ANA とは?ページ内リンク ↓ウィキペディア(Wikipedia)記事 ↓Yahoo!知恵袋全日本空輸株式会社(ぜんにっぽんくうゆ[1]、英語表記:All Nippon Airways Co., Ltd., 通称:全日空、ANA)は日本の航空会社である。 出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』 ANA ANA 出典: 『はてなダイアリー』 関連商品
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| 全日本空輸 All Nippon Airways |
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| IATA NH |
ICAO ANA |
コールサイン All Nippon |
| 設立日 | 1952年12月27日 | |
| ハブ空港 | 成田国際空港 (第一旅客ターミナル南ウイング) 東京国際空港 (第二旅客ターミナル) 関西国際空港(北ウイング) 大阪国際空港(南ターミナル) |
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| 焦点都市 / 準ハブ空港 |
新千歳空港 中部国際空港 福岡空港 |
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| マイレージサービス | ANA Mileage Club | |
| 会員ラウンジ | signet Lounge ANA Lounge CLUB ANA LOUNGE |
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| 同盟 | スターアライアンス | |
| 保有機材数 | 187機 | |
| 目的地 | 71都市 | |
| 本拠地 | 東京都港区 | |
| 代表者 | 山元峯生(CEO) | |
| ウェブ: http://www.ana.co.jp | ||
全日本空輸株式会社(ぜんにっぽんくうゆ[1]、英語表記:All Nippon Airways Co., Ltd., 通称:全日空、ANA)は日本の航空会社である。
本社は東京都港区東新橋 汐留シティセンター。国内線では日本最大の路線網を持ち、国際線でも世界各国に運航している。世界的な航空会社連合であるスターアライアンスのメンバー。東証一部上場企業。 乗客数では日本最大級を誇る航空会社である[2]
目次
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| 種類 | 株式会社 | |||||||||
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| 市場情報 |
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| 略称 | 全日空/ANA(エー・エヌ・エー) | |||||||||
| 本社所在地 | 〒105-7133 東京都港区東新橋一丁目5番2号 汐留シティセンター |
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| 電話番号 | 03-6735-1000 | |||||||||
| 設立 | 1920年(大正9年)2月9日(注) | |||||||||
| 業種 | 空運業 | |||||||||
| 事業内容 | 航空運送事業 旅行事業 |
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| 代表者 | 山元 峯生(代表取締役社長) | |||||||||
| 資本金 | 1,600億0,128万4,228円 | |||||||||
| 売上高 | 連結:1兆4,878億27百万円 単独:1兆3,413億60百万円 (2008年3月期) |
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| 総資産 | 連結:1兆7,833億93百万円 単独:1兆7,022億30百万円 (2008年3月31日現在) |
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| 従業員数 | 連結:31,345人 単独:13,120人 (2008年3月31日現在) |
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| 決算期 | 3月31日 | |||||||||
| 主要株主 | 名古屋鉄道(株) 4.13% 日本トラスティ・サービス信託銀行(株)(信託口) 2.39% ステート・ストリート・バンク&トラスト 2.13% (2008年3月31日現在) |
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| 主要子会社 | ANAセールス(株) 97.5% エアーニッポン(株) 100% 全日空商事(株) 67.0% |
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| 外部リンク | www.ana.co.jp | |||||||||
| 特記事項:注 株式額面変更のため、1975年(昭和50年)4月1日に(旧)全日本空輸株式会社を吸収合併し、旧会社は消滅した。旧会社の設立日は1952年(昭和27年)12月27日である。 | ||||||||||
日本航空と共に、日本の空を担う代表的な航空会社である。
前身は1952年(昭和27年)12月、東京を拠点にヘリコプターでの宣伝活動を目的として設立された日本ヘリコプター輸送株式会社(通称:日ペリ。1958年12月に貨物航空、1954年2月に旅客航空事業へ参入)と、同じ1952年12月設立で大阪を拠点に西日本方面の航空路線を運営していた極東航空株式会社である。
国内ローカル輸送を一本化する政府の方針に基づき、1957年(昭和32年)12月に日ペリを全日本空輸と改称し、極東航空が1958年(昭和33年)3月まで段階的にそれへ合併を行う形で成立した。なお、日本ヘリコプター輸送は論客に政財界をやり込める者が揃っていたことから“日本屁理屈ター”とか、「日ペリ」をもじって日に日に乗客が減っていく“日減り”、一方の極東航空は営業が思わしくなく出資者に苦労をかけたことから“極道航空”と揶揄されていたことがあった。
当初、合併後の社名は「全日本航空」を予定していたが、日本航空(現:日本航空インターナショナル)から日本航空株式会社法(1987年廃止)第15条に「(日本航空)会社以外の者は、その商号中に日本航空株式会社という文字を使用してはならない」と規定されており、これに抵触すると指摘されたため、再検討となった。
その結果「全日航空」・「全日本空輸」・「日本空輸」・「全日空輸」・「日東航空」(なおこれは当時存在しており、1964年に発足した日本国内航空の前身の1つ)・「遠東航空」(「極東」と同義語。やはり当時から中華民国の台北市に同名の航空会社が存在し、2008年に活動停止)が候補に挙がり、結局「全日本空輸」が採用されることになったという。
コーポレートカラーはトリトンブルー。2レターコードの"NH"は、元の社名である「日本ヘリコプター輸送(Nippon Helicopter)」に由来する。
純民間の航空会社として、日本ヘリコプターや藤田航空などの中小航空会社の合併を繰り返し事業とその路線網を拡張し、国内線においては国内線路線の運航を制限されていた日本航空や東亜国内航空を上回る路線規模の航空会社となり、ヴィッカース・バイカウントやフォッカー F27、日本航空機製造YS-11などの当時の最新鋭機を精力的に導入していった。
その反面、1966年に起きた羽田空港沖でのボーイング727型機の墜落事故や、松山沖墜落事故をはじめとする1960年代に起きた一連の連続墜落事故では、整備や安全運航面への疑問を指摘され、その後日本航空から派遣された大庭哲夫社長の下で整備や運航安全面の見直しと拡充を進めた。
全日空の成長の過程で特徴的な事として、総代理店制度の採用が挙げられる。これは、日本の航空輸送事業の黎明期に、各就航地の有力企業と提携し、航空会社の業務のうち、市内業務(営業活動)と空港業務(ハンドリング業務)を委託するという画期的な制度であった。委託業務は、市内では航空券販売・電話予約センター・また代理店販売促進活動や団体営業、空港では旅客ハンドリング・貨物ハンドリングから、機側における各種業務や機内清掃まで、幅広い業務がある。
総代理店の主な会社は、「北海道地区」では、三ツ輪運輸(釧路・女満別)、道北バス(旭川)、函館エアサービス(函館)、「東北地区」では日本通運(仙台・秋田・山形)、庄交コーポレーション(当初は庄交航空、庄内)、「中部地区」では北陸鉄道(小松)、富山地方鉄道(富山)、新潟交通(新潟)、「中国・四国地区」では両備ホールディングス(岡山)・中国ターミナルサービス(CTS)(広島)、サンデン交通(山口宇部)、日ノ丸自動車(鳥取・米子)、高松商運(高松)、土佐電気鉄道(高知)、「九州地区」では九州産交ツーリズム(熊本)、長崎空港ビル(長崎)、大分航空ターミナル(大分)、宮崎交通(宮崎)、南国交通(鹿児島)等が挙げられる。
就航当初は、大阪(阪神電気鉄道)・福岡(西日本鉄道)・松山(伊予鉄道、2005年度まで)・名古屋(名古屋鉄道、2007年6月まで)も総代理店地区であった。名古屋地区に関しては、名古屋鉄道との総代理店契約終了後も2008年6月まで名鉄駅構内(名鉄名古屋駅、金山駅)に全日空の自動チェックイン機が設置されていた。松山地区は伊予鉄道がカード事業で日本航空との提携を進めた事で総代理店契約を解除となった。
総代理店は大口の株主にもなり、名古屋鉄道は長らく全日空の筆頭株主であった。その関係で名古屋鉄道と宮崎交通は全日空の社外取締役を輩出、名鉄は現在まで継続している。全日空と総代理店が共同で航空需要の開拓をしてきたが、昨今では予約のインターネットへの移行等で総代理店の業務も変わってきている。
その後も国際線チャーターに進出するなど順調に成長を続けたものの、1976年に行われたアメリカ上院における公聴会によって明るみになった、全日空のロッキードL-1011トライスター導入に絡む疑獄事件である「ロッキード事件」では、ロッキードの代理人として動いていた大物右翼の児玉誉士夫による不正工作を受けてL-1011トライスター機の導入を進めるために、大庭をM資金に絡むスキャンダルで追い落として1972年に社長の座に就いた元運輸省事務次官の若狭得治をはじめとする経営陣から逮捕者を出したばかりか、ロッキードから児玉や政商の小佐野賢治を通じて流れ込んだ5億円を受け取った容疑で田中角栄元首相他多数の政財界人が逮捕されるなど、日本の政財界を揺るがす大疑獄事件の舞台となってしまった。
全日空はこの事件によって、日本の航空会社で唯一、航空事故以外で社長が逮捕され有罪判決を受けたという特異な経歴を有する会社になってしまったが、若狭はその後名誉会長になった挙句、長年「全日空のドン」として居座り続けたために社会的に大きな非難を浴びた。
2003年に、公式の呼称を慣れ親しまれてきた「全日空」から「ANA(エー・エヌ・エー)」へ変更・統一してイメージ転換を図り、ロゴも「全日空」から「ANA」に変更し、グループ航空会社運航機を含めて機体塗装もロゴ部分を変更している(DHC-8-300型などを除く)。しかし、一般的にはそれ以前から「全日空」もしくは「アナ」と呼ばれることがほとんどで、「エー・エヌ・エー」と呼ばれることは少ない。また、各局・各紙の報道などでは「全日空」の呼称が現在も使われている[3]。また、同時期にグループ航空会社便をANA便名へ変更している。
呼称の変更については、「全日空」が中国語で「一日中空っぽ」という意味で縁起が良くないからという説もあるが、中華人民共和国や中華民国などの中国語圏におけるビジネス顧客獲得によるシェア拡大を真摯に考える同社としては、さらにグループ会社との便名統一や、航空業界における競争に打ち勝つ国際的企業イメージの構築をふまえて、ANAへと呼称変更されたと考えるのが妥当と見える(なお、卓球の中国スーパーリーグで福原愛選手が所属する遼寧省チームのユニフォームやANA北京国際マラソンのゼッケンには漢字で「全日空」の文字が入っている)。
同じ2003年には、高い視聴率を記録したTBS系のテレビドラマ『GOOD LUCK!!』の舞台になった事で、大きな広告・告知効果を生んだ。また、塗装関連では、「マリンジャンボ」を皮切りに現在の「ポケモンジェット」にいたる特別塗装機の就航など他社に先行したアイデアで世間の注目を集めた事もある。
2008年には花より男子Fに特別協賛で出演者の全国各地の舞台公演にチャーター機を運行、2008年秋にはハッピーフライトの撮影に全面協力している。
また、「あんしん、あったか、明るく元気!」をスローガンにANA全体の環境をよりよいものにしようという運動を実施している。これらのイメージ転換の一環として、2005年5月には15年ぶりに客室乗務員、地上職員などの制服を一新した。この制服の一新は数年前に一度企画されたものの、経営状況の悪化から一旦中止されていた。
2004年4月にはボーイング社が開発しているボーイング787(開発名称7E7)を50機発注、ローンチカスタマーとなった。エンジンはかつて保有していたロッキードL-1011 トライスター以来のロールス・ロイス製を搭載することが確定している。
同年12月1日の東京国際空港(羽田)第2ターミナル供用開始に伴い、全日空グループは全て第2ターミナルからの発着となるなど、イメージ転換に合わせるかのような目新しい事案が目白押しとなった。また、ここ数年は、世界規模での航空不況からの脱却に苦しんだが2003年度は黒字を計上。悲願であった復配も達成するなど、2005年度の決算では過去最高となる660億円の経常利益を計上した。
2005年12月には、国際線・国内線兼用機として日本で初めてボーイング737-700型機を導入し、2006年に名古屋-台北(エアーニッポン便)・関西-アモイ・青島に就航させた。
2006年6月2日には、成田国際空港第1旅客ターミナル南ウィング新装開業により、ニュージーランド航空を除くスターアライアンス加盟会社を同ウィングに集結させ、大胆な宣伝を行った他、成田空港では初となるインライン・スクリーニングの導入や、世界初となるクラス別にチェックインカウンターを配置した「ゾーン・チェックイン」、スターアライアンス加盟会社の相互利用による当時日本最大の空港ラウンジ・専用到着ラウンジを開業させるなど、画期的な新システムやサービスを導入し、国際線での存在感を世界に向けて大きく発信するきっかけにもなった。
2006年10月にはアメリカ同時多発テロ事件の影響による航空需要の落ち込みで一時期運休していたシカゴ線を再開。シカゴはスターアライアンスメンバーであるユナイテッド航空のハブ空港であり、ここを強化する事で集客力を上げようとする動きがある。同時に2006年の冬季スケジュールからシンガポール航空・タイ国際航空の拠点であるシンガポール線・バンコク線、好調な台北線・広州線(2007年夏ダイヤより)のダブルデイリー化(毎日2便運行)等国際線の拡大を進めている。
2007年3月25日から、ANAがローンチカスタマーとなったボーイング737-700ERによる運行を開始した。なお、この機体はヘッドアップディスプレイを装備しているが、日本の航空会社では初めての導入そして運航となった。 この年には、ボーイング787のローンチカスタマーであることや、新サービスの積極的導入、効率的な経営努力が評価され、エアー・トランスポート・ワールド(ATW)誌上でエアライン・オブザ・イヤーに初めて選ばれた。
上記の通り、ANAでは以前から大型機は中期的にはボーイング747-400の退役をすすめ777シリーズに統一する動きはあるが、長期的な視野で見た機材選定は決定しておらずエアバスA380や747-8の導入も検討していると報じられた[11]。
2008年6月23日の株主総会では、山元社長が「エアバスA380」の購入を「本格的に検討する時期に来ている」と表明し、導入に前向きの姿勢を見せていた[12]。
そして7月4日、新機種選定委員会を立ち上げ、エアバスA380型機導入に向けて本格的な検討に入ったと報じられた。これまで慎重的だった同機の導入について初めて明確に検討することを表明したこととなった。日本の航空会社で初の表明で、成田-ニューヨーク線などに投入が有力視され、同年9月までに正式決定するとされていた[13]。
山元峯生社長への取材・報道によると、2009年度までに国際線において格安航空会社(LCC)を設立する事を明らかにした。またこれらの運航について、自社での単独運航でなく、既存のアジア系格安航空会社との提携の可能性も示唆している。[9]
全日空機が墜落、全損した事故については全日空機墜落事故を、ハイジャック事件については全日本空輸ハイジャック事件を参照。
1960年代は多くの航空事故を起こしたものの、1971年7月30日に起きた雫石事故以降は、自社の責任による乗客の死亡事故を起こしていない(雫石事故は一般的に自衛隊機側に全責任があると思われがちであるが、事故調査報告書や裁判では全日空機側にも事故の責任があることが認定されている)。
1990年代にはハイジャック事件が2件発生し、そのうち1件では機長が殺害されるという痛ましい事件も起きている。
2002年には下地島空港で訓練中のボーイング767による全損事故を起こしているほか、2007年3月13日には、伊丹発高知行きのプロペラ機(ボンバルディアDHC-8-400型)で前輪タイヤが降りず、急旋回やタッチアンドゴーなどの、強制作動を試みても前輪は降りず、胴体着陸を決行。この事故による死傷者は無かった。同型機では頻繁に運航トラブルが発生していた。その後エアーセントラルの乗務員労働組合など4労働組合は、資格取得制度の充実などのほかに、安全問題も理由としてストライキを行った。
詳細は全日空機高知空港胴体着陸事故を参照
近年もパイロットや客室乗務員の飲酒後の乗務が連続して報告されている。
ANAの機材は以下の航空機で構成される。なお、この中にはグループ共用、グループ会社向け機材を含む。なお、ANAグループはANA本体が機体所有してグループ各社が運用している機体が多い。また、機体更新が急ピッチで行われており、機種のスリム化が進んでいる。ジェット機について、将来的には、大型機、777シリーズ、787シリーズ、737NGシリーズに機種をまとめ整備の効率性を向上させる計画である。
なお、ボーイングにおけるANAのカスタマーコードは「81」。たとえばANA本体がボーイング777-300ER型機を発注した場合、正式な型式は「ボー