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LUNA SEA(ルナシー)は、1990年代に主に日本を中心に活動していたロックバンド。
メンバー
メンバー全員が作詞・作曲を行い、初期の作品を除きクレジットタイトルは全て作詞・作曲:LUNA SEAとなっている。これは原曲となる曲を個人が作曲し、それを元にメンバー全員で作り込む(ジャム・セッション)という方法を取っている[1]ためである。また、印税などの権利を公平にするという意味もある。
LUNA SEAには明確なリーダーが存在しない(一部でリーダーは最年長のSUGIZOと言われているが、彼は下記にも表示されているように、バンドのオリジナルメンバーではないため否定している)。意思決定は全会一致が原則で、ある提案に対し五人のうち一人でも嫌だと言えば、その案はボツになった[1]。Jは「他のバンドさんの前に、五人がライバルだ」と語っている[2]。そのようにメンバー1人1人の個性が非常に強く時には衝突しあいながら緊張感あふれる音楽を作っている様子を称して、市川哲史は「独立国家共同体バンド」「音楽戦隊エゴレンジャー」「自己顕示欲のハルマゲドン」などと形容していた。
また、LUNA SEAのファンを「SLAVE(スレイヴ)」と呼び、六番目のメンバーとしている。SLAVEはオフィシャルファンクラブの名称でもあり、ファンクラブ SLAVEはLUNA SEAが終幕した現在も活動している。
ちなみにRYUICHIは結成当時RAYLA(レイラ)、真矢はローマ字表記でSHINYAと名乗り活動していた。
バンド名
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LUNA SEAとは「月と海」と言う意味である(LUNAはラテン語 SEAは英語である)。インディーズ時代は狂気という意味のLUNACYと言うバンド名であった。メジャーでの活動を視野に入れた彼らは、一つの意味に縛られず、また、音楽的にも「深く」・「広く」という思いから、「〜CY」箇所を「〜SEA」にした「LUNA SEA」というバンド名に変更した。これはJの提案によるものである。
また、2000年に発売されたアルバムには、初心に帰るという意味も込めて、旧バンド名である「LUNACY」という名が付けられている。
来歴
なお、ここに記載されている来歴は、ライブDVDである「THE FINAL ACT TOKYO DOME」のエンドロールとライブアルバム「NEVER SOLD OUT」のジャケットに記載されているLUNA SEA BIOGRAPHYを参考にしている。
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メジャーデビュー以前
- 1989年
- 5月29日:町田プレイハウスで結成。初ライブを行う。
- 8月〜:曲入り1stデモテープ「LUNACY」発売。(100本)完売。
- 10月〜:活動の拠点を都内に移す。目黒鹿鳴館、目黒ライブステーション他にて本格的に活動。
- 12月〜:3曲入り2ndデモテープ「SHADE」発売。(1000本)完売。
- 12月17日:町田プレイハウスにて初のワンマンライブ(動員数150人)。
- 1990年
- 4月3日:大阪MODAホールにて関西初ライブ行う。
- 6月10日:<LUNA SEA1周年記念ワンマン黒服限定GIG>1曲入りデモテープ「LASTLY」無料配布。
- 7月14日, 7月15日:2度目の関西・大阪でのライブ。動員が急増し、大成功を収める。
- 11月24日:目黒ライブステーション・ワンマンライブ(動員数250人SOLD OUT)。
- 12月18日:日仏会館(ロクf New Age Attack’90Final)出演。
- 1991年
- 1月10日, 11日:目黒ライブステーション・ワンマンライブ2 Days(総動員数500人SOLD OUT)。
- 2月11日:目黒鹿鳴館ワンマンライブ(動員数330人SOLD OUT)。
- 2月24日:渋谷公会堂(ロクf 東京GERILLA WARFARE)出演。
- 3月10日〜3月22日:<NUCLEAR FUSION TOUR>エクスタシーレコードの他の2バンドと共に東京、横浜、名古屋、京都、大阪を回る(各会場SOLD OUT)。
- 4月21日:インディーズ1stアルバム『LUNA SEA』をエクスタシーレコードよりリリース。初回プレス分予約で完売。
- 4月27日:新宿NISSIN POWER STATIONにてアルバム発売記念GIG。発売後30分でSOLD OUT(動員数800人)。
- 5月3日:大阪ロケッツにてアルバム発売記念ライブ。
- 6月13日〜6月27日:ワンマンで初の全国ライブハウス・ツアー<UNDER THE NEW MOON TOUR EPISODE>スタート。全国7ヶ所で動員数2800人。
- 6月30日:日比谷野外大音楽堂<MOON LIGHT ROCK REVOLUTION VOL.2>出演。
- 7月6日〜:2回目の全国ライブハウスツアー<UNDER THE NEW MOON TOUR EPISODE II>スタート、全国21ヶ所22公演。動員数3,500人。
- 9月19日:<UNDER THE NEW MOON TOUR FINAL EPISODE>日本青年館、初のホールワンマン。動員数1,250人。SOLD OUT。台風で電車が運休したため、開演が一時間遅れる[3]。
- 10月13日〜:3回目の全国ライブハウスツアー<UNDER THE NEW MOON TOUR EPISODE III>スタート。全国8ヶ所13公演。動員数7000人に。
- 12月29日,12月30日:<UNDER THE NEW MOON TOUR EPISODE III FINAL>日本青年館2 DAYSライブ。動員数2,500人。SOLD OUT。メジャーデビューをファンに報告[3]。
- 12月31日:シークレットライブ都内近郊3ヶ所で決行。目黒鹿鳴館でカウントダウン。
- 1992年
- 1月:オフィシャルファンクラブ「SLAVE」発足。
- 3月20日:〜インディーズラストツアー<DEAR SLAVES TOUR>スタート。
- 5月20日:町田プレイハウスにてインディーズラストライブ<LUNA SEA3周年記念黒服限定GIG>動員数200人(SOLD OUT)。1stアルバム『LUNA SEA』からの10曲が収録順に演奏された[4]。
- 5月21日:メジャーデビュー1stアルバム『IMAGE』MCAビクターよりリリース(現ユニバーサルビクター)。オリコン初登場9位。
メジャーデビュー以降
- 1992年
- 5月28日〜:<LUNA SEA CONCERT TOUR 1992 IMAGE OR REAL>スタート。全国7公演。動員数7000人。ツアー中の各公演を同じメニューで演奏したのはこの時が初めて[4]。
- 6月〜ビデオコンサートスタート、渋谷The AIR(6月13日)、立川BASH(6月13日)、横浜ライブスクエア(6月14日)、新宿東放学園(6月14日)町田プレイハウス(6月21日)を行う。
- 7月18日〜:<LUNA SEA CONCERT TOUR 1992 IMAGE OR REAL アンコールツアー 東・名・阪スペシャル>3公演。総動員数5500人。
- 7月22日:1stビデオ「IMAGE OR REAL」リリース。オリコン初登場1位。
- 9月27日〜:<LUNA SEA CONCERT TOUR 1992 AFTER the IMAGE>スタート。全国13ヶ所公演。総動員数約16000人。
- 10月20日:難波ロケッツにて黒服限定GIG開催[4]。
- 10月24日:<LUNA SEA CONCERT TOUR 1992 AFTER the IMAGE>ツアーファイナルとなる日比谷野外音楽堂公演にて、メンバー全員それまでカラフルだった髪の色を黒に染めて登場したり、それまでアンコールでの定番曲だった「MOON」をオープニングに持ってくるなど、観客を驚かす[4]。
- 10月29日:大阪でのエクスタシーサミットにメンバー全員白の衣装で参加する[4]。
- 10月31日:日本武道館<EXTAST SUMMIT 1992>に参加。
- 1993年
- 2月24日:バンド結成以来初のシングル「BELIEVE」リリース。オリコン初登場11位。
- 4月1日:<SLAVE限定GIG〜SPECIAL PRESENT FROM LUNA SEA〜>渋谷公会堂。
- 4月16日〜:<LUNA SEA CONCERT TOUR 1993 SEARCH FOR MY EDEN>スタート。全国14ヶ所14公演。総動員数約26000人。
- 4月21日:2ndアルバム『EDEN』リリース。オリコン初登場5位。
- 7月21日:2ndシングル「IN MY DREAM (WITH SHIVER)」リリース。オリコン初登場9位。
- 8月21日〜:<LUNA SEA CONCERT TOUR 1993 SEARCH FOR MY EDEN ENCOREツアー>スタート。東・名・阪3ヶ所4公演。総動員数約24000人。名古屋センチュリーホール(8月21日)大阪厚生年金会館(8月23日)日本武道館2 Days(8月26, 27日)⇒27日の公演が台風のため延期、8月30日に振替公演を行う。
- 12月16日:2ndビデオ「SIN AFTER SIN」リリース。オリコン初登場2位。
- 12月18日〜:<LUNA SEA CONCERT TOUR'93〜94 THE GARDEN OF SINNERS>スタート全国19ヶ所20公演。総動員数約40000人。
- 12月26日:新宿NISSIN POWER STATION「月と海」シークレットライブ。
- 1996年
- 3月24日:7thシングル「END OF SORROW」リリース。オリコン初登場第1位。
- 4月22日:4thアルバム『STYLE』リリース。オリコン初登場第1位。
- 6月16日, 18日:<SLAVE限定GIG'96>をNHKホールで行う。
- 7月15日:ライブビデオ・LD「LUNATIC TOKYO〜1995・12・23 TOKYO DOME〜」リリース。オリコン初登場第1位。さらに8thシングル「IN SILENCE」リリース。オリコン初登場第2位を記録。テレビ朝日系ドラマ「シカゴ・ホープ」イメージ・ソングとなる。
- 7月16日〜:<LUNA SEA CONCERT TOUR 1996 UN ENDING STYLE>スタート。全国9ヶ所16公演 総動員数 120,000人。
- 10月22日〜:<UN ENDING STYLE ENCORE TOUR 1996 〜TO RISE>スタート 。全国28ヶ所28公演 総動員数58,000人。
- 12月23日:<UN ENDING STYLE TOUR FINAL Christmas STADIUM〜真冬の野外〜 in 横浜スタジアム>動員数40,000人。本編終了後、アンコールを待つ観客による「きよしこの夜」の大合唱が起こる。この日より充電期間に入る。
- 1999年
- 1月〜:<LUNA SEA FIRST ASIAN TOUR 1999> スタート。1月9日 台湾 動員数3,000人 1月14日 香港 動員数3,800人 1月17日 上海 動員数2,500人
- 5月29日:ライブアルバム『NEVER SOLD OUT』をリリース。オリコン初登場第5位。
- 5月30日:<LUNA SEA 10TH ANNIVERSARY GIG [NEVER SOLD OUT]CAPACITY ∞>を東京ビッグサイトスペシャルオープンステージで行う。3日前に会場を襲った強風によりステージセットが倒壊し、開演が危ぶまれるが、メンバーの希望により決行。タイトルにある「NEVER SOLD OUT」の言葉通り、入場料を払えば当日でも何人でも入場できるシステムが採用され、総動員数 10万人を記録。
- 9月29日:ライブビデオ2本同時リリース(各10万本限定生産)「10TH ANNIVERSARY GIG[NEVER SOLD OUT] CAPACITY∞LIVE!!」オリコン初登場第1位。「10TH ANNIVERSARY GIG[NEVER SOLD OUT]CAPACITY ∞ DOCUMENT!」 オリコン初登場第2位。
- 12月23日:事務所の後輩バンドであるGLAYと対バン<The Millennium Eve A Christmas present for the people who love live a lot>を東京ドームで行う。総動員数 56000人。
終幕後
- 2001年
- 5月29日:ライブDVD『THE FINAL ACT TOKYO DOME』リリース。FC限定でライブVHS版『THE FINAL ACT TOKYO DOME』をリリース。
それぞれ、特典映像が異なる。VHS版は、現在ほとんど入手不可能である。
-
- 11月28日:ビデオクリップ集『ECLIPSE II (VHS)』と『ECLIPSE I+II (DVD)』リリース。
- 2008年
- 1月16日:ライブDVD『真冬の野外』と『真夏の野外』リリース。
- 3月26日:ベストアルバム『LUNA SEA COMPLETE BEST』とライブDVD『LUNA SEA GOD BLESS YOU〜One Night Dejavu〜TOKYO DOME 2007.12.24』リリース。
- 5月4日:恩師・hideの追悼イベント、『hide memorial summit』に参加する為に再びメンバー全員が集結。hide TRIBUTE SPIRITSでも参加していたhideの曲、SCANNERなどを披露した。「BELIEVE」ではX JAPANと競演。この時はドラムがYOSHIKI、真矢は(アンプにはつながっていないが)ギターを担当。ほかのX JAPANのメンバーもそれぞれのパートで参加した。
略歴
結成〜初ライブ
1989年1月INORANとJが所属していたLUNACYへPINOCCHIOに所属していたSUGIZOと真矢が加入する。この時期に在籍していたボーカルが脱退した後、SLAUGHTERにいたRYUICHIが加わり、5月6日にこの5人でインディーズ活動を開始。5月29日には町田プレイハウスにて初ライブを成功させる。この時、「ここで5人で音を出した時、これだ!と思った。」と、後に各メンバーが異口同音で語っている。以後、町田を拠点としてライブを精力的に続け徐々に人気を獲得していく。この頃、彼等が今でも偉大な先輩と尊敬するAIONのローディーをJが務めていたこともあり、AIONからイベント参加の誘いを受けLUNACY初の大阪ライブを行う。1990年11月、目黒ライブステーションでのワンマンライブを機に、バンドの表記をLUNA SEAに改める。
〜インディーズでアルバムリリース
精力的にライブ活動をこなしていったLUNA SEAは、この過程でX JAPAN(当時 X)のYOSHIKIやHIDEに誘われ、YOSHIKIが主宰するエクスタシーレコードから1991年4月に1stインディーズアルバム「LUNA SEA」をリリースする。この年は、ライブハウスツアーを3本こなす。9月19日には日本青年館、年末の12月29日・30日には日本青年館2DAYSを成功させた。
メジャーデビュー〜初の日本武道館
1992年5月には2ndアルバム「IMAGE」でMCAビクター(現:ユニバーサルミュージックK.K.)よりメジャーデビューをはたす。ツアーは前半、「TOUR 1992 IMAGE OR REAL」・アンコールツアーを行い、東京ではアンコールツアーの最終日、日比谷野外音楽堂に進出をはたす。10月1日には渋谷公会堂にて公演。そして翌年の2月24日、1stシングル「BELIEVE」をリリース。その後ツアーを行い、ツアー中に3rdアルバム「EDEN」をリリースする。8月にはアンコールツアーを東京・名古屋・大阪で行ったが、最終日の初武道館2DAYSの8月26日・27日の内、27日が台風に見舞われ、延期して30日に振り替えられるというアクシデントが発生(「嵐を呼ぶバンド」と呼ばれるきっかけとなった)。
1994年
年頭に行われた、前年から続くツアーの最終日の横浜アリーナ公演では豪雪に見舞われ、一時開催が危ぶまれる事態になり、「やっぱり嵐を呼ぶバンド」と言われたが、ライブは成功を収めた。そして7月21日発売の3rdシングル「ROSIER」がオリコン初登場3位にランクインし、ロングヒットを記録、一躍シーンのトップに躍り出る。その後、夏はLSB(w/SOFT BALLET、BUCK-TICK)イベントで各地をまわる。9月発売の4thシングルの「TRUE BLUE」ではオリコン初登場1位を記録し、4thアルバム「MOTHER」は1位こそ逃すものの、ロングセールスとなり約70万枚の売り上げを記録した。年末は日本武道館で締めくくった。
1995年
シングル「MOTHER」(アルバムMOTHERからのシングルカット)・「DESIRE」リリースのヒットと同時に、3月から「TOUR 1995 MOTHER OF LOVE.MOTHER OF HATE 」で全国を周る。そして12月23日、初の東京ドームライブ「LUNATIC TOKYO」を行い、チケットは瞬時にソールドアウト、6万人を動員し、バンドとして人気を不動の物にした。
1996年〜活動休止へ
7thシングル「END OF SORROW」がオリコン1位を記録し、約1ヶ月後には5thアルバム「STYLE」をリリース。アルバムでは初めてのオリコン1位を記録した。7月、横浜アリーナ2DAYSを皮切りに全国ツアーがスタート。10月からはアンコールツアーと題して約2ヶ月間のロングツアーを決行し、普段はあまり行かない地区を中心にライブを行う。そして12月に横浜スタジアムでの真冬の野外ライブを開催。ここで97年の1年間、バンド活動を休止する事を発表する。Jによれば、7月からの全国ツアーが始まる頃に、メンバーでの話し合いが持たれ、「次のビジョンへ行くためには、一人ひとりのメンバーが力を付けて、新しいルナシーを作らなければダメ」であり、1997年を「みんなの自主トレーニングの期間にあてよう」という結論に至ったという[5]。
1997年〜活動再開へ
この年、メンバーの5人はソロ活動をしていった。まずボーカルのRYUICHIは本名の河村隆一でソロ活動を開始。アルバム「Love」は約300万枚という男性ソロシンガーとしては最高位の売り上げを記録し、年末には紅白歌合戦にも出場するなど、わずか1年の間にソロシンガーとしての地位を不動のものにした。また俳優・タレントしてもテレビ・ドラマなどにも出演しお茶の間にも進出した。SUGIZO・INORAN・J・真矢もそれぞれに精力的な音源製作・ライブ活動で5人が5人独特の活動を展開して見せた。個々にシンガーデビューを果たし、ランクインさせた。その後12月17日、赤坂BLITZにて活動再開会見&復活ライブを行う。
1998年〜復活・再び東京ドームへ
この年はシングルの連続リリース「STORM」「SHINE」「I for You」で始まり、いずれも大ヒットを記録。夏には横浜スタジアムでのライブ2DAYSを行った。6thアルバム「SHINE」はミリオンヒットを記録し、そのアルバムを引っさげての全国ツアー「Tour'98 SHINING BRIGHTLY」を行い、年末には3年ぶりとなる東京ドームライブ2DAYSをツアーファイナルとして「SHINING BRIGHTLY FINAL END OF PERIOD in TOKYO DOME」を成功に収める。年末には紅白歌合戦への出場を果たした。
1999年
1月から初のアジアツアーを決行し台湾・香港・上海を周り、各地でライブ活動を展開。5月29日には初のライブアルバム「NEVER SOLD OUT」をリリース。翌日の5月30日にはバンド結成10周年を記念した野外ライブ「NEVER SOLD OUT CAPACITY∞」が開催されることになっていたが、開催3日前に暴風により数十億円をかけたセットが倒壊。真矢のドラムが巻き込まれる等の被害が出て開催が危ぶまれ「嵐を呼ぶバンド」の名が一時的に復活した。しかし、廃墟をセットにしてしまおう、というメンバーのアイデアで予定通り開催。東京ビッグサイトスペシャルオープンステージに10万人を集める[6]。この時メンバーでただ1人倒壊前日にステージを見ていたINORANは当時出演したTV番組でセット倒壊の報を聞いてメンバー全員で駆け付けた際のことを「倒壊する前の様子が点線になって見えるんですよ」と言っていた。12月23日、GLAYとの対バン、「The Millennium Eve」を東京ドームで決行し5万6千人を動員する。
2000年〜終幕
2000年1月1日0時0分、カウント・アップ・ライブをZepp Tokyoでスタートさせる。この年は「gravity」「TONIGHT」「LOVE SONG」の3枚シングルをリリース。ライブ活動も精力的にこなした。夏には7thアルバム「LUNACY」をリリース。しかし、2度目の海外ツアーを香港・台湾で行う直前の11月8日、「終幕」(事実上の解散)を発表。RYUICHIは「終幕」の理由について、「このメンバーでバンドをやっていたいちばんの理由は、5人でいれば誰よりも輝けると思ったからです。でも、同じ光を見てると目も慣れて、より強い光を求められなくなった」と語った[7]。そして12月23日にはベストアルバム「PERIOD」をリリースし、20世紀最後のオリコンチャート1位を獲得。12月26日・12月27日には、東京ドームで「LUNA SEA THE FINAL ACT TOKYO DOME」を決行。このライブのセットリストは、終幕発表以前に公式WEBサイト上で行われた曲投票が反映されている。このライブをもってLUNA SEAは12年にわたる活動を終幕させた。
終幕後の活動
1997年の活動休止中からソロアーティストとしてもキャリアをスタートさせていた5人は、終幕後も5人5様の活動を続けている。また、多くのアーティストは解散後ファンクラブも終了する場合が多いが、解散後もファンクラブSLAVEは存続している。
それぞれの活動(J・真矢・FAKE?・SUGIZO/SHAG)としてある雑誌のインタビューを受けた際に、LUNA SEA開幕について聞かれ、SUGIZO以外のメンバーはそれに肯定的なことを言っていたが、SUGIZOは「開幕してほしいっていう人はあのときの感覚を再体験したいだけなんだよ。」と発言し、断固として反対していた。しかし、市川哲史の著作『私が「ヴィジュアル系」だった頃』でのインタビューでは、LUNA SEAを「偉大なる失敗バンド」と位置づけながらも「失敗の要因を全部クリアできて、もう一度5人が人間的に繋がり合えるのであればリ・スタートとしてありかも。」と、再結成を完全否定しているわけではないことが伺える発言もしている。
一夜限りの開幕
2003年10月、渋谷ラ・ママで行われた先輩バンドAION20周年記念3Daysライブに、真矢以外のメンバーがそれぞれ参加。RYUICHI・INORANは終幕後に初めて同じステージに立つ(後にTourbillonとして本格活動を開始)。
2007年7月末、オフィシャルサイトの特設ページに月と海のFLASHが出現し、その意味について説明の無いまま、1ヶ月後の皆既月食の日を目指してカウントダウンが始まった。8月28日午前3時、カウントダウンが終わると、12月24日(月・祝)に東京ドームで一夜限りの復活ライブの開催が明らかとなった。タイトルは「GOD BLESS YOU 〜One Night Dejavu〜」。2007年はメジャーデビュー15周年、各ソロ活動10周年という節目にあたり、これが一夜限りの復活の大きな要因となった。
2007年12月19日にはLUNA SEAの再結成を記念して、企画メモリアル・カバー・アルバム『LUNA SEA MEMORIAL COVER ALBUM -Re:birth-』がAvexから発売された(トリビュート・アルバムではなく、カバー・アルバム)。LUNA SEAに影響を受けたムックやメリー、メンバーと交流のある西川貴教が率いるabingdon boys schoolやTRFのDJ KOOなど、Avexのアーティストが多く参加している。
10月28日に発売されたチケット5万枚は僅か5分足らずで完売した。ライブの模様とドキュメント映像を収録したDVD「LUNA SEA GOD BLESS YOU〜One Night Dejavu〜 2007.12.24 TOKYO DOME」が2008年3月26日にリリースされた。
ドームライブ後の本格的「再結成」について、Jは「そもそもそのことを口に出しただけで全てが壊れそうなバランスにある」ため、メンバー誰もが口にせず、ただドームのライブに集中している状況だと、雑誌のインタビューで語った。 今後については各ソロ活動以外全く発表されていない。復活ライブの最後にRYUICHIの『いつかどこかの空の下でまた会おう』といった再結成を匂わせるような意味深な発言[8]や、NHK総合のドキュメンタリーでSUGIZOの『強引に葬るのは罪だと思います』との発言があり、本格的な再結成を否定していない。
2008年5月4日に東京・味の素スタジアムで行われたX JAPANのHIDE追悼ライブ(hide memorial summit)の二日目に出演し、「Precious...」「G.」「SCANNER」「BLUE TRANSPARENCY」「Up To You」など11曲を演奏。さらにX JAPANメンバーと共に「BELIEVE」を演奏した(真矢がギター、YOSHIKIがドラム)。
エピソード
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この節には『独自研究』に基づいた記述が含まれているおそれがあります。解釈、評価、分析、総合の根拠となる出典を示してください。 |
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この節に雑多な内容が羅列されているので、本文として組み入れるか整理・除去する必要があります。このタグは2008年1月に貼付されました。 |
- オリジナルアルバムのレコーディングでは、まず最初に曲順を決めていた。これは特に真矢の希望によるもの[9]。
- SUGIZOと真矢、INORANとJはそれぞれ同じ高校に通っていたが、真矢以外の3人は中学も一緒だった。
- INORANとJにとっては初めてのバンドである。
- たびたびLUNACYのサポートに入っていた真矢がINORANとJに正式加入を要請された際、「SUGIZOも一緒じゃないと嫌だ」と言ったためにLUNACYはツインギターとなった。ちなみにINORANが唯一ギターソロを弾いている楽曲は「もう死んだふりさせない」という未音源化の曲である。それ以降は生来の性格や好みもありすべての楽曲でSUGIZOがギターソロを弾いている。
- RYUICHIがLUNACYのライブを見て衝撃を受け挨拶に行った際差し入れとして持って行ったものはミスタードーナツ2個だった。
- インディーズ時代はお金がなかったためSUGIZOの実家や真矢のバイト先のスタジオが練習場所だった。
- エクスタシーの一員として若いころはよく酒を飲み暴れており(特にSUGIZOとJ)、その所業は大島暁美の「ゆばまんがしら」「ロックンロール日記」、市川哲史の「酒呑み日記」などに詳しく記されている。
- hideとは公私ともに特に仲がよく、SUGIZOと真矢は1991年のX日清パワーステーション3days1日目「Xと仲間たち」で「JAZVA」として共演、INORANとJはコンピアルバム「DANCE 2 NOISE 004」にて「MxAxSxS」を結成し「FROZEN BUG」を音源として残している。RYUICHIはhideのシングル「TELL ME」のカップリング「SCANNER」に参加している。後に「SCANNER」は『hide TRIBUTE SPIRITS』においてLUNA SEA名義でトリビュートされている。
- AIONのアルバム『AIONISM』(1991年 BMGビクター)にメンバー全員がコーラスで参加。
- Jの名前の由来は本名の下の名前「潤(じゅん)」と、彼が尊敬する先輩にあたるAIONのベーシスト、DEANの名前の由来の両方にひっかけている。DEANはJames Deanの大ファンでDEANと名乗っていたので、JはJamesDeanの「James」から頭文字をとり「J」とした。
- 1997年の活動休止に関して提案したのはSUGIZO、賛成したのがRYUICHI、中立だったのがINORAN、反対したのがJ、真矢である。
- 1998年の週刊少年マガジン第48号と第49号に、藤崎聖人により、LUNASEAが漫画化された。
- 一夜限りの復活ライブが発表された2007年8月28日は皆既月食であり、復活ライブが開催された2007年12月24日は満月であった。
ディスコグラフィ
デモテープ
- LUNACY(1989.08.24)
- SHADE (1989.11.25)
- Lastly(1990.06.10)
シングル
- BELIEVE c/w Claustrophobia (1993.2.24・MVDD-4)
- IN MY DREAM (WITH SHIVER) c/w SLAVE (1993.7.21・MVDD-6)
- ROSIER c/w RAIN (1994.7.21・MVDD-17)
- TRUE BLUE c/w FALLOUT (1994.9.21・MVDD-18)
- MOTHER (Single Version) c/w Dejavu (Live Version) (1995.2.22・MVDD-17)
- DESIRE c/w LUV U (1995.11.13・MVDD-31)
- END OF SORROW c/w TWICE (1996.3.25・MVDD-36)
- IN SILENCE c/w Ray (1996.7.15・MVDD-45)
- STORM c/w この世界の果てで (1998.4.15・MVDH-13)
- SHINE c/w Looper (1998.6.3・MVDH-15)
- I for You c/w WITH (1998.7.1・MVDH-17)
- gravity c/w inside you , My Lover (2000.3.29・MVCH-1201)
- TONIGHT c/w be gone , be in agony (2000.5.17・MVCH-1206)
- LOVE SONG c/w INTO THE SUN , UNTIL THE DAY I DIE (2000.11.8・UUCH-5008)
オリジナルアルバム
- LUNA SEA (1991.04.21/2000.09.13再発・XXC-1005)
- IMAGE (1992.05.21・MVCD-2)
- EDEN (1993.04.21・MVCD-6)
- MOTHER (1994.10.26・MVCD-15)
- STYLE (1996.04.22・MVCD-34)
- SHINE (1998.07.23・MVCD-34)
- LUNACY (2000.07.12・MVCH-29047)
ベストアルバム
- SINGLES (1997.12.17・MVCD-34)
- PERIOD 〜THE BEST SELECTION〜 (2000.12.23・UUCH-1012)
- another side of SINGLES II (2002.3.6・UUCH-1045)
- LUNA SEA COMPLETE BEST (2008.3.26・POCS-21005/6)
バラードベスト
- SLOW (2005.3.23・UPCH-1394)
ライブアルバム
- NEVER SOLD OUT (1999.5.29・MVCH-30007)
オムニバスアルバム
- hide TRIBUTE SPIRITS (1999.5.1・PCCM-00002) 9曲目『SCANNER』で参加
VHS(LD)/DVD
- IMAGE or REAL(1992.07.22 VHS・MVVD-2 LD・MVLD-2/2002.05.29 DVD・UUBH-1023)
- Sin After Sin(1993.12.16 VHS・MVVD-3 LD・MVLD-3/2002.05.29 DVD・UUBH-1024)
- ECLIPSE I(1995.05.24 VHS・MVVD-8 LD・MVLD-8)
- LUNATIC TOKYO〜1995.12.13 TOKYO DOME〜 (1996.07.15 VHS・MVVD-12 LD・MVLD-12〜13/2002.05.29 DVD・UUBH-1025)
- REW(1997.05.21 VHS・MVVH-1 LD・MVLH-1/2002.05.29 DVD・UUBH-1026)
- CAPACITY∞LIVE!(1999.09.29 VHS・MVVH-12 10万本限定)
- CAPACITY∞DOCUMENT!(1999.09.29 VHS・MVVH-13 10万本限定)
- SLAVE限定GIG 2000 (2000.8.xx VHS・S-19/2005.10.12 DVD・SCED-16 SLAVE限定販売)
- THE FINAL ACT TOKYO DOME(2001.05.29 DVD・UUBH-1010)
- ECLIPSE II(2001.11.28 VHS・UUVH-1016)
- ECLIPSE I+II(2001.11.28 DVD・UUBH-1018)
- 1998 REVIVE 真夏の野外 (2002.12.23 SLAVE先行発売〜2003.01 Loppi期間限定予約販売〜2003.05.29 DVD・SCEV-1/VHS・SCED-2)
- 真冬の野外 (2008.01.16 DVD・UPBH-20010)
- 真夏の野外 (2008.01.16 DVD・UPBH-20011)
- LUNA SEA GOD BLESS YOU〜One Night Dejavu〜 2007.12.24 TOKYO DOME (2008.03.26 DVD・AVBD-91520〜1)
ボックス
- COMPLETE SINGLE BOX(2003.12.23 限定)
- COMPLETE ALBUM BOX (2004.05.29 限定)
書籍
- BLACK BOX (1993.4.15、フールズメイト)
- SHOXX FiLE LUNA SEA 1990〜1996 (1997.2.14、音楽専科社)
- 月蝕―LUNA SEA 1996 DOCUMENT (著:神康幸 1997.4.25、ソニーマガジンズ)
- END OF PERIOD (構成:神康幸 1999.1.10、幻冬舎)
- 1999 LUNA SEA THE UNCONVENTIONAL (1999.9.18、メディアファクトリー)
- SUGIZO & INORAN [LUNA SEA] Complete Guitar Book (1999.11.29、シンコーミュージック)
- 混沌の果て―the last 90days of lunacy (著:増田勇一 2001.3.7、メディアファクトリー)
- 月蝕2―LUNA SEA 2000 THE FINAL ACT (著:神康幸 2001.3.28、ソニーマガジンズ)
- SHOXX FiLE LUNA SEA 2 1997〜2000 (2001.3、音楽専科社)
- LUNA SEA COMPLETE FILE「The Eclipse」 (2001.3、ソニーマガジンズ)
- Days of LUNA SEA (2001.4、シンコーミュージック)
- 地球音楽ライブラリー LUNA SEA (2001.6.10、TOKYO FM出版)
写真集
- ZOE(ゾイ) 上巻 (撮影:野波浩 1995.2.22、音楽専科社)
- ZOE(ゾイ) 下巻 (1995.4.20、音楽専科社)
- Days (撮影:辻砂織 1996.1.4、シンコーミュージック)
- WISH (2001.4、フールズメイト)
- A HOLY DAY―LUNA SEA GOD BLESS YOU〜One Night Dejavu〜 (撮影:有賀幹夫ほか 2008.2.25、角川マガジンズ)
バンドスコア
- バンドスコア LUNA SEA/LUNA SEA (1995.7、ドレミ楽譜出版社)
- バンドスコア LUNA SEA/IMAGE (1995.5、ドレミ楽譜出版社)
- バンドスコア LUNA SEA/EDEN (1995.3、ドレミ楽譜出版社)
- バンドスコア LUNA SEA/MOTHER (1994.12、ドレミ楽譜出版社)
- バンドスコア LUNA SEA/STYLE (1996.7、ドレミ楽譜出版社)
- バンドスコア LUNA SEA/SINGLES (1998.1、ドレミ楽譜出版社)
- バンドスコア LUNA SEA/SHINE (1998.9、ドレミ楽譜出版社)
- バンドスコア LUNA SEA/NEVER SOLD OUT 1 (1999.9、ドレミ楽譜出版社)
- バンドスコア LUNA SEA/NEVER SOLD OUT 2 (1999.9、ドレミ楽譜出版社)
- バンドスコア LUNA SEA/LUNACY (2000.10、ドレミ楽譜出版社)
- バンドスコア LUNA SEA/LOVE SONG (2000.12、ドレミ楽譜出版社)
- バンドスコア LUNA SEA/PERIOD (2001.2、ドレミ楽譜出版社)
- バンドスコア LUNA SEA/another side of SINGLES II (2002.7、ドレミ楽譜出版社)
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