当)を務める。

白黒映画監督時代

1943年、『姿三四郎』で監督デビュー。以後、終戦を挟んで『一番美しく』『わが青春に悔なし』『素晴らしき日曜日』『醉いどれ天使』『野良犬』などの社会派ヒューマンドラマの佳作を次々と発表し、東宝の看板監督の一人となる。

また山本が参加していたオーディションで、三船敏郎をたまたま目撃。本来は落選となっていた三船だが、一目ぼれした黒澤は山本に直訴までして採用。三船のデビュー作『銀嶺の果て』では既に脚本を務めた(主演は志村喬)。三船のデビュー3作目『醉いどれ天使』からは、黒澤監督作品の常連俳優となった。


自身の映画制作1950年大映で撮影した『羅生門』(原作は芥川龍之介の『藪の中』。佐伯清の元でシナリオライターの修行をしていた橋本忍の作成した『藪の中』を脚色した脚本に黒澤が関心を抱き、橋本を共同脚本家として抜擢。その後、同じ芥川の小説の『羅生門』を加えて完成した)は1951年ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を受賞。その映像感覚が国際的に注目される。続けてドストエフスキー原作の『白痴』(1951年)やヒューマンドラマの傑作『生きる』(1952年)を発表し、後者でベルリン国際映画祭上院特別賞を受賞。

1954年に発表した大型時代劇『七人の侍』は大ヒットし、ヴェネチア国際映画祭銀獅子賞を受賞するなど国際的評価も受ける。シェイクスピアの『マクベス』を日本の戦国時代を舞台に翻案した『蜘蛛巣城』(1957年)や娯楽時代活劇『隠し砦の三悪人』(1958年)を作成後に、独立プロダクションである黒澤プロを設立。時代活劇の傑作『用心棒』(1961年)『椿三十郎』(1962年)、社会派サスペンスの傑作『天国と地獄』(1963年)を立て続けに発表し大監督の名声を確定させる。

黒澤プロの設立は、黒澤監督の意向によるものというより、『隠し砦の三悪人』の大幅な撮影予定期間オーバーによる予算超過に業をにやした東宝側が、黒澤にリスク負担させることにより枷をはめようとしたものであり(収益の分配も東宝側に非常に有利な契約になっていた)、「天国と地獄」までの作品はその皮肉な成果といえよう。枠をはめられる事を嫌っていた黒澤がその完全主義を徹底させた『赤ひげ』(1965年山本周五郎原作)は、撮影期間約1年を要して大幅な予算超過となり、東宝との関係を悪化させることとなった。

白黒映画および三船との決別後

ハリウッドからのオファーを受けるようになった黒澤は『赤ひげ』の撮影後、アメリカで『暴走機関車』の制作を準備、主演にピーター・フォークヘンリー・フォンダ、撮影監督にオスカー受賞者ハスケル・ウェクスラーが決定していたが、制作方針を巡りアメリカ側プロデューサーのジュセフ・E・レヴィンと深刻な対立が生じたために頓挫(黒澤は65ミリカラーを希望したが、ハリウッド側は35ミリ白黒を提示した)(後にアンドレイ・コンチャロフスキーが黒澤の脚本を原案として映画化)。1968年に日米合作『トラ・トラ・トラ!』の日本側監督を務めることになったが、製作会社の20世紀フォックスと、撮影スケジュール等の問題から激しく衝突。監督を降板させられた。この事件は黒澤に精神的打撃を与えたとされており、2年後に自殺未遂事件を起こす。そして日本の映画産業の衰退の時期と重なったこともあり、この後は5年おきにしか新作が撮れなくなる。

1975年ソビエト連邦から招かれ(日本のヘラルド映画社がロシア側に接触して「黒澤を招いた」という形になるようお膳立てした)、ごく少数の日本人スタッフを連れてソ連に渡り『デルス・ウザーラ』を製作。ソビエト連邦の官僚体制の中で思うように撮影が進まず、シベリアタイガでのロケ撮影は困難を極めた。完成した作品は、それまでの作風と異なり極めて静的なものであったため、日本国内では酷評も出たが、モスクワ映画祭金賞、アカデミー外国語映画賞を受賞し、ソビエト連邦の期待に十二分に応え、日本国外では黒澤復活を印象付ける作品となる。

1976年11月、日本政府から文化功労者として顕彰される。

その後も、日本国外資本参加による映画制作が続き、ジョージ・ルーカスフランシス・フォード・コッポラを外国版プロデューサーに配した『影武者』(1980年)、フランスとの合作の『』(1985年)、米ワーナー・ブラザーズ製作でスティーブン・スピルバーグが提供を務めた『』(1990年)等の作品を監督。

1985年11月、文化勲章受章。

1990年米アカデミー名誉賞を受賞。

八月の狂詩曲』(1991年)、『まあだだよ』(1993年)に続く次回作として予定されていた『雨あがる』の脚本執筆中に京都の旅館で転倒骨折。療養生活に入り1998年9月6日脳卒中により死去、88歳没。叙・従三位。同年10月1日、映画監督としては初の国民栄誉賞を受賞、翌1999年には米週刊誌タイムアジア版で「今世紀最も影響力のあったアジアの20人」に選ばれた。

作品をめぐる評価とその演出

黒澤が日本映画史を代表する映画監督であることは疑問の余地がない。国際的にも20世紀の映画監督として十指に必ず入る大監督である。骨太のヒューマニズムやストーリーテリングの巧みさ、鋭い映像感覚は映画のお手本として多くの後進映画監督たちに影響を与えた(後述の「世界的な影響」を参照)。ただし、『どですかでん』以後のカラー作品については評価が分かれ、娯楽性よりも芸術性を重視したそれらの作品に対しての否定的な見解も出されている。

妥協を許さない厳しい演出はことに有名で、何ヶ月にもわたる俳優たちの演技リハーサル、スタッフと役者を待機させながら演出意図に沿った天候を何日も待ち続ける、カメラに写らないところにまで大道具小道具を作り込む、撮影に使う馬はレンタルせず、何十頭を丸ごと買い取って長期間調教し直してから使う、ロケ現場に立っていた民家を画に邪魔であるとして立ち退きを迫った等々逸話は多い。

荒野の用心棒』の盗作問題で、セルジオ・レオーネ監督は「しかし、この映画だって元はといえば『血の収穫』のパクリじゃないか」という趣旨のことを述べているように、黒澤映画のすべてがオリジナルという訳ではない。そもそも黒澤自身が晩年に至るまで新しいスタイルを取り込むことに貪欲だった。『乱』ではそれまでのリアリズムを放棄して能装束を大胆に取り入れ(衣装デザイナーはワダ・エミ)、城内をカフェバーのような間接照明でデザインした。また城門の撮り方や前半のクライマックスの「三の城」炎上のシーンはフリッツ・ラング監督の『ニーベルンゲン』の宮殿炎上シーンと構図に多数の類似点がある。『夢』の川面を映すシーンの撮影方法はタルコフスキーに教えてもらったものである。また『八月の狂詩曲』ではスタッフに大林宣彦監督の『さびしんぼう』を何度も見せた上で制作に入っている。実際、出来上がった作品は、子供の使い方や語り口、特撮合成に至るまで、親子ほども年齢差のある年下の大林宣彦監督の影響を受けたものとなった。

新技術導入に意欲的だった黒澤だが、特撮映画については長らく及び腰ではあった。東宝の同僚である本多猪四郎とは無二の親友であったし、『ゴジラ』も評価していたにもかかわらず、東宝のお家芸であるミニチュアセット撮影を黒澤は好まなかったのである。「蜘蛛巣城」では霧の中で動く森が東宝特技によるミニチュア撮影であるが、その出来について黒澤は不満を漏らしている。『天国と地獄』前半の権藤邸から見える横浜の景色には、実景の他にミニチュアセットを組んで撮影しているが、殆ど使用されなかった。『赤ひげ』では山崎努の回想シーンで大地震が描かれるが、ミニチュア特撮のシーンが入りそうな所でも黒澤は実際の古い家屋を引き倒した映像を使うに留めている。また光学合成も殆ど使用した事が無い。

しかし後年になると、例えば『乱』で城の炎上シーンにミニチュア映像との光学合成が使用されるなど、作例が現れる(『乱』ではこの他に、一の城の天守閣の窓から見える外の光景、秀虎に矢で殺された男の地面に広がる血、三の城合戦での矢の一部、地平線から見える三の城炎上の煙、兜の鍬形の反射光等)。『夢』ではVFXが積極的に取り入れられ、「鴉」のエピソードではハイビジョンでのデジタル合成が行われ、空を飛ぶ鴉はCGIで数が増やされている(この「鴉」以外の合成シーン等はILMが担当した)。


三船敏郎との関係

黒澤は1948年の『醉いどれ天使』にはじまり、1965年の『赤ひげ』まで、主演には三船敏郎を頻繁に起用した。この時期の黒澤作品は「三船無くして黒澤は無く、黒澤無くして三船は無い」とでもいうべき、スター俳優とスター監督との幸福な関係に支えられているといってよい。

「赤ひげ」を最後に黒澤は三船を使わなくなり、その為2人の関係は様々に取り沙汰されることになる。

世界的な影響

日本国外の映画作家らへの影響は計り知れず、直接作品の中で模倣されたものだけでも枚挙に暇が無い。ジョージ・ルーカスは代表作『スター・ウォーズ』の登場キャラクターを『隠し砦の三悪人』から着想したと述べており(そもそも『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』のストーリー自体が『隠し砦の三悪人』に酷似しており、ファーストシーン・ラストシーンともそっくりである)、スティーヴン・スピルバーグの『未知との遭遇』の砂嵐の中からジープが現れる場面は『蜘蛛巣城』、『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』で主人公が後ろ姿だけで顔を見せない冒頭は『用心棒』、『シンドラーのリスト』のパートカラーは『天国と地獄』、『プライベート・ライアン』のオマハビーチの戦闘シーンは『乱』を模したと言われ、フランシス・フォード・コッポラの『ゴッドファーザー』のファーストシーンの結婚式の場面は『悪い奴ほどよく眠る』の手法を模したといわれる。また、『七人の侍』が米映画『荒野の七人』(ジョン・スタージェス監督)、『用心棒』が米映画『ラストマン・スタンディング』(ウォルター・ヒル監督)などに翻案された。イタリア映画『荒野の用心棒』(セルジオ・レオーネ監督)のように盗作問題に発展したケースもある。

技術的には、例えばサム・ペキンパー監督が得意として他のアクション映画でも多用される、アクションシーンのスローモーション撮影は、元はといえば黒澤明の手法であったし、アクションシーンを望遠レンズで撮る技法も同様である。また、雨や風、水といった自然描写の巧みさはアンドレイ・タルコフスキーのような芸術映画監督を感嘆させて影響を与えたし、『羅生門』の映像美とストーリーテリングの巧みさはフェデリコ・フェリーニが深く共感した。この映画では、どしゃぶりの雨の質感を出すために墨汁を混ぜた水を放水車で降らせる、当時の技術的タブーを破って太陽に向かってカメラを向けさせる、森の中を走るシーンを移動撮影ではなくてパニングで撮るために俳優達をカメラの周りを円を描くように走らせる、といったように視覚効果を得るため様々な工夫を凝らしている。

さらに、『ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔』(ピーター・ジャクソン監督)の合戦シーンで、「七人の侍」の雨の中で弓を引く勘兵衛のショットがそのまま引用されていたり、『ラストサムライ』(エドワード・ズウィック監督)では雨や風、馬や屍の使い方など、黒澤映画から引用されたショットは多数に渡っている。黒澤明を尊敬しているとコメントした映画人は数知れないほどであり、主役格が『七人の侍』の影響からか7人である映画は非常に多い。

その他

熊井啓監督作品『海は見ていた』は、元々黒澤により撮影される予定で脚本まで書かれていたが、ラストの嵐のシーンに広大なセットを必要とされていたため、コストの面で折り合いがつかず、制作が実現しなかった作品である。全編をラブストーリーで構成するという内容は、それまで黒澤の作品には珍しく、人生最後の作品にはラブストーリーを撮りたかったという説もある。また没後映画化された脚本(時代劇)とは別に、仲代達矢は黒澤が生前『戦争と平和』(トルストイ)の映画化を考えていたと証言している。

私生活の黒澤はグルメで知られ、この年代の日本人には珍しく肉料理が多かったと家族が著書に記している。旺盛な創作意欲の原動力に美食生活が欠かせなかったのか、妻や娘が腕によりを掛けた手料理を振舞ったが、一方で食費が余りに高くつくので税務署に疑われるという冗談のような出来事もあったという[1]。撮影がトラブル続きで機嫌が悪いときも、好物のスッポン料理を口にすると機嫌が直るほどであった。また、煙草も嗜んだ。1993年イランアッバス・キアロスタミ監督が来日・対談した折は「黒澤に飲みに行こうと誘われたけど、後ろにいたスタッフの方が『断って』と合図を出すので已む無く断った。後で理由を聞いてみると、黒澤には酒量を減らすようドクターストップが掛かっているとのことだったそうだ。是非行きたかったのでとても残念です」と後年述懐している[2]。また、大酒飲みであったので、三船敏郎は打ち上げになると逃げてどこかへ行ってしまい、代わりに宝田明が呼ばれて、幹事の如く仕切らせられたという。

佐原健二は、乗っていた車が黒澤のかわいがっていた俳優と同じだというだけの理由で説教をされそうになったが、佐原と関係の深かった本多猪四郎が黒澤と仲が良かったということで説教されずに済んだという。

俳優の藤木悠によると、藤木が「監督もこういうの(ゴジラ映画)撮ったらどうですか」と聞いたところ、黒澤も「面白いね」と乗り気であったという。その後、その話を聞きつけた東宝撮影所長が藤木のもとに現れ、「黒澤さんが本気になって(ゴジラ映画を)撮ったら会社が潰れる」と注意されたという。

宮崎駿をTVシリーズの『ルパン三世』の頃から評価しており、生前までのほとんどの作品を好んで鑑賞し、対談も果たしている。しかし、『火垂るの墓』を宮崎の作品と勘違いして賞賛した手紙を送ってしまい、受け取った宮崎は渋い顔をしたという。黒澤和子によると『魔女の宅急便』は涙を流して感動していて、最も好きな作品は絵柄的にも内容的にも『となりのトトロ』だろうと語る。

身長180㎝と当時の日本人としては大変な大男だった。晩年にアカデミー賞の名誉賞を受賞した際にプレゼンテーターを務めたが、一世代若いジョージ・ルーカスやスティーブン・スピルバーグよりも頭一つほど大きかった。

芸能界に関係する家族

脚注

  1. ^ 島敏光 『黒澤明のいる風景』 新潮社、1991年
  2. ^ 2004年7月1日(木)産経新聞インタビューより

監督作品

公開年 作品名 制作(配給) 脚本 主な出演者 上映時間ほか
1943年 姿三四郎 東宝 黒澤明 大河内傳次郎藤田進月形龍之介志村喬 79分/白黒/スタンダード
1944年 一番美しく 東宝 黒澤明 志村喬、清川荘司入江たか子矢口陽子 85分/白黒/スタンダード
1945年 續姿三四郎 東宝 黒澤明 大河内伝次郎、藤田進、月形龍之介、河野秋武轟夕起子、清川荘司、宮口精二森雅之 82分/白黒/スタンダード
1945年 虎の尾を踏む男達 東宝 黒澤明 大河内伝次郎、藤田進、榎本健一仁科周芳(岩井半四郎) 58分/白黒/スタンダード
1946年 明日を創る人々 東宝 山形雄策山本嘉次郎 藤田進高峰秀子薄田研二森雅之竹久千恵子志村喬鳥羽陽之助 82分/白黒/スタンダード
1946年 わが青春に悔なし 東宝 久板栄二郎 原節子、藤田進、杉村春子、大河内伝次郎、河野秋武、三好栄子、志村喬 110分/白黒/スタンダード
1948年 素晴らしき日曜日 東宝 植草圭之助 沼崎勲中北千枝子渡辺篤菅井一郎 108分/白黒/スタンダード
1948年 醉いどれ天使 東宝 植草圭之助、黒澤明 志村喬、三船敏郎木暮実千代久我美子山本礼三郎千石規子、中北千枝子、笠置シズ子 98分/白黒/スタンダード
1949年 静かなる決闘 大映 黒澤明谷口千吉 三船敏郎、三條美紀、志村喬、千石規子、中北千枝子 95分/白黒/スタンダード
1949年 野良犬 新東宝映画芸術協会 黒澤明菊島隆三 三船敏郎、志村喬、木村功、山本礼三郎、淡路恵子、千石規子、三好栄子、千秋実 122分/白黒/スタンダード
1950年 醜聞 松竹=映画芸術協会 黒澤明、菊島隆三 三船敏郎、山口淑子、志村喬、桂木洋子北林谷栄日守新一左卜全三井弘次 104分/白黒/スタンダード
1950年 羅生門 大映 黒澤明橋本忍 三船敏郎、京マチ子、志村喬、森雅之、千秋実、上田吉二郎加東大介本間文子 88分/白黒/スタンダード
1951年 白痴 松竹 久板栄二郎、黒澤明 原節子、森雅之、三船敏郎、久我美子、志村喬、千秋実、東山千栄子、千石規子、左ト全 166分/白黒/スタンダード
1952年 生きる 東宝 黒澤明、橋本忍、小国英雄 志村喬、日守新一、千秋実、小田切みき田中春男中村伸郎金子信雄浦辺粂子藤原釜足、左卜全、宮口精二、渡辺篤、伊藤雄之助 143分/白黒/スタンダード
1954年 七人の侍 東宝 黒澤明、橋本忍、小国英雄 志村喬、三船敏郎、木村功、稲葉義男加東大介、千秋実、宮口精二、藤原釜足、津島恵子土屋嘉男、左卜全、高堂国典東野英治郎島崎雪子 207分/白黒/スタンダード
1955年 生きものの記録 東宝 橋本忍、小国英雄、黒澤明 三船敏郎、志村喬、青山京子、千秋実、東野英治郎、千石規子、清水将夫根岸明美、三好栄子、左卜全、佐田豊 113分/白黒/スタンダード
1957年 蜘蛛巣城 東宝 小国英雄、橋本忍、菊島隆三、黒澤明 三船敏郎、山田五十鈴、志村喬、久保明、千秋実、太刀川洋一浪花千栄子佐々木孝丸、高堂国典、稲葉義男 110分/白黒/スタンダード
1957年 どん底 東宝 小国英雄、黒澤明 三船敏郎、山田五十鈴、香川京子、千秋実、上田吉二郎、藤原釜足、三井弘次、東野英治郎、渡辺篤、左卜全、清川虹子 125分/白黒/スタンダード
1958年 隠し砦の三悪人 東宝 菊島隆三、小国英雄、橋本忍、黒澤明 三船敏郎、千秋実、藤田進、藤原釜足、志村喬、上原美佐、三好栄子、藤木悠、土屋嘉男、三井弘次、上田吉二郎 139分/白黒/シネマスコープ
1960年 悪い奴ほどよく眠る 東宝=黒澤プロ 小国英雄、久板栄二郎、黒澤明、菊島隆三、橋本忍 三船敏郎、香川京子、三橋達也、森雅之、志村喬、西村晃、藤原釜足、加藤武笠智衆、宮口精二、山茶花究、藤田進、中村伸郎 151分/白黒/シネマスコープ
1961年 用心棒 東宝=黒澤プロ 菊島隆三、黒澤明 三船敏郎、仲代達矢司葉子、加東大介、山茶花究、河津清三郎、山田五十鈴、東野英治郎、沢村いき雄、志村喬、藤原釜足、夏木陽介 110分/白黒/シネマスコープ
1962年 椿三十郎 東宝=黒澤プロ 菊島隆三、小国英雄、黒澤明 三船敏郎、仲代達矢、小林桂樹加山雄三団令子、志村喬、藤原釜足、清水将夫、伊藤雄之助、入江たか子、平田昭彦田中邦衛 96分/白黒/シネマスコープ
1963年 天国と地獄 東宝=黒澤プロ 小国英雄、菊島隆三、久板栄二郎、黒澤明 三船敏郎、仲代達矢、香川京子、三橋達也、石山健二郎、木村功、加藤武、志村喬、山崎努、佐田豊、伊藤雄之助、中村伸郎、田崎潤 143分/白黒・パートカラー/シネマスコープ
1965年 赤ひげ 東宝=黒澤プロ 井手雅人、小国英雄、菊島隆三、黒澤明 三船敏郎、加山雄三、山崎努、団令子、香川京子、桑野みゆき二木てるみ頭師佳孝、土屋嘉男、志村喬、笠智衆、田中絹代内藤洋子、杉村春子、風見章子 185分/白黒/シネマスコープ
1970年 どですかでん 四騎の会=東宝 黒澤明、小國英雄、橋本忍 頭師佳孝、菅井きん三波伸介伴淳三郎芥川比呂志奈良岡朋子加藤和夫、渡辺篤、藤原釜足、井川比佐志、田中邦衛、楠侑子松村達雄三谷昇二瓶正也江幡高志小島三児 140分/カラー/スタンダード
1975年 デルス・ウザーラ モスフィルム 黒澤明ユーリー・ナギービン ユーリー・サローミンマキシム・ムンズークシュメイクル・チョクモロフウラジミール・クレメナスベトラーナ・ダニエルチェンコ 141分/カラー/70ミリ・ワイド
1980年 影武者 東宝=黒澤プロ 黒澤明、井手雅人 仲代達矢、山崎努、隆大介萩原健一根津甚八大滝秀治油井昌由樹桃井かおり倍賞美津子室田日出男、志村喬 179分/カラー/ビスタビジョン
1985年 グリニッチ・フィルムヘラルド・エース 黒澤明、井手雅人 仲代達矢、寺尾聰、隆大介、根津甚八、原田美枝子宮崎美子野村武司、井川比佐志、ピーター、油井昌由樹、田崎潤、加藤武、植木等 162分/カラー/ビスタビジョン
1990年 黒澤プロ 黒澤明 寺尾聰、倍賞美津子、原田美枝子、井川比佐志、いかりや長介伊崎充則、笠智衆、頭師佳孝、根岸季衣マーティン・スコセッシ 120分/カラー/ビスタビジョン
1991年 八月の狂詩曲 黒澤プロ=フィーチャーフィルムエンタープライズII 黒澤明 村瀬幸子吉岡秀隆大寶智子鈴木美恵、伊崎充則、井川比佐志、根岸季衣、リチャード・ギア 97分/カラー/ビスタビジョン
1993年 まあだだよ 大映=電通=黒澤プロ 黒澤明 松村達雄、香川京子、井川比佐志、所ジョージ、油井昌由樹、寺尾聰、小林亜星板東英二 134分/カラー/ビスタビジョン

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