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A級戦犯 とは?

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A級戦犯(エイきゅうせんぱん)は、ポツダム宣言に基づき、極東国際軍事裁判所条例第五条(イ)項により定義された戦争犯罪人で、極東国際軍事裁判(東京裁判)で有罪判決を受けた者をさす。起訴された者を含む場合もある。この裁判を否定的に考える人は「いわゆるA級戦犯」という言い方をする。

出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』


A級戦犯はてなダイアリーを別ウィンドウで表示  :  1.終戦後の東京裁判における戦争犯罪人の区分で、指導的立場にあった人を指す。 A, B, Cという「級」は保護法益のちがいを示す分類であり、罪の重さの序列を示す趣旨のものではない。 つまりこれらのアルファベット自体は、A級戦犯の罪がB, C級戦犯の罪より重いとも、重くないとも、言っていない。 起訴されたA級戦犯 荒木貞夫 板垣征四郎 梅津美治郎 大川周明 大島浩 岡敬純 賀屋興宣 木戸幸一 木村兵太郎 小磯国昭 佐藤賢了 重光葵 嶋田繁太郎? 白鳥敏夫? 鈴木貞一? 東郷茂 ...

出典: 『はてなダイアリー』


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ウィキペディア(Wikipedia)記事


護送中のA級戦犯

A級戦犯(エイきゅうせんぱん)は、ポツダム宣言に基づき、極東国際軍事裁判所条例第五条(イ)項により定義された戦争犯罪人で、極東国際軍事裁判(東京裁判)で有罪判決を受けた者をさす。起訴された者を含む場合もある。この裁判を否定的に考える人は「いわゆるA級戦犯」という言い方をする。

目次

逮捕までの経緯

1945年7月26日、ポツダム会談での合意に基づいて米英中により、大日本帝国に対して発した第二次世界大戦に関する13条から成る降伏勧告の宣言(ポツダム宣言)が行われた。第10項の中に「我らの俘虜(捕虜)を虐待した者を含む一切の戦争犯罪人に対しては厳重な処罰が加えられるであろう」とある。

同年8月8日、米英仏ソが「欧州枢軸諸国の重要戦争犯罪人の訴追及び処罰に関する協定」(ロンドン協定・戦犯協定)を締結。ここで「平和に対する罪」という新しい戦争犯罪の概念が登場[1]

同年8月10日、日本がポツダム宣言を受諾。15日、終戦。

同年8月29日、アメリカ政府は連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーアメリカ陸軍元帥)に暫定的な「日本降伏後初期の対日政策」を無線で指令。その指令書の一項に「連合国の捕虜その他の国民を虐待したことにより告発された者を含めて、戦争犯罪人として最高司令官または適当な連合国機関によって告発されたものは逮捕され、裁判され、もし有罪の判決があったときは処罰される」とあった。

翌30日、マッカーサーは厚木の海軍飛行場に降り立ち、「石井四郎関東軍防疫給水部731部隊隊長)はどこだ」と語った。その夜、マッカーサーはCIC(対敵諜報部)部長エリオット・ソープ准将に、東條英機陸軍大将の逮捕と戦争犯罪人容疑者のリスト作成を命じた。アメリカ政府は占領政策を円滑に進めるために天皇の存在は欠かせないと判断していたため、昭和天皇の訴追はなされなかった。

同年9月2日、東京湾に碇泊した米戦艦ミズーリで連合国と日本の降伏文書調印式が行われた。同月9日、ソープは東條内閣の閣僚を中心に戦犯容疑者のリストをマッカーサーに提出。直ちに米国務省に報告し、翌10日、国務省から了解の返電を受ける。

逮捕

連合国軍最高司令官から終戦連絡中央事務局を通じて日本政府に通達され、本人には米第8憲兵司令部への出頭命令という形で伝達され、100名を優に超える逮捕者を出した。尚、出頭命令を受ける前に杉山元は9月12日に自殺している(第二次戦犯指名リストには掲載されていた)。

また、フィリピンでの行為はマニラ軍事法廷で裁かれたため、フィリピンで捕虜にならず帰国していた者は日本で逮捕後、マニラへ送還された。

第一次戦犯指名

第二次戦犯指名

第三次戦犯指名

第四次戦犯指名

その他

板垣征四郎木村兵太郎武藤章は外地で逮捕。橋本欣五郎は国内で単独で逮捕。大谷敬二郎元東部憲兵隊司令官は、戦犯指名を受けるも逃亡。1949年に山口県内で発見されて逮捕された。

またテイ・モン(日本占領中の駐日ビルマ大使)、ホセ・P・ラウエル(日本占領中のフィリピン大統領)、ハインリッヒ・スタイマー(駐日ドイツ大使)、オットー・クレッチマー(ドイツ大使館付武官陸軍中将)ら外国人も多数逮捕されている。

定義と問題点

A級戦犯はロンドン協定により開設された極東国際軍事裁判所条例の第五条(イ)項の定義により決定された。

「平和ニ対スル罪 即チ、宣戦布告ヲ布告セル又ハ布告セザル侵略戦争、若ハ国際法、条約、協定又ハ誓約ニ違反セル戦争ノ計画、準備、開始、又ハ遂行、若ハ右諸行為ノ何レカヲ達成スル為メノ共通ノ計画又ハ共同謀議ヘノ参加」

これに基づいて極東国際軍事裁判によって有罪判決を受け、戦争犯罪人とされた人々を指すことが一般的である[2]

なお、A級のAとは同条例の英文 Charter of the International Military Tribunal for the Far East において同条(イ)が (a) となる事に由来する分類上の名称であり、その文字自体に罪の軽重を示す意味は含まれないが、当該裁判では侵略戦争の開始は一番重い戦争犯罪と解釈されているため、下された刑も重かった。また当条例に於けるこの区分は最上位の戦争指導に相当するのも事実である。

オーストラリアの代表検事マンスフィールド昭和天皇の訴追を強硬に主張。しかし、アメリカ政府の政治的判断に従うジョセフ・B・キーナン首席検察官が局長を務める国際検察局は天皇の訴追には断固反対し、免責が決定された。東京裁判の途中まで中華民国は天皇の訴追を強く要求していたが、中国国内で中国共産党軍の勢力が拡大するにつれて、アメリカの支持を取り付けるためその要求を取り下げた。

平和に対する罪人道に対する罪の適用は事後法であり、法の不遡及原則に反していることから、インドラダ・ビノード・パール判事はこの条例の定義を適用せず、被告人全員の無罪を主張した。

オーストラリアウェッブ裁判長は被告全員を死刑にすることに反対。その理由として最大の責任者である天皇が訴追されなかったため量刑が著しく不当であるというものである。フィリピンジャラニラ判事は刑の宣告は寛大に過ぎ、これでは犯罪防止にも見せしめにもならないと強く非難し、被告人全員の死刑を主張した。BC級戦犯は約1000名が死刑判決を受けている。

人体実験で3000人以上の中国人らを殺した石井四郎関東軍防疫給水部731部隊隊長)、その右腕の内藤良一731部隊関係者はその研究資料をアメリカに引き渡すという交換条件により免責されている。

サンフランシスコ平和条約で、日本は東京裁判などの軍事裁判の結果を受け入れることが規定されており、法的には日本は国家として判決を受け入れているが、国内においてはそれを不服として異論を持つ者もいる。

靖国神社A級戦犯の合祀の是非やそれに対し首相ら閣僚が参拝することの是非が問われている。1985年に中曽根康弘首相(元海軍主計中尉)が靖国神社を公式参拝した後、「靖国神社の国家護持」を唱える瀬島龍三千鳥ケ淵戦没者墓苑奉仕会会長(元関東軍参謀陸軍中佐)に合祀取り下げを働きかけたことにより、分祀論が始まった。

極東国際軍事裁判に起訴された被告人

関東軍関係
板垣征四郎 - 南次郎 - 梅津美治郎
特務機関
土肥原賢二
陸軍中央
荒木貞夫 - 佐藤賢了 - 鈴木貞一 - 木村兵太郎 - 橋本欣五郎 - 畑俊六 - 武藤章 - 松井石根
海軍中央
嶋田繁太郎 - 岡敬純 - 永野修身
総理大臣
東條英機(陸軍) - 広田弘毅(外交官) - 小磯国昭(陸軍) - 平沼騏一郎(司法官僚)
大蔵大臣
賀屋興宣
内大臣
木戸幸一
外務大臣
東郷茂徳 - 重光葵 - 松岡洋右
企画院総裁
星野直樹
ドイツ武官
大島浩
イタリア大使
白鳥敏夫
思想家
大川周明

上記の28名が1946年4月29日に起訴された。28人名のうち、大川周明梅毒による精神障害が認められ、訴追免除となり、永野修身松岡洋右は判決前に病死しているため、1948年11月12日に被告として判決をうけた者は25名となっている。死刑は1948年12月23日に執行された。

各被告の日米弁護人・補佐弁護人

被告 日本人弁護人 アメリカ人弁護人 補佐弁護人
荒木貞夫 菅原裕 ローレンス・マクマナス 蓮岡高明、徳岡二郎
土肥原賢二 塚崎直義→太田金次郎 フランクリン・ウォーレン 加藤隆久、木村重治
橋本欣五郎 林逸郎 E・R・ハリス 金瀬薫二、岩間幸平、菅井俊子
畑俊六 神崎正義 A・G・ラザラス中尉 国分友治、今成泰太郎
平沼騏一郎 宇佐美六郎 サムエル・J・クライマン大尉 澤邦夫、毛利与一
広田弘毅 花井忠 デイビッド・F・スミス→ジョージ・山岡 安東義良、森島伍郎
星野直樹 藤井五一郎 ジョージ・C・ウィリアムス 右田政夫、松田令輔
板垣征四郎 山田半蔵 フロイド・J・マタイス 佐々川知治、阪埜淳吉
賀屋興宣 高野弦雄 マイケル・レヴィン 田中康道、藤原謙治、山際正道
木戸幸一 穂積重威 ウィリアム・ローガン 木戸孝彦
木村兵太郎 塩原時三郎 ジョセフ・C・ハワード 是恒達見、安部明
小磯国昭 三文字正平 アルフレッド・W・ブルックス 高木一也、三町恒久、小林恭一、松坂時彦
松井石根 鵜沢総明→伊藤清 フロイド・J・マタイス 上代琢禅、大室亮一
松岡洋右 小林俊三 フランクリン・ウォーレン (不明)
南次郎 竹内金太郎→岡本敏男 ウィリアム・J・マコーマック→アルフレッド・W・ブルックス 松沢龍雄、近藤儀一
武藤章 岡本尚一 ロージャー・F・コール 佐伯千仞、原清治、松崎蘶
永野修身 奥山八郎 ジョン・G・ブラナン 安田重雄
岡敬純 宗宮信次 フランクリン・ウォーレン 小野清一郎、稲川龍雄
大川周明 大原信一 アルフレッド・W・ブルックス 金内良輔、福岡文子
佐藤賢了 清瀬一郎草野豹一郎 ジェームズ・N・フリーマン 藪馬伊三郎、藤沢親雄
重光葵 高柳賢三 ジョージ・A・ファーネス大尉 金谷静雄、三浦和一
嶋田繁太郎 高橋義次 エドワード・P・マクダモット 瀧川政次郎、祝島男、鈴木勇
白鳥敏夫 鵜沢総明→成富信夫 チャールズ・B・コードル 佐久間信、広田洋二
鈴木貞一 長谷川元吉→高柳賢三 マイケル・レヴィン 戒能通孝、加藤一平
東郷茂徳 穂積重威→西春彦 チャールズ・T・ヤング→ジョージ・山岡 加藤伝次郎、新納克己
東条英機 清瀬一郎、塩原時三郎 ビーバレー・M・コールマン大佐→ジョージ・F・ブルーエット 松下正寿
梅津美治郎 三宅正一郎→宮田光雄 ベン・ブルース・ブレイクニー少佐 小野喜作、池田純久、梅津美一

判決

絞首刑(死刑)

A級戦犯(土肥原賢二、松井石根、東條英機、武藤章)の絶筆

なお、ウェッブ裁判長は死刑制度の無いオーストラリア出身で、23年にもわたる判事生活で死刑を言い渡すのはこれが初めてだったために、「極東国際軍事裁判所は、被告を絞首刑に処する」の部分の口調はある意味の興奮があったという[4]

終身刑

有期禁錮

有期禁錮については禁錮を参照

判決前に病死

訴追免除

処刑後について

殉国七士墓

処刑された7人の遺体は横浜の久保山火葬場で火葬され、遺骨は米軍により東京湾に捨てられた。しかし、12月25日に小磯国昭の弁護人だった三文字正平が共同骨捨て場から遺灰(7人分が混ざった)を密かに回収し、近くの興禅寺に預けた。1949年5月に伊豆山中の興亜観音[1]に密かに葬られた。

その後、1960年8月16日愛知県幡豆郡幡豆町三ヶ根山の山頂付近に移された。三ヶ根山には「殉国七士廟」が設けられ、その中の殉国七士の墓に遺骨が分骨されて安置されて今に至る。

昭和殉難者

1978年靖国神社が死刑及び獄中死の14名を「昭和時代の殉難者」として合祀した。靖国に戦死者以外が合祀されることは例外的であった。また、広田弘毅など非軍人を合祀したことでも例外的な措置であった。死亡の理由は「法務死」となっている。

裁判を免れたA級戦犯被指定者

不起訴により釈放

彼らの中には岸のように第二次世界大戦後の日本社会の有力者になったり、それぞれの分野で相応に一定の社会的地位を築いたりした者もいたが、その活動には常にアメリカからの監視や東京裁判の影があったのではないかと保阪正康は指摘している。分かりやすく言うと「お前たちの罪は許そう。しかし、決してお前自身を許したわけではない。もし、また背くようなことがあったら東京裁判の(絞首刑となった)7人を思い出すがいい」との無言の圧力だったという[4]

病気により釈放

(注)A級戦犯に指名されながら、釈放された者は少なくとも70名強存在するが、網羅的な資料が存在せず、その人数は確定できない。

不起訴により自宅拘禁解除

逃亡

(注)大谷は1946年4月に戦犯指定を受けるが、遺書を残して妻と共に姿を消した。東京裁判も終わった1949年3月、山口県内で行商をして潜伏していたところを発見されGHQに逮捕される。同年9月の裁判において重労働刑10年の判決が下され、1956年に仮釈放となった。

自殺

名誉の回復

1952年4月28日サンフランシスコ平和条約発効

第11条(戦争犯罪)
日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の判決を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする。これらの拘禁されている者を赦免し、減刑し、及び仮出獄させる権限は、各事件について刑を課した1又は2以上の政府の決定及び日本国の勧告に基くの外、行使することができない。極東国際軍事裁判所が刑を宣告した者については、この権限は、裁判所に代表者を出した政府の過半数の決定及び日本国の勧告に基くの外、行使することができない。

戦犯の国内での扱いに関して、それまで極東国際軍事裁判などで戦犯とされた者は国内法上の受刑者と同等に扱われており、遺族年金や恩給の対象とされていなかったが、1952年(昭和27年)5月1日、木村篤太郎法務総裁から戦犯の国内法上の解釈についての変更が通達され、戦犯拘禁中の死者はすべて「公務死」として、戦犯逮捕者は「抑留又は逮捕された者」として取り扱われる事となった。

これにより1952年(昭和27年)4月施行された「戦傷病者戦没者遺族等援護法」も一部改正され、戦犯としての拘留逮捕者について「被拘禁者」として扱い、当該拘禁中に死亡した場合はその遺族に扶助料を支給する事になった。

1952年6月9日「戦犯在所者の釈放等に関する決議」、1952年12月9日「戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議」、1953年8月3日「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」が可決された。そして「恩給改正法」では受刑者本人の恩給支給期間に拘禁期間を通算すると規定され、1955年には「戦争受刑者の即時釈放要請に関する決議」がされた。そして国際的にも、サンフランシスコ講和条約第11条の手続きにもとづき関係11ヶ国の同意を得て、A級戦犯は1956年に釈放された。

A級戦犯として有罪判決を受け禁固七年とされた重光葵元外相は釈放後、鳩山内閣の副総理・外務大臣となり勲一等を授与された。1954年に外務大臣に就任した重光は日ソ国交回復と国連加盟も成し遂げている。また、終身刑とされた賀屋興宣元蔵相は池田内閣の法務大臣を務めた。更にA級戦犯元被指定者の岸信介は内閣総理大臣になった。

これらにより「日本政府は公式に戦犯の名誉回復を表明してはいないが、以上の事実より実質上は名誉回復されている」とも言われ、また、「戦犯は国際法によって裁かれたもので、国内法上の犯罪者には該当しないため、名誉回復の必要性自体が存在しない(名誉が損なわれていないので、回復する必要がない)」という意見もある。

前述の通り、日本政府はサンフランシスコ講和条約第11条で東京裁判の判決を受諾しているが、これについて「裁判自体と判決は分離して考えるべきで、日本政府が受諾したのは判決の結果(刑の執行)だけであるから、裁判全体、すなわち、法廷における事実認定や判決理由についてまで受諾した訳ではない」という意見もあり、また「赦免を以って名誉回復とするか否かは議論の別れるところだが、他方で、法治国家に於ては法の定める刑の執行が完了した時点で罪人から前科者へと立場が変わるので、刑の執行が既に済んだ者をその後も罪人扱いすること自体が法治国家にそぐわない野蛮な行為である」とする意見がある一方、「東京裁判(極東国際軍事裁判)の判決をくつがえす新たな国際法廷は開かれていない。国際社会において「A級戦犯」は今も戦争犯罪人として認識されている。また、日本政府も同様の立場を取っている。故に、戦争犯罪者であるか否かだけを問題とするのなら、彼らの名誉回復は為されていないことになる」とする意見もある。

第3次小泉内閣下における民主党野田佳彦国会対策委員長の質問主意書に対して2005年10月25日に提出した答弁書において、政府は第二次大戦後極東国際軍事裁判所やその他の連合国戦争犯罪法廷が科した各級の罪により戦争犯罪人とされた(A級戦犯を含む)軍人、軍属らが死刑や禁固刑などを受けたことについて、「我が国の国内法に基づいて言い渡された刑ではない」とした。

また、戦犯の名誉回復については「名誉」及び「回復」の内容が必ずしも明らかではないとして、判断を避けた。首相の靖国神社参拝に関しては公式参拝であっても、「宗教上の目的によるものでないことが外観上も明らかである場合には、憲法20条3項の禁じる国の宗教的活動にあたらない」との見解を示した。

比喩表現

比喩的に、悪事の主犯格や、組織の死滅(企業の倒産など)やスポーツチームの敗北を惹き起こした者を「A級戦犯」と呼ぶ例もある。これはスポーツ新聞の見出しなどに多く見られる。

脚注

  1. ^人道に対する罪」については新しい概念とまでは言えず、1915年のアルメニア人虐殺問題に対する英仏露共同宣言にまで遡ることができるが、第二次世界大戦当時、人道に対する罪は慣習国際法として確立してはなかった。多谷千賀子 『戦争犯罪と法』 岩波書店(原著2006年12月)。ISBN 9784000236669
  2. ^ 極東国際軍事裁判の被告人のうち、松井石根は同裁判の判決においてA級に該当する犯罪容疑では全て「無罪」とされており、A級戦犯ではないとする説もある。
  3. ^ 「a項 - 平和に対する罪」では無罪
  4. ^ a b 保阪正康 『東京裁判の教訓』 朝日新聞出版〈朝日新書〉(原著2008-07-30)、初版、233・249。ISBN 9784022732200。2008-11-17閲覧。
  5. ^ a b c d e f 獄中死

関連項目

外部リンク


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