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BOØWY とは?

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BOØWY(ボウイ)は日本ロックバンド。1980年代に活躍。1981年結成、1987年解散。

出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』


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ウィキペディア(Wikipedia)記事


BOØWY
基本情報
ジャンル ロック
職業 バンド
活動期間 1981年-1987年
レーベル ビクターインビテーション
1982年
徳間ジャパン1983年
東芝EMI (イーストワールド)
1985年-1988年
共同作業者 ホッピー神山(キーボード)
松武秀樹(シンセサイザー)
メンバー
氷室京介ボーカル
布袋寅泰ギターコーラス
松井恒松ベース
高橋まことドラム
旧メンバー
木村マモル(ドラム)
深沢和明サックス
諸星アツシ(ギター)
  

BOØWY(ボウイ)は日本ロックバンド。1980年代に活躍。1981年結成、1987年解散。

目次

メンバー

解散時

途中脱退

脱退 - 1981年5月
1983年 2ndアルバム『INSTANT LOVE』のプロデュースを担当
脱退 - 1982年10月9日
脱退 - 1982年10月9日

スタッフ

3rdアルバム『BOØWY』から参加。
  • マネージャー:土屋浩(つちや ひろし)
アマチュア時代にはBLUE FILMというバンドで布袋と共に活動していた。5人目のBOØWYと呼ばれる事もある。
現アースルーフファクトリー代表
BOØWY』から参加。土屋同様5人目のBOØWYと呼ばれる事もある。

略歴

1981年

  • 群馬県高崎市出身の氷室京介布袋寅泰松井恒松深沢和明諸星アツシと、サポートメンバーの木村マモルの6人によって結成。所属事務所スタッフにより「暴威」と命名。候補として「群馬暴威」というのもあった。なお、氷室は後のインタビューで、この年の夏にRCサクセション日比谷野音ライブを観てバンド結成を思い立ったと語っている。
  • 5月 1stアルバム『MORAL』レコーディング開始。レコーディング中に木村が脱退、後任として高橋まことが加入。
  • 5月11日 新宿ロフトでデビューライブ「暴威LOFT FIRST LIVE」を行う。ちなみに、このギグのオーディエンスは13人(女性4人男性9人)」だったということであり、その中には後にメンバーとして加入することになる高橋信もいた。

1982年

  • 1月28日 バンド名を「BOØWY」に変更。
  • 3月21日 ビクター音楽産業より1stアルバム『MORAL』発売。プロデューサーはマライア渡辺モリオ
  • 10月9日 この日行われた新宿LOFTでのライブを最後に深沢と諸星が脱退。以後、氷室、布袋、松井、高橋の4人編成となる。

1983年

  • 所属していた音楽事務所ビーイングから独立し、プライベートオフィス「Ø-con' nection」設立。
  • 4月30日の新宿LOFTを皮切りとして、「AFROCKABILY LIVE」と題したシリーズGIGを展開。
  • 9月25日 徳間ジャパンより2ndアルバム「INSTANT LOVE」発売。プロデューサーは脱退した木村マモル。サンプル盤の「OH! MY JULLY」のB面、「FUNNY-BOY」が新宿有線で3週連続1位を獲得。

1984年

  • 3月30日・31日 新宿LOFTで2DAYSライブを敢行(「BEAT EMOTION LOFT 2DAYS 〜すべてはけじめをつけてから〜」)。ホール展開も視野に入れたバンドの飛躍へ向けた「けじめ」のライブであった。
  • 5月31日 拠点を渋谷LIVE INNへ移し「BEAT EMOTION」と題したシリーズギグを行う。夏からは同名のタイトルで全国ツアーを展開。
  • 10月7日 ユイ音楽工房と契約し、レコード会社を東芝EMIに移籍することを決定。
  • 氷室、「狂介」から「京介」に改名。

1985年

  • 2月24日 ベルリンのハンザトン・スタジオで『BOØWY』レコーディング開始。
  • 3月12日 ロンドンのマーキー・クラブ(MARQUEE CLUB)でGIGを行う。
  • 6月1日 1stシングル『ホンキー・トンキー・クレイジー』発売。
  • 6月21日 3rdアルバム『BOØWY』発売。プロデューサーは佐久間正英
  • 6月25日 渋谷公会堂で初の大ホール ワンマンコンサートを行う。
  • 8月2日 2ndシングル『BAD FEELING』発売。
  • 9月6日 BOØWY'S BE AMBICIOUSツアー開始。

1986年

  • 2月1日 3rdシングル『わがままジュリエット』発売。
  • 3月1日 4thアルバム『JUST A HERO』発売。
  • 7月2日 「JUST A HERO TOUR 1986」最終日にて初の日本武道館公演。
  • 7月31日 武道館公演を収録したライブアルバム『“GIGS”JUST A HERO TOUR 1986』を限定発売。
  • 9月29日 4thシングル『B・BLUE』発売。
  • 11月8日 5thアルバム『BEAT EMOTION』発売。

1987年

  • 4月6日 5thシングル『ONLY YOU』発売。
  • 7月22日 6thシングル『MARIONETTE』発売。
  • 7月 31日 神戸でライブ「CASE OF BOØWY」を開催。しばらく演奏されていなかった初期の曲もセットリストに含めた、バンドの総括的なライブであった。8月7日には横浜でも開催された。
  • 8月22日・23日グリーンピア南阿蘇アスペクタ「BEAT CHILD」。
  • 9月5日 6thアルバム『PSYCHOPATH』発売。
  • 9月16日 宇都宮文化会館で「BOØWY ROCK'N ROLL REVIEW DR.FEELMAN'S PSYCOPATHIC HEARTS CLUB BAND TOUR」開始。
  • 10月26日 7thシングル『季節が君だけを変える』発売。
  • 12月24日 ツアー最終日渋谷公会堂でのライブ中に解散宣言。
  • 12月25日 新聞各紙の広告スペースに解散メッセージが掲載される。

1988年

  • 2月3日 未収録3曲を追加した『MORAL+3』、12インチシングル『DAKARA』発売。
  • 4月4日・5日 東京ドームにて「LAST GIGS」を行う。解散コンサートではなく、少し早い同窓会だとメンバーは語った。ラストギグ終了後の移動車両の中で氷室が大泣きしたのは知る人ぞ知るエピソードであるという。
  • 5月3日 7thアルバム『LAST GIGS』発売。
  • 7月5日 2ndアルバム『INSTANT LOVE』再発。
  • 12月24日 アルバム『SINGLES』発売。

逸話

  • テレビ番組への出演は少なかったが、デビューして間もない頃に、ドラマ「太陽にほえろ!」(日本テレビ)に出演している。その後も音楽番組としては『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ)や『いきなり!フライデーナイト』(フジテレビ)、名古屋のローカル番組『5時SATマガジン』(中京テレビ)などに数回出演している。
  • 『夜のヒットスタジオ』の”ご対面シリーズ”では、氷室の初恋の女性が登場して氷室が喜び「さすがフジテレビだぜい!」としゃべるという微笑ましいシーンが見られる。
  • 『いきなり!フライデーナイト』ではメンバーが酔っ払ったまま出演している。
  • 『5時SATマガジン』では”ロックスターボウリング大会”という企画に出演している。
  • 『夜のヒットスタジオ』に「ONLY YOU」で出演した際に、司会の古舘伊知郎から、「(氷室の衣装が)銀座の買い物帰りのおばさんみたい」と言われ、また布袋に対しては殿さまキングスのモノマネを強要させられた事等が原因か、テレビ出演は1986年12月を最後に途絶えている。
  • MUSIC STATION』(テレビ朝日系列)の出演も拒否(解散後も氷室はジャニーズ事務所ハロー!プロジェクトへの嫌悪もあり、出演を拒否し続けているが『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』(フジテレビ)には過去2回出演している)した。一方、布袋は解散後もソロで同番組に何度か出演している。
  • 2004年12月30日に放送された『ザ・ベストテン2004』では松井、高橋が吉川晃司のサポートミュージシャンとして登場した。
  • 氷室は当初、“狂介”という芸名だったが、京都の占い師に「“狂”という文字は絶対に使ってはいけません」と言われ、現在の“京介”に改名した。[1]改名後売れたため、今後占いをもうしないと決めたらしい。
  • 氷室はバンドを結成した当初は、英会話教材セールスマンをしていた事もある。営業成績も優秀だったという。しかし、車の誘導のアルバイトでは車をぶつけ、パチンコ屋では台を壊し、ゲームセンターでは出勤3日目には先輩を見切り一日中ゲームをして遊んでいたというエピソードもある。氷室と布袋はなかなか定まった仕事に就かず、女性のヒモ同然の暮らしをしつつ、バンドの活動資金は高橋と松井のアルバイト代で補っていたそうである。
  • 布袋は本当は別のバンドに加入したかったが、地元で有名な不良少年の氷室が怖くて断りきれなかったと告白している。
  • 松井はロンドンへ行った際、帰りにデパートで土産物を買おうとしたが英語を全く喋れず、意地になって日本語を貫き通した。
  • ロンドン マーキークラブ(MARQUEE CLUB)でのGIGは「下手くそ」「止めろ」等の客の野次や、演奏中に酒のボトルが飛んできたりと、かなり酷い状況であった。録音が存在しているにも関わらず公式なリリースがないのはこのためだと言われるが、ブートレッグで聴く限りでは日本同様に盛況である。
  • 高橋が他の5人と初めて「IMAGE DOWN」を演奏した際、演奏開始のカウントがあまりにも大声だった為、松井が笑い出してしまい、演奏が中断してしまった。
  • デビューして間もない頃、九州佐賀県で3万人規模のコンサートがあるという話を聞き出演のために駆けつけたところ、それは村の夏祭りでギャラは村で収穫された野菜や酒だった。
  • 松井は高円寺にあった「ミント」という喫茶店のマスターをしていたが、店がバンドの連絡所も兼ねていたため、熱心なファンが通いつめ、売り上げが上がらず潰れてしまった。
  • 『Marionette』のプロモーションビデオのアニメ・バージョンはガイナックスが制作した。当時ガイナックスの社長を務めていた岡田斗司夫は、後に自著の中で「当時は誰もがあれをやりたがった」と回想している。
  • 日本テレビの番組『メリー・クリスマス・ショー』で吉川晃司とビートルズの『HELP!』をカバー。氷室はサザンオールスターズ桑田佳祐と共演した事もある。
  • BEAT EMOTION』発売前にラジオで「次は売れる曲出します」と発言したが、その通りに売れた。
  • 「JUST A HERO TOUR」の沖縄公演で、煽っても煽っても縦ノリにならず横揺れなオーディエンスに腹を立てた氷室はステージから下がってしまった。結果的には戻って最後まで演奏した。
  • 2008年5月10日放送のテレビ番組『SmaSTATION』(テレビ朝日系列)での1980年代邦楽ベスト20というランキングにおいて、X JAPAN尾崎豊オフコースなど数多くの著名アーティストを抑え堂々の1位を獲得(解説の小林克也のよると、都市部だけではなく全国全てにおいて圧倒的な票数で1位であったらしい)。
  • 初期メンバーの諸星(G)と深沢(sax)の脱退理由は書籍によって「音楽性の違い」「今後の不安」「事務所の命令」など諸説書かれており、真相は不明である。しかし、二人のラストライブで氷室がMCしたところによると、諸星は「もっと黒っぽい音楽(ブラックミュージックのことか?)をやりたくなったから」、深沢は「アクター(俳優)になりたいから」が脱退理由とのこと。二人のラストライブで、深沢は自作詞の曲「NO.NY」でVo.をとっている。深沢は現在も俳優として活動中。諸星はBOØWY脱退から約1年後に音楽業界から引退。その為、1983年11月27日のライブのアンコールに特別出演し、「MIDNIGHT RUNNERS」を演奏している。

作品

音源

シングル

オリジナル・アルバム

ベスト・アルバム

ライブ・アルバム

リミックス・アルバム

その他

DVD / ビデオ

未発表作品

楽曲

BOØWYは日本国内のバンドでありながら、数多くの海賊盤が出回っている事でも知られている。初期の頃にライブでのみ演奏された曲や、レコーディングされたものの没となった楽曲がかなり多く、ほとんどが公式にリリースされる事なく現状に至っている。中には後にタイトルやアレンジが変更され、公式にリリースされた楽曲も存在する。以下にそれらの楽曲の一部を紹介する。

  • ATOMIC CADILLAC
    後述の「BOOGIE」と同じく1983年頃に演奏される事が多かった楽曲。
  • IN MY HEAD
    「MIDNIGHT RUNNERS」と並んで初期のライブでの定番曲。歌詞が不明瞭でほぼ仮歌状態で歌われる事が多かったが、1983年6月18日LOFTでのLIVEでたった一度のみ日本語の歌詞で歌われた。作曲は布袋。エルビスコステロの「NO ACTION」という曲にインスパイアされ作られた。
  • SAD SUNSET(I don't wanna fade away)
    BOØWYの楽曲では数少ないスローテンポのバラードソング。アルバム『INSTANT LOVE』収録の楽曲「THIS MOMENT」を思わせる演歌のようなニュアンスを含んでいる。
  • DAKARA PART II
    82年頃に制作され未発表であったが後にアルバム『MORAL+3』に初収録された「DAKARA」とサビ以外のメロディーを一新した楽曲。「DAKARA PART II」とは公式なタイトルではなく、ファンの間で呼ばれている通称。ステージでは単に「DAKARA」とコールされていた。発表されている「DAKARA」に比べると全体的にメロディアスで、しっとりとしたラブソングとなっている。
  • TEDDYBOY MEMORIES
    イントロ部分のみを引用してシングル「ホンキー・トンキー・クレイジー」のB面曲、「“16”」として収録された。残りの部分は歌謡曲的なマイナー系の曲。
  • DO THE AFROCKABILY
    一時期ツアータイトルともなっていた「アフロビート+ロックンロール+ヒルビリー」をモチーフとした楽曲。インストルメンタルの楽曲だったが1984年頃は布袋による初のボーカル曲となる。BOØWYの楽曲の中でもリズムパートが激しく、特に高橋まことはあの独特のリズムをベンチャーズの「WIPE OUT」という楽曲からインスパイアされ叩いていたと語るが、当時話題となっていた「BOW WOW WOW」のジャングルビートからの影響であろう。
  • Do You Wanna Dance?
    4人編成になりイメージ変更を特に担った曲。「オシャレな曲」と曲紹介される。作曲は布袋。4枚目のアルバム作成時に編曲されデモが作られたがBOOWYとしては発表されなかった。松岡英明の「Dance with abandon 」として後に日の目を見る。
  • NO PAIN
    主に最初期にライブでのみ演奏されていた楽曲(81年に4~5回、82年初旬に数回)。内容は、自己主張をしない、流されて生きていく世代への皮肉。当初3パターンのアレンジがあり、曲作りの段階では「DON'T~」というタイトルであったという。
  • BOOGIE
    1983年頃のライブで良く演奏されていた楽曲。サイコビリーとニューウェーブを合体させたような曲。この曲のあとには前述の「ATOMIC CADILLAC」が立て続けに演奏される事が多かった。
  • PUSSY LADY
    全体的に歌詞、アレンジを変更してアルバム『BOØWY』に「ハイウェイに乗る前に」として収録された。
  • MARIONETTE(シングル曲とはまったくの別曲)
    後に同名の楽曲がシングルとしてリリースされているが、初期のライブでは全く異なる同名のこの楽曲が演奏されていた。作詞は氷室狂介、作曲は後に脱退したギターの諸星アツシ。テーマはマスメディアへのアンチテーゼ。
  • MIDNIGHT DATE
    1984年頃にライブで演奏されていた楽曲。「MIDNIGHT C BOP」というタイトルでクレジットされていた記録がある。ライブ中に氷室の口から「次のアルバムに入れる予定の曲」とMCされた事があるが、実現しなかった。メロディーの一部が「幸せの黄色いリボン」に酷似している事も指摘されている。氷室の好きなシャッフル系。後に「ホンキー・トンキー・クレイジー」に昇華されたと言える。「気分が白い夜には」というフレーズは後の「季節が君だけを変える」の曲中で使用される。
  • MIDNIGHT RUNNERS
    初期の代表曲の一つであり、ライブでは終盤に必ずと言っていいほど演奏されていた。Aメロとサビのみのシンプルな構成である。Aメロは空間系のエフェクトを強く効かせたコードストロークまたは4分刻みのカッティング。サビは布袋のブラッシングとリズム隊が一体になった後の「DO THE AFROCKABILY」~「BAD FEELING」に繋がる演奏をバックに、氷室が「MIDNIGHT RUNNERS!」と連呼するのみ。1985年の東芝EMI移籍後は殆ど演奏されなかったが、2007年発売の『“GIGS”BOX』において映像化された。
  • YOU GATTA YOU
    82年春頃 中目黒の氷室のアパートで布袋と2人で作ったDEMO3曲の中の1曲。モチーフは『FUNK』。(他の2曲は『PUNK』→「BABY ACTION」、『SLOW BALLADE』→「I DON'T WANNA FADE AWAY」)1982年8月8日LOFTで一度だけ演奏された。「YOU GATTA YOU」という曲名はファンの間での通称で正式なタイトルではない。
  • LOVE & GAME
    BEAT EMOTION収録候補として氷室が作曲した曲。BEAT EMOTIONに収録されることはなかったが、後に小泉今日子や仲村知夏に楽曲提供され、氷室自身のソロ1stアルバムにも収録される。
  • WORKING SPUNKY
    歌詞は氷室のデモ音源でよく使用される「デタラメ英語」によって構成されている。
  • ONE TWO THE BEAT
    氷室狂介による楽曲。モチーフは「MARCH」。主に6人編成の時期に演奏されデキシーミッドナイトランナーズの影響を色濃く示す作品。4枚目のアルバム作成時にイントロ、サビを編曲してデモが作られたが結局アルバムに入ることは無かった。

書籍

写真集

関連書籍

脚注

  1. ^ 月刊カドカワ1991年4月号 総力特集氷室京介70ページ

関連項目

外部リンク


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