
グールドはゴルトベルク変奏曲で現れ、ゴルトベルク変奏曲で逝った人である。そのグールドのどちらのゴルトベルク変奏曲が優れているかなどを考えることははっきり言って得難いすばらしい感動を半分でやめてしまうに等しい愚行だ。両方を一生涯所有し、その素晴らしい演奏の及ぼす効用と癒しを感受するのが正しい選択だ、と僕は思う。
最初のゴルトベルク(
1955年6月)。
長い長い沈黙と暗闇の向こうに鳴っているこの音楽は、ハンニバル・レクターが大きな鉄格子の隔離から脱出するシーンでも流れている。あれは、間違いなくグレン・グールドの手によるものだ。時々、グールドの唸り声が混ざる演奏を聴けば聴くほど、この曲はまさに彼のためにあったのだと思えてくる。 彼の声というのは何となく悩める者たち、抑えきれぬ憤怒に己を抑えられぬ者たちの声のように聞こえてくる。怒りも悲しみも全てそこに混ざり、癒される為に広げられたような錯覚を僕は覚える。
最期のゴルトベルク(1981年4月・5月)。
弾けんばかりの演奏は最初のゴルトベルクをかき消さんばかりの演奏である。既に持っている最初のグールドのゴルトベルクという概念は、この新しく深化した解釈と融合し、心をより強くなるように誘導してくれる。最初の演奏よりずっと長いこの演奏は音もはるかにクリアで深い傷を少しずつ癒していく感じだ。クリアな傷にクリアな音。二つのゴルトベルクは混ざり合い心の中の一番奥にしまわれる。
いずれ劣らない僕には不可欠の演奏だ。 どちらも一生のうちに何千回と聴くだろう。この2つのゴルトベルク変奏曲を一生聴くことがない人生は、生涯所有し聴き続けられる人生より不幸だ、と断言しよう。
(voodootalk さんのレビュー)

句作はしないのですが,歳時記だけはたくさん持っているおかしなわたしです.「無人島にたった一冊持って行くなら,西洋人は聖書,日本人は歳時記」という言葉もありました.そんな私ですが,仕事で1年半セントルイスにいたときは,歳時記を忘れてしまっていた.帰国してからとりつかれたように読み出した.たしか寺田寅彦は「歳時記は日本人のインデックスだ」と言ったような気がする.ひとつの言葉でさだまらないさまざまなニュアンスをつたえるにはどうしたらいいかとか,またあやふやのことを毎日考えている.このレビューを書いていて気がついたのだが,自分の歳時記リストマニアを立ち上げればいいのだ.1位は平凡社の俳句歳時記,たしか1956年頃の出版.新装版と旧版と二つ持ってます.知人にもプレゼントしたくらいだし.私は残念ながら戦前の改造社版俳句歳時記は持っていないので,その「正当な後継者」を自認するのはこれなのだろう.次は山本健吉の「基本季語五〇〇」.同じ著者の,読売文学賞に輝く「最新俳句歳時記」より,はたまたもっと古い内舘牧子サンが愛蔵している「新俳句歳時記」より,山本健吉といえば「五〇〇」にお世話になりました.次が石田波郷の「現代俳句歳時記」.最近は主婦の友社からPODで再刊しました.装丁が安っぽいのは残念.その次はどれもどっこいどっこいで,「虚子編新歳時記」は結構駄作も多く収録し結局自分の結社しか考えてないし,「新日本大歳時記」は立派だけど肝心の収録句が充実からは遠く,つい最近の「角川俳句大歳時記」全5巻は結局「図説大歳時記」という名著の「図ぬき」「考証一部抜粋」「最近の結社の新句を平等に拾ってあげる」程度だったという,いささか肩すかしでした.案外いいのは大野林火「入門歳時記」.解説が丁寧で,例句も教科書レベルの秀句がもれなくカタログ的にならんでいたっけ.ポケット版を常に持ち歩いた時期もあったけど,300ページそこそこなのですぐに読み終わってしまった.ほかに水原秋桜子編など特徴のあるのも楽しかったな.明治書院「新撰俳句歳時記」は解説は実に素っ気ないのに例句だけはとてつもなく充実していた.なぜか中村汀女「現代俳句歳時記」をくりかえし読み通した時もあったっけ.汀女は温厚な作者なのに,「凍死」なんていうほかのコンパクト歳時記にない季語が,美しい例句で紹介されているのはいったいなぜ??金子兜太「現代俳句歳時記」は独自の世界で私にはついて行けないけれど,きっと新たな宇宙なのですね.ほかににもたくさんマイナーな領域の歳時記や季寄せ,俳句難読語辞典・俳句古語辞典などお世話になりました.ホトトギスとカドカワハルキさんだけはわたしはコメントを差し控えたい.さて,わたしが初めて手にしたのは新潮文庫版「俳諧歳時記」つぎが角川「新編俳句歳時記」でした.それぞれすり切れるほど肌身離さず持ち歩いていました.角川の新版は昭和40年代の刊行でしたが,どうしても昭和の「現代俳人」中心で,古俳諧が全くといっていいほど取り上げられていないのは残念でした.そこに取り上げられた「最新の」例句のうち,いったいいくつが現在でも「名句」といえますか?日本の短い形式の詩歌はゆたかな物語や枕詞を背景にして,本歌取りや唱和(挨拶)で発展してきたのに,その伝統を断ち切った正岡子規を私はうらみます.角川版小型歳時記(文庫の合本として派生した歴史をもつ)は,第3版でも近現代俳人中心でした.ところが,このたびの第4版は,重々不完全ながら,古句・古俳諧の収録もふえた.当然でしょ.季語そのものが,万葉集巻の十からはじまり,王朝和歌から連歌を経て,最後に数百年の俳諧の歴史のうえに定まってきたのだから.短い詩形で表現しようとするとき,先人の古句をふまえて表現の世界が広がるしくみが俳句なんだと思う.今回の第4版,文庫版1セットと,合本版2冊を買った.文庫本の「全国のお雑煮」には笑ってしまいました.こんなのははさみこみ付録にでもすべきであって,歳時記本文に入れないでほしかったのに!もしこれが合本版にのったらもう角川とは縁を切ってやる,と息巻いた私でしたが.さいわいなことに合本には入らなかった!とりあえず合本をしばらく携えて読み込んでみようと思う.角川がどこまで真剣に俳句を文化としてとらえているか見極めるために.よく考えたけど,とりあえず星は4つにしておこう.あっ,しまった,最初にうれしくて星5つにした設定が変えられない!今現在の私の気持ちは,この大きさの歳時記ですから,「久しぶりにそこそこがんばりましたね,4つ半」,といったところで.出版は「角川学芸出版」,というのも「角川文庫」はあまりにも軽い路線になったので,どうしても分社しなければ俳句関係の出版そのものが不可能になったとは,角川源義は夢にも想像できなかったでしょうに.
(nemoっ さんのレビュー)