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Jリーグ とは?

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J2:コンサドーレ札幌

出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』


Jリーグはてなダイアリーを別ウィンドウで表示  :  日本のプロサッカーリーグ。社団法人日本プロサッカーリーグが主催している。 プロ野球・大相撲以外のプロスポーツという事で多いに盛り上がり、サッカーを国民的スポーツとして定着させる事に成功した。 一方サッカー日本代表の強化と言う面でも、1998年にFIFAワールドカップ初出場を果たし、いまやアジアの強豪国の一つとして君臨するようになった。 国外への影響としても、アジアを中心に国名を冠したプロリーグが次々と作られた。 現在は1・2部合わせて31チームが加盟。全国各地でクラブチームが作られ加盟希望チームが後を絶 ...

Jリーグはてなダイアリーを別ウィンドウで表示  :  千原兄弟・千原ジュニアの友達関係をさす言葉。兄・セイジの「セリーグ」もある。

出典: 『はてなダイアリー』


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ウィキペディア(Wikipedia)記事


日本プロサッカーリーグ
分類 サッカー
開始年 1993年
参加チーム 33(J1:18、J2:15)
加盟国 日本
前回優勝チーム J1:鹿島アントラーズ

J2:コンサドーレ札幌

日本プロサッカーリーグ(にほんプロサッカーリーグ、Jリーグ)は、財団法人日本サッカー協会が主催、社団法人日本プロサッカーリーグが主催・運営する日本プロサッカーリーグ。日本サッカーの活性化・実力向上と、地域と一体となったスポーツ文化の振興を目的に掲げている。

2008年12月1日の理事会決定により、2009年は、日本国内の27都道府県に本拠地を置く1部・2部各18ずつ、合計36のプロサッカークラブが加盟する、過去最大規模となった。またこれにより、関東1都6県では、全てに所属チームが存在することとなった。

目次

変遷

JSL時代とプロ化構想

Jリーグ発足以前の日本サッカー界を取り巻く環境は現在とかなり異なっていた。すでに「日本サッカーリーグ」(JSL)が行われていたが、「高校サッカー選手権」の方がむしろ国内での知名度が高く、1試合の観客動員数は人気カードでさえも1万人には届かない程度(全試合平均では1000人程度)であり、「天皇杯」等のカップ戦を含めても年間20万-30万人程。「日本代表」の試合に至っては地方の小規模なスタジアムで開催しても観客席はまばらな状況であった。

また、当時の選手やチームを取り巻く環境も大変厳しかった。練習環境においても社会人のトップクラスのクラブでさえも練習設備は乏しく、試合会場のピッチもほとんど手入れが行き届いておらず、冬になれば黄色く芝生が枯れていた。それに加え、選手の待遇もプロ契約を結んでいるごく一部の者(スペシャル・ライセンス・プレーヤー)を除くと典型的なアマチュア選手が大部分で、とてもサッカーだけに集中出来る環境ではなかった。その為、日本代表は「FIFAワールドカップ」はおろか、「オリンピック」には1968年のメキシコ五輪以降は本大会に出場する事すら出来ず不遇の時代を迎えており、日本国内ではサッカーファン以外の人々には「FIFAワールドカップ」という名称ですら一般的に知られていなかった。なお、この頃の日本におけるサッカー人気は主に海外サッカーと漫画やアニメといったサッカー関連のサブカルチャー作品といったものに支えられていた。特にブラジル代表ディエゴ・マラドーナ、それに漫画のキャプテン翼などが大きく担っていた。

ただ、当時の日本サッカー協会内ではその様な状況を打破したいと、川淵三郎らが中心となって国立競技場で開催する1989年2月26日のJSLの後期リーグ開幕戦を無料招待試合にするなどといった様々な試みを積極的に行っていたが、現状を変えるまでには至らなかった。しかし、その一方で水面下では木之本興三らを中心とした第1次JSL活性化委員会が極秘裏に「スペシャルリーグ(サッカーのプロ化)構想」を進めていたが、協会内部では『JSLの活性化』では意見が一致していたものの、まだまだ『リーグのプロ化』に対しては「プロ化は時期尚早」や「プロ野球の球団ですら赤字経営なのに、サッカーではまともに採算が取れる訳がない」などと、親会社から出向してきた当時の1部リーグに所属する実業団クラブの役員達を中心にJSLの評議委員会の強固な反対の声も多く、なかなか木之本らの計画は進展しなかった。

ところが、1980年代後半、当時のFIFA会長であったジョアン・アベランジェからアジアで初めてとなる「FIFAワールドカップ」の日本開催を日本サッカー協会へ打診されると、当時の第2次JSL活性化委員会が中心となって急激にプロリーグ構想が推進されて行った。まもなく「日本プロサッカーリーグ」(Jリーグ)の発足が決定。初年度は10クラブの参加により開始することとなり、1992年には前哨戦として「Jリーグヤマザキナビスコカップ」が行われた。

Jリーグの発足とブームの到来

1993年5月15日、「ヴェルディ川崎横浜マリノス」の開幕戦[1]で華々しく発足したJリーグは、それまでは有名なプロスポーツと言えばプロ野球などに限られていた当時の日本全国に大きな衝撃を与えた。同開幕戦はNHKが中継し、関東地区では32.4%の視聴率を記録(ビデオリサーチ調べ)。試合は満員の観客が毎節集まり、地上波のテレビ中継もゴールデンタイムを中心にして頻繁に行われた。ちなみに、1993年後期には全局のテレビ中継数は41本、うちゴールデンタイムでの放送が20本を占めた[2]。その為、Jリーグやその他のサッカー関連の商品も多く売れて各Jリーグクラブに大きな収入をもたらし、1993年には新語・流行語大賞を受賞、まさに時代を象徴する存在にまでなった。

翌94年の1試合平均観客動員数は19,598人で、この記録は2007年シーズン終了時点でも破られていない。都市部にクラブが集中していたとはいえスタジアムの整備も現在と比べて行き届いておらず、さらに平日開催も頻繁に行った上でこの観客動員数は、当時のブームの大きさを窺わせる。また、この頃のスタジアム内ではサポーターによってチアホーンがよく鳴らされていたが、スタジアム周辺の近隣住民から「騒音に当たる」との苦情が相次いだので、その後しばらくしてJリーグがスタジアム内でのチアホーン使用の自粛を促した(ただし、規定で明確に禁止されている訳ではない)。

発足当時、Jリーグの「親会社に依存した企業スポーツからの脱却」、「地域住民や自治体との連携」という考えは日本において極めて異色の独自性の強いものであったが、当初は「プロ野球のサッカー版」という見られ方をされることも少なくなかった。この時期は選手の年俸が国際市場価格と比較しても異常なほど高騰し、後にJリーグの各クラブチームの経営を圧迫する一因となった。なお、開幕時には10チームでスタートしたが、Jリーグはこの頃からもうすでにリーグの拡大路線を行っていた。翌94年には当時の準会員制度(現在のJリーグ準加盟制度)で準会員だったジュビロ磐田ベルマーレ平塚が定められた参入条件を満たしてJリーグに参入したのを皮切りに現在でもJリーグへの新規参入がほぼ毎年の様に続いている。

現在では批判的に見られることの多い傾向にある「Jリーグブーム」ではあるが、この時期にサッカーの認知度が劇的に向上しており、日本サッカーの発展に寄与した役割は大きい。代表クラスの大物外国人がJリーグでプレーしたことや、世界に名を知らしめる有名監督もJリーグで指揮を執ったことで、現在も続くパイプも多くはこの時期に築かれている。

ブームの沈静化と各クラブの経営危機

Jリーグは1996年に「百年構想」を発表する。「企業スポーツの枠内から脱し、地域に根ざした新しいスポーツのあり方を模索する」という理念を掲げ、積極的にJリーグクラブ数を拡大して、最終的には全国に100チームのJリーグクラブを作ることを目標とした。

しかし、この頃から平成不況の影響とブームの沈静化が当時のJリーグを襲った。1993年に発足したJリーグではあったが、Jリーグバブルの影響でクラブには多額の放映権料収入や関連グッズ収入、試合の入場料収入などが入ってきた為に、当時からすでに選手の移籍金や年俸が異常なほどの高騰し、中には支出の半分以上が選手関係だったというクラブも少なくなかった。それは、この頃にJリーグへ加盟したクラブも同じ事で、Jリーグに昇格する為に多額の資金で選手補強を行っていたクラブも多かった。ただ、それらの際に出来た負債も加盟後に見込んでいた放映権料収入や関連グッズ収入、試合の入場料収入での返済を見込んでいたが、この頃から観客動員数が急激に減少し始め、1994年に19,598人を記録した平均観客動員数も1997年には10,131人と僅か3年で半分近くにまで減少した。また、協賛企業が平成不況の影響で次々とJリーグクラブのスポンサーから撤退し、それまではゴールデン枠で放送されていたテレビ中継もJリーグバブルの沈静化の影響で民放が次々と撤退してしまった為に放映権料収入も急激に減少した。結果、それらの影響で資金繰りに行き詰るJリーグクラブが急激に増え始め、それまでのずさんな各クラブ運営の実態を浮き彫りにする事となってしまった。

そして、ついに最悪の事態がJリーグで起こる事となった。1998年10月28日に横浜マリノス横浜フリューゲルスの合併(事実上の横浜フリューゲルス消滅)が発表されたのだ。しかし、これには横浜フリューゲルスサポーターを中心とした反対運動が一斉に巻き起こって、全国各地での署名活動やJリーグの事務局や横浜フリューゲルスの経営陣との話し合い等といったチームの存続運動が行われたがそれらの願いも空しく、結局は横浜フリューゲルスの親会社である全日空佐藤工業と横浜マリノスの親会社である日産自動車の両社が合併反対の声を押し切る形で強引に合併の合意文書に署名し、翌1999年には合併チームの「横浜F・マリノス」が生まれて一部の選手がフリューゲルスから移籍した。その一方で、この事件をきっかけに反対運動を行っていた横浜フリューゲルスサポーター達を中心に新しく横浜FCが発足したが(当時は新JFL所属、2001年にJリーグ参入)、多くの横浜フリューゲルスサポーターはこの事件に失望してスタジアムに二度と戻って来なくなるという禍根を残す形となった。

経営危機からの脱却と「J2」の発足

一時期、深刻な危機を迎えたJリーグではあったが、1998 FIFAワールドカップへの日本代表の出場と2002 FIFAワールドカップの開催決定を契機として観客動員数は緩やかながらも復調の兆しが見え始める。前者はサッカーそのものや大会に出場する選手達への注目度を高め、後者は地方自治体によるスタジアムや練習場の整備としてJリーグのクラブ経営に恩恵をもたらした(後述)。それに加えて、Jリーグでは99年3月に「チェアマン指針」を発表し、現在では全Jリーグクラブ(Jリーグ準会員も含む)を対象にJリーグ経営諮問委員会による経営状態の監査や是正指導、更にはJリーグや各クラブの年度別経営収支[3]などの一般公開といった経営の透明化やJリーグや各クラブ単位での地域に根ざした活動がこの頃から積極的に行われ始め、中には浦和レッドダイヤモンズアルビレックス新潟ヴァンフォーレ甲府といった様な日本サッカー界のみならず、日本のスポーツ界にも一定の影響を与える程の成功例もこの頃には続々と出現した。

1999年にはJリーグ加盟を希望するアマチュアサッカークラブの増加に応えるべく2部制を導入し、10クラブが参加した「Jリーグディビジョン2」(J2)が新たに発足、従来のJリーグは16クラブ制の「Jリーグディビジョン1」(J1)となった。これによりJリーグのクラブ数は18から26へ増加し、その後もJ2はクラブ数を拡大した。それまでは関東地方静岡県から福岡県までの東海道新幹線山陽新幹線沿線地域に集中していたJリーグクラブ(唯一の例外は1998年に参入し、1999年にはJ2に所属した北海道コンサドーレ札幌)の存在地域は、東北地方ベガルタ仙台モンテディオ山形)や北信越地方アルビレックス新潟)からの新規参入を含め、それまで団体競技のプロスポーツチームが乏しかった全国各地の地方都市へ拡大していった。また、スタジアム問題などでJリーグクラブがなかった東京都にもJ2創設によりFC東京が誕生し(2000年J1昇格)、さらに2001年にはかねてから自身が希望していたヴェルディ川崎の東京移転(東京ヴェルディ)が実現した。これはJリーグクラブで初のホームタウン全面変更だった。

2002 FIFAワールドカップ開催と地域密着の浸透

ブームが沈静化した97年頃から1試合平均1-1.2万人程度で推移していた観客動員数は、日本開催のFIFAワールドカップを控えた2001年に急激に好転しその後も徐々に増加を始める。地元開催となった2002 FIFAワールドカップを翌年に控え、開催各地に続々と最新鋭のスタジアムが整備され、その地域に根ざすJリーグクラブに大きな恩恵をもたらした。

爆発的なブームを巻き起こした黎明期の「Jリーグブーム」と呼ばれた人気に対し、2001年以降の人気回復は地域や地方都市のローカリズムに寄って立つ比重が非常に大きい。かつてはごく少数の企業等がJリーグクラブを保有したが、現在では大手スポンサーに加え、自治体や地域の市民たちでクラブを支える経営手法をとるJリーグクラブも多数生まれた。

2002 FIFAワールドカップの開催によるサッカーブームが加わり、Jリーグは発足当初ほどの爆発的な盛り上がりはないものの徐々にファンを増やすことに成功した。また、Jリーグ準加盟制度[4]や「Jリーグ加盟を標榜するクラブに対する優遇処置」(飛び級制度)などで、Jリーグ加盟の敷居が以前よりも低くなった。その影響で全国各地にJリーグ加盟(もしくはその下のJFL)を目標とするアマチュアサッカークラブが多数誕生した。

国際大会での活躍と新規加盟

2002 FIFAワールドカップ開催以後、全国のJリーグ空白地帯を中心にアマチュアサッカークラブが誕生し、この中からはザスパ草津ロアッソ熊本などいったクラブが、ほぼ毎年の様にJリーグへと新規加盟した。

また、2007年には浦和レッドダイヤモンズと川崎フロンターレがJリーグクラブとして初めてAFCチャンピオンズリーグのグループリーグを突破した。中でも浦和レッドダイヤモンズに至っては、Jリーグクラブとしては初めて同大会において初優勝を飾って、同年12月に開催されたFIFAクラブワールドカップに出場し、欧州王者のACミランなどを相手に健闘した。

規模最大化と厳格化

2008年12月1日、理事会はJFLから新たに3チームをJ2に参加させ、参加クラブ数が36と過去最大規模になるとともに、1部・2部入れ替え戦を廃止することを決めた。これに伴い、2009年シーズンは、J1の16位以下となったチームは2010年J2へ自動降格となる一方、J2で3位以内となったチームは2010年J1へ自動昇格する。

沿革

概要

Jリーグは1993 - 1998年までは1部のみの「Jリーグ」として最大18チームで開催され、1999年からは現行の「Jリーグ ディビジョン1(J1)」と「Jリーグ ディビジョン2(J2)」の2部制に移行した。なお、Jリーグが2部制となる以前の1992年1993年には、旧JFLの略称としてJ1・J2がかつて使われたことがある。

シーズン方式

1993年に誕生したJリーグは当初、1シーズンを「ファーストステージ」と「セカンドステージ」の2つずつに分け、セカンドステージの終了後にはファーストステージとセカンドステージの優勝チームによるホーム・アンド・アウェー方式のチャンピオンシップ(年間王者決定戦)を開催して、そのシーズンの年間王者に決めていた。しかし、2005年シーズンからはその2ステージ制を廃止して、本格的に1シーズン制を導入している。

また、Jリーグではシーズンの開幕時期を1993 - 2008年現在まで、「春秋シーズン制」(3月頃 - 同年12月頃の約10ヶ月間)を採用している。

2ステージ制・1シーズン制

2ステージ制(1993 - 1995年、1997 - 2004年)
  • 1993 - 1995年は、同一チームが完全優勝をした場合でも、各ステージの2位同士のプレーオフを開催し、その勝者がサントリーチャンピオンシップ(年間王者決定戦)に出場できる方式を採用し、チャンピオンシップを必ず開催することになっていた。だが、この間は完全優勝がなかった。なぜなら、その方式だとファーストステージに優勝したクラブがセカンドステージも優勝する意味がなくなる(=モチベーションがゼロになる)からである。なお、1993-95年まで(この3年間は年間4回総当りを1ステージ2回ずつに区切って開催)のファーストステージは「サントリーシリーズ」、セカンドステージは「日本信販・NICOSシリーズ」として開催されていた。
  • 1995年は、14チームで年間4回総当りを行うと1チーム52試合となり、選手の健康負担が増える可能性があることから一時は1シーズン制での3回総当り(1チーム39試合)にすることも検討されていたが、当時のリーグ戦ステージ・スポンサーを含むオフィシャルスポンサーとの契約上の問題(1995年度一杯まで契約があった)から断念し、結局4回総当りを維持。その代わり、この年はJリーグヤマザキナビスコカップを開催しなかった。
  • 再び2ステージ制を導入した1997年以降、同一チームが完全優勝をした場合はチャンピオンシップを行わないことになった(チャンピオンシップの成績はその項を参照)。

1シーズン制(1996年、2005年 - )
  • 1996年はアトランタ五輪やアジアカップが開催された為に日程の都合で初の1シーズン制を採用し、チャンピオンシップは開催されなかった。その代わりとしてサントリーカップ・96チャンピオンズファイナル と題する大会が、Jリーグの年間成績とJリーグカップの各上位2チームの参加で、トーナメント方式で開催された。
  • 2005年シーズン以降からは従来の2ステージ制から本格的に1シーズン制へと移行したので、チャンピオンシップは2004年をもって廃止された。

Jリーグ ディビジョン1 (J1)

J1試合方式(2008年)

  • 18チームによる2回総当りホーム&アウェイ方式1シーズン(通年制 34試合)の成績で順位を決定する。
  • 勝ち点は勝ち3点、引き分けは双方1点、負け0点。最終的に勝ち点の多いチームが優勝。同点の場合、得失点差→総得点→直接対決成績→反則ポイント→抽選で決める。ただし、優勝決定の場合、抽選を行わず両クラブを優勝者とする。
  • 17,18位のチームが自動的に降格し、翌年はJ2となる。16位チームはJ2の3位チームと入れ替え戦を実施する。

J1参加クラブ(2008年)

J1の参加チームは、社団法人日本プロサッカーリーグのJ1会員が保有する第1種チームである。

クラブ名 ホームタウン ホームスタジアム J1参加年度
コンサドーレ札幌 北海道札幌市 札幌ドーム
札幌厚別公園競技場
1998、2001-2002、2008-
鹿島アントラーズ 茨城県鹿嶋市潮来市
神栖市鉾田市行方市
カシマサッカースタジアム 1993-
浦和レッドダイヤモンズ
(浦和レッズ)
埼玉県さいたま市 埼玉スタジアム2002
さいたま市駒場スタジアム
1993-1999、2001-
大宮アルディージャ 埼玉県さいたま市 NACK5スタジアム大宮 2005-
ジェフユナイテッド市原・千葉
(ジェフ千葉)
千葉県千葉市市原市 フクダ電子アリーナ
市原臨海競技場
1993-
柏レイソル 千葉県柏市 日立柏サッカー場
柏の葉公園総合競技場
1995-2005、2007-
FC東京 東京都三鷹市府中市調布市
小平市西東京市小金井市を中心とした東京都全域
味の素スタジアム 2000-
東京ヴェルディ(※1) 東京都稲城市多摩市日野市
立川市八王子市を中心とした東京都全域
味の素スタジアム 1993-2005、2008-
川崎フロンターレ 神奈川県川崎市 等々力陸上競技場 2000、2005-
横浜F・マリノス 神奈川県横浜市横須賀市 日産スタジアム
ニッパツ三ツ沢球技場(※3)
1993-
アルビレックス新潟 新潟県新潟市聖籠町 東北電力ビッグスワンスタジアム
新潟市陸上競技場
2004-
清水エスパルス 静岡県静岡市清水区 静岡市日本平スタジアム 1993-
ジュビロ磐田 静岡県磐田市 ヤマハスタジアム 1994-
名古屋グランパス(※2) 愛知県名古屋市 名古屋市瑞穂公園陸上競技場
豊田スタジアム
1993-
京都サンガF.C. 京都府京都市 西京極総合運動公園
陸上競技場兼球技場
1996-2000、2002-2003、
2006、2008-
ガンバ大阪 大阪府吹田市 万博記念競技場 1993-
ヴィッセル神戸 兵庫県神戸市 ホームズスタジアム神戸 1997-2005、2007-
大分トリニータ 大分県大分市別府市
佐伯市を中心とする全県
九州石油ドーム 2003-
※1:2008年シーズンより「東京ヴェルディ1969」から呼称を変更。
※2:2008年シーズンより「名古屋グランパスエイト」から呼称を変更。
※3:2008年3月1日より命名権導入により呼称を変更。

歴代J1参加クラブ

過去にJ1(1998年以前はJリーグ)に所属したことのあるクラブチーム(2008年の所属クラブを除く)。

クラブ名 J1在籍年度
ベガルタ仙台 2002-2003
横浜フリューゲルス 1993-1998
横浜FC 2007
ベルマーレ平塚(現湘南ベルマーレ 1994-1999
ヴァンフォーレ甲府 2006-2007
セレッソ大阪 1995-2001、2003-2006
サンフレッチェ広島 1993-2002、2004-2007
アビスパ福岡 1996-2001、2006

歴代年間王者クラブ

年度 年間王者クラブ 第1ステージ 第2ステージ
1993年 ヴェルディ川崎 鹿島アントラーズ ヴェルディ川崎
1994年 ヴェルディ川崎 サンフレッチェ広島 ヴェルディ川崎
1995年 横浜マリノス 横浜マリノス ヴェルディ川崎
1996年 鹿島アントラーズ (1シーズン制)
1997年 ジュビロ磐田 鹿島アントラーズ ジュビロ磐田
1998年 鹿島アントラーズ ジュビロ磐田 鹿島アントラーズ
1999年 ジュビロ磐田 ジュビロ磐田 清水エスパルス
2000年 鹿島アントラーズ 横浜F・マリノス 鹿島アントラーズ
2001年 鹿島アントラーズ ジュビロ磐田 鹿島アントラーズ
2002年 ジュビロ磐田 ジュビロ磐田 ジュビロ磐田
2003年 横浜F・マリノス 横浜F・マリノス 横浜F・マリノス
2004年 横浜F・マリノス 横浜F・マリノス 浦和レッドダイヤモンズ
2005年 ガンバ大阪 (1シーズン制)
2006年 浦和レッドダイヤモンズ
2007年 鹿島アントラーズ
※名称は当時のもの。

優勝・上位入賞チームの特典
  • 年間優勝(J1優勝)チームへの特典として、AFCチャンピオンズリーグ(ACL)とA3チャンピオンズカップ(A3)、Jリーグスーパーカップ(スーパーカップ)の各大会出場権が与えられる。なお、天皇杯との2冠を達成した場合、ACLは年間成績が2位のチーム、スーパーカップは天皇杯の準優勝チームが繰り上げ出場する。また、A3は日本で開催される場合にはJ1の優勝チーム以外からの推薦出場枠がある。ちなみに、2003年と2006年はJリーグカップの優勝チームが出場した。
  • なお、