DAICON FILM とは?ページ内リンク ↓ウィキペディア(Wikipedia)記事 ↓Yahoo!知恵袋DAICON FILM(ダイコンフィルム)は、1981年から1985年にかけて活動したアニメ・特撮を中心とする自主映画の制作集団。アニメ制作会社ガイナックスの母体となった。 出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』 DAICON FILM 出典: 『はてなダイアリー』 ウィキペディア(Wikipedia)記事DAICON FILM(ダイコンフィルム)は、1981年から1985年にかけて活動したアニメ・特撮を中心とする自主映画の制作集団。アニメ制作会社ガイナックスの母体となった。 なお、「ダイコン・フィルム」という表記は間違いである。
活動の概要1981年、大阪で第20回日本SF大会(愛称「DAICON3(ダイコン・スリー)」、大阪で3度目の開催であることからこう呼ぶ)が開催された時、開会式において1本の8mmアニメーションが上映された。日本SF大会は開催地近辺の大学生によって運営されるのが通例であり、DAICON3も岡田斗司夫・武田康廣らを初めとする大阪近辺の大学生たちが運営主体であった。そして、岡田らから依頼を受けて、このアニメーションを実際に制作したのは当時大阪芸術大学に在籍した庵野秀明、赤井孝美、山賀博之といった後にプロで活躍する面々だった。庵野らはそれほど意気込みがなかったが、山賀が率先して企画を持ち上げてた。ペーパーアニメの経験こそあったもののセル画によるアニメ製作は初めての経験だったという。もちろんプロとしての技術もノウハウも何も無い手探りの状態であったため、プロのアニメスタジオに足を運び、技術を学んだ。通常使用しない安価な工業用セルロイドを使うなどの試みが見られた。この『DAICON3オープニングアニメ』と名付けられた短編作品は、大会参加者に好評を博し、さらに折からのアニメブームで急速に読者を増やしていたアニメ雑誌でも大きく採り上げられた。 DAICON3が終了すれば、SF大会のために集まった彼らは解散して活動も停止するはずであった。しかし岡田らは、イベント運営で培った経験と技術とチームワークが失われることを惜しみ、そのまま様々な活動を続けた。DAICON FILMはその活動の1つとして結成されたものである。岡田は自身が経営するSFグッズ専門店「ゼネラルプロダクツ」でDAICON FILM作品の映像ソフトとグッズを販売。1万円以上するビデオが3,000本以上売れたという[1]。その利益が次の作品の製作費になっていた。 その後、DAICON FILMはさらに8mm特撮映画『愛國戰隊大日本』・『快傑のーてんき』・『帰ってきたウルトラマン』を制作した。これらはいずれも既存の特撮作品のパロディ(あるいはパスティーシュ)として作られたものであったが、自主制作作品としては驚くほど完成度の高いものだった。これらの作品は先の『DAICON3オープニングアニメ』と同様にアニメ雑誌『アニメック』で大きく採り上げられ、DAICON FILMは注目を集めることになる。また、この活動は、岡田らが大阪でSF大会をもう1度開催するための準備でもあった。 そして1983年、彼らの手により大阪で再び日本SF大会が開催されるに至る。すなわち大阪で4度目のSF大会、「DAICON4(ダイコン・フォー)」であった。アニメーション制作の現場で実践を積んだ彼らは、DAICON3を上回るオープニングアニメーションを制作・上映し、運営面では大規模でしっかりとしたイベントを実現した。このイベント運営を通してDAICON FILMはさらに人材を集め、技術を磨いた。 レベルとしては当時のプロ水準とほぼ同格、もしくはそれ以上の質であり、観客らを圧倒した。この影響によりこの後のアマチュアアニメの世界では「メカ・美少女・パロディ」などの演出が多く見られるようになる。また、この『DAICON4オープニングアニメ』には、アニメ制作会社アートランドに所属していた板野一郎、平野俊弘、垣野内成美らプロのアニメーターが協力した。これはDAICON3のオープニングアニメの出来に目をつけたSF企画集団スタジオぬえに誘われて、庵野秀明、山賀博之が上京し、アニメ制作部門のないスタジオぬえがアートランドを紹介。そのアートランドが制作していたテレビアニメ『超時空要塞マクロス』にDAICON FILMから庵野秀明、山賀博之がスタッフとして参加した縁による。東京での活動は後に彼らがプロとして活躍する足がかりとなっていった。また、DAICON4からは、赤井孝美と同郷だった前田真宏、前田の大学の先輩である貞本義行がDAICON FILMに合流し、後のガイナックス中核となるメンバーが揃っている。 だが、それまでの日本SF大会に見られたアマチュアらしさが抑えられていたことは一種の商業主義と見られ、SFファンの一部からは批判の声が上がっていた。持ち前のサービス精神から「関西芸人」と呼ばれて目立った存在だったのに加えて、SF大会と直接関係しない映像制作で「DAICON」の名を使っていたことに対し、岡田らによる日本SF大会の私物化と批判する者もいた。かつて神戸で日本SF大会を主催した経験のあるSF作家の筒井康隆も、岡田らの運営した大阪大会で原爆投下を茶化した『ピカドン音頭』というイベントを実施したことや、自主映画『愛國戰隊大日本』の内容を右翼を賛美するものであり、「アホな演しもの」だとして苦言を呈した1人である[2]。 その後、1984年に当時の自主映画としては極めて珍しい16mmフィルムによる大作『八岐之大蛇の逆襲』が制作され、1985年バンダイから販売された。1984年末、『王立宇宙軍〜オネアミスの翼』の企画をきっかけとして、DAICON FILMは解散。アニメ制作会社ガイナックスが設立される。 電車男オープニングアニメーション2005年に放送されたテレビドラマ『電車男』のオープニングには実写ドラマとしては珍しくアニメーション映像(『月面兎兵器ミーナ』)が用いられたが、 楽曲も『エレクトリック・ライト・オーケストラ』の『Twilight』が用いられており『DAICON4オープニングアニメ』に酷似している。これは、このアニメを制作したのがGONZO(ゴンゾ)だからだと思われる。1992年にガイナックスを退社した村濱章司、前田真宏、山口宏、樋口真嗣らが設立したのがGONZOであり、今回のオープニングにはDAICON FILMから発展、設立されたガイナックスと元ガイナックス社員らが設立したGONZOの2社の協力体制もしくはなんらかの関係が窺われる。 作品
上記の作品以外にも『人間版サンダーバード』、『共産戰隊ダイロシアン』などが企画されていたが実現はしなかった。また、『王立宇宙軍〜オネアミスの翼』はもともとDAICON FILMで制作される予定であったが、制作時に設立されたアニメ制作会社ガイナックスでの制作となった。 関連人物脚注
外部リンク
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