NHK紅白歌合戦 とは?
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NHK紅白歌合戦
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1945年開始の「紅白音楽試合」を前身として、1951年に開始。白組(男性軍)と紅組(女性軍)に分かれて競い合うという簡単な趣向。日本レコード大賞と並んで大晦日夜の恒例番組となっており、誰が何を歌うのか、審査員には誰が選ばれるのか、小林幸子はどんな衣裳になるのか、大きな関心がよせられる。 以前は、「出場できることが歌手の名誉」と考えられた時期もあったが、近年は視聴率が低下傾向にあり、1999年に宇多田ヒカルがその出場を打診前に断ったことなどで明らかになった地位の低下が指摘されている。 2000年からは、 ...
出典: 『はてなダイアリー』
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ウィキペディア(Wikipedia)記事
NHK紅白歌合戦(エヌエイチケイ こうはくうたがっせん)とは日本放送協会(NHK)が毎年12月31日(第3回までは1月3日)の夜に生放送する、紅白対抗形式の大型歌番組である。通称「紅白」。会場はNHKホール(1973年から)。デジタル双方向機能対応番組。
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放送メディア・時間
- 国内向けにはNHKの総合テレビ・デジタル総合テレビ・衛星第2テレビ・デジタル衛星ハイビジョン・ラジオ第1放送で放送される。このうち、アナログ衛星第2テレビではBモードステレオ放送で、デジタル総合テレビ・デジタル衛星第2テレビ・デジタル衛星ハイビジョンでは5.1chサラウンドステレオでNHKホールの臨場感を楽しめる。ラジオ中継では、客席上のラジオ中継席から、ステージ上で行われていることの実況とともに放送。海外向けにはNHKワールド・プレミアムとNHKワールド・ラジオ日本(地域により数時間遅れまたは後半部分のみの放送だが、2007年以降は東南アジア・アジア大陸地域の同時放送のみとなる。)で放送される。また、NHK主体ではないが、海外の現地ケーブルテレビチャンネル(主として日本専門チャンネル)を通じて放送されることがある(NHKワールド・プレミアム放送の際には字幕がないため)。
- 開始時刻は1967年(第18回)以来長らく21:00(JST、以下同じ)に固定されてきたが、2部制となった1989年(第40回)から19:20に繰り上がった。その後、開始時刻は年によって19:20から20:00の間で推移している。第2部の開始は21時台、特に1994年以来は21:30に固定されている。
- 終了時刻は1962年(第13回)以来一貫して23:45である(総合テレビの場合。放送メディアによって例外もある)。
- 第1部と第2部の間の5分間(第50・54・55回は10分間)は、その年の最後のNHKニュースを放送する。ただし、デジタル衛星ハイビジョンは別番組に差し替えとなる。第57回までは「デジタル紅白○○(西暦)」と題した独自番組を放送していたが、第58回では番組案内スポットを放送。
- 総合テレビ・BS2・BSハイビジョンはリアルタイム字幕放送を実施(総合テレビ・BS2は中断ニュースも含む)。
番組内容
- その年を代表する歌手が女性は紅組(あかぐみ)、男性は白組に分かれて対抗形式で歌や演奏を披露する。
- 選ばれる曲は原則としてそのアーティストのその年のヒット曲である。ただし、例外も多い。たとえば、森進一は1971年のヒット曲「おふくろさん」を今日まで6回歌っている。薬師丸ひろ子のヒット曲「セーラー服と機関銃」を紅白で歌ったのは本人ではなく桜田淳子だった(1982年・第33回)。その回のテーマに沿った歌が選ばれることも多い。また、何度も同じ曲を歌う場合も多い。
- 「歌合戦」と称しているものの、演奏のみで歌わないグループの出場もある。第41回のG-クレフや第54回の女子十二楽坊などが例。
- 歌の間には応援合戦やアトラクションが行われる。かつてはほとんど恒例というべき出し物もあった。
- 勝敗はゲスト審査員(タレント・スポーツ選手・著名人など)とNHKホールの観客および地上・BSデジタル放送の双方向システムや携帯電話を利用した視聴者の投票で決定する。審査とその結果の発表方式は回によって異なる。
- 過去の対戦成績は白組の30勝28敗である(第58回まで)。
- 勝敗はトリの後攻である大トリを取ったチームが断然有利である。
- 優勝チームが決まると「○組 優勝!!」の字幕スーパーが画面いっぱいに出る。また、天井から大量の紙吹雪がステージいっぱいに降り(風船は入っていない)、放送終了(「蛍の光」の場面)まで続く。
- 初期には優勝チームが決まるとステージ中央に吊されたくす玉が割れて、紙吹雪と風船と共に紙テープが降った。なお、テレビ番組で初めてくす玉・紙吹雪・風船・紙テープの演出を行ったのがこの番組であり、その後のテレビ番組の演出(クイズ番組等)のさきがけになった[要出典]。
- 優勝チームの司会者(キャプテン)には優勝旗が手渡される。
- 番組のフィナーレは出演者全員で「蛍の光」を出演者全員(出場歌手・司会者・特別審査員)で大合唱される恒例である。但し、東京オリンピックを翌年に控えた1963年(第14回)は「東京五輪音頭」。2007年(第58回)は「蛍の光」とセットにする形で、SMAPと槇原敬之のメインヴォーカルにて「世界に一つだけの花」も歌われた。
出場者の決定
話題性
- 毎年、テレビ視聴率が非常に高いことで知られる。1962年(第13回)の調査開始以降での最高視聴率は1963年(第14回)の81.4%(関東地区、以下同じ)[1]。1980年代前半までは「お化け番組」「怪物番組」とも称され、新聞社系の週刊誌でも「紅白で歌われる曲の歌詞一覧」といった特集を組んだ[要出典]。もっとも近年は地方でも民放局(殆どが平成)が開局し視聴できる裏番組が増えたことや生活の多様化などにより[要出典]、視聴率は低落傾向にある。最低視聴率は2004年(第55回)の39.3%である[1]。それでも毎年、年間視聴率では民放の人気番組(ドラマ・バラエティ)を抑え、ベスト5にランクインしている(ビデオリサーチ調べ)。
- 紅白への出演は翌年初頭のアーティストのCD売り上げに少なからぬ影響を与える。この現象は俗に「紅白効果」と呼ばれている。紅白出演後に紅白で歌われた曲が初めてオリコンシングルチャートで週間1位を獲得した例としては1986年(第37回)出場の吉幾三の『雪國』(1987年2月9日付)、2002年(第53回)出場の中島みゆきの『地上の星』(2003年1月20日付)、2006年(第57回)出場の秋川雅史の『千の風になって』(2007年1月22日付:クラシックの同チャート1位は史上初)がある。2003年(第54回)に大トリを努めたSMAPの『世界に一つだけの花 (シングル・ヴァージョン)』はそれまでランクが落ちていたが、紅白出演後の翌年1月5日にオリコンシングルチャートで週間1位に返り咲いた。
- 司会者や出場者、曲目などが決定すると、そのつど大きく報道される。司会者や初出場者などの記者会見の模様は、NHKニュースはもちろん、民放各局の情報番組でも大きく報じられる。民放番組で「大晦日は○○(自局の大晦日特番)をご覧ください」などというように紅白報道の後に自局の大晦日特番の宣伝を行うことがよくある。このことは、紅白の話題を取り上げて自局の情報番組への注目度・関心度を高めたい一方、この報道によって紅白への注目度・関心度が高まって自局の大晦日特番から注目をそらしてしまうというジレンマを抱えていることを象徴している。芸能レポーターの梨元勝によれば、民放に紅白の取材が開放されたのは1981年以降のことであり、そのきっかけとなったのは『アフタヌーンショー』(テレビ朝日系)の突撃取材だったという(『週刊朝日』2006年12月29日号)。今でも民放の情報番組は紅白を無視できずにいる。
- 舞台袖の通路は放送終了後にアーティストが大挙するため、正月明けに民放各局のワイドショーで大きく扱われる。この通路は和田アキ子が翌年の干支の被り物をして通ることでも有名である。
- 2003年(第54回)と2004年(第55回)ではそれぞれ翌年の2月11日に総合テレビで再放送が行われた。
歌唱中のパフォーマンス
- 紅白では歌唱中に視聴者、観客を驚かせるような演出のパフォーマンスがしばしば行われる。小林幸子や美川憲一の、ステージと一体化した豪華な衣装は特に有名である(「歴史」の「1970年代~1990年代」の節を参照)。
- 大トリ歌手の歌の場面で天井から大量の紙吹雪が降ることがある。1981年(第32回)の大トリ・北島三郎の「風雪ながれ旅」では猛吹雪を思わせる大量の紙吹雪が降り、観客席まで入り込む演出があった。
- 番組が生放送であることを利用し、アーティストが制作側に事前に知らせない不意打ちパフォーマンスを行うこともある。その典型例は2006年(第57回)のDJ OZMAのパフォーマンスであり、以後NHKは打ち合わせと著しく異なるパフォーマンスを行わないよう、歌番組に出演するアーティストに対し誓約書を書かせることとなった。これまでの主なパフォーマンスとしては、以下が挙げられる(詳しくは当該の回やアーティストの項目を参照)。
観覧方法
- NHKホールでの観覧(3,000人)は官製往復はがきのみで応募が受け付けられる。毎年多数の応募が集まるため、抽選となる。
- 毎年10月中旬頃に応募要項が告知され、11月の初旬頃に応募が締め切られる。
- 抽選の結果(当落)は返信はがきの裏面に印刷され、12月上旬に応募者のもとに届けられる。
- 当選通知がそのまま入場整理券となる。整理券(当選はがき)1枚につき2人までNHKホールに入場できる。
- ※最多の応募総数は2004年(第55回)の759,772通(当選倍率:約500倍)
なお2006年(第57回)の募集から、応募資格が次のいずれかに制限される事になった。
- 「NHK受信料を支払いしている者」(銀行口座からの引き落としでも可能)
- 「新たにNHK受信料を支払いする者」
- 「NHKが定めている受信料免除者」
- 「上記のいずれかにあてはまる世帯(家族)」
- 上記はいずれも銀行口座からの引き落としでも可能。
これにより、NHKの受信料を滞納、もしくは不払いの者は応募できなくなる。そのため、往信側のはがきには受信料負担者名の記入が必要となる。これは他の公開収録番組の応募(例:NHK歌謡コンサート)で実施されていたものと同様である。ただし規則で禁止されている当選はがきの転売行為については全く対策がなされていないため、NHK側からして相応しくない人物(受信料不払い者)が入場する可能性もある。
歴史
開始当初~1960年代
- 1951年 1952年 1953年1月 1953年12月 1954年 1955年 1956年 1957年 1958年 1959年 1960年 1961年 1962年 1963年 1964年 1965年 1966年 1967年 1968年 1969年
1970年代~1990年代
- 1970年代になると新三人娘、新御三家、花の高一トリオに代表されるアイドルの台頭、フォークおよびニューミュージック、ロックグループの人気によって、紅白で歌われる曲の質は一変した。「若い人の歌う歌は分からない」と高年層から文句が出るようになったのもこれ以降である。1973年(第24回)に初出場が当確と見られていた西城秀樹が「アクションが激しすぎる」という理由で落選した事は当時の世相を物語る出来事であった。
- 公共放送であるNHKは番組中で商品名の使用を規制しているが、かつては現在に比べてその規制も厳しく、紅白でも歌詞に関するトラブルが起こった。1973年(第24回)にかぐや姫の「神田川」の歌詞に出てくる「クレパス」(サクラクレパスの商標)を「クレヨン」に変えさせようとした結果、かぐや姫は出場を辞退した。1978年(第29回)にも山口百恵の「プレイバックPart2」の歌詞にある「真っ赤なポルシェ」を「真っ赤な車」に変えさせようとしたが、実際には原詞通り歌われた(別番組の「レッツゴーヤング」では「真っ赤な車」として歌った)。
- 2004年にも松平健の「マツケンサンバⅡ」で、松平を示す「マツケン」が規制の対象となった場合の歌詞の扱いについて作詞者・吉峰暁子と協議している旨が一部で報じられたが、実際には規制されなかった。
- 視聴率は、1970年代から1980年代前半はなお驚異的に高い域にあった。1974年(第25回)から9年間白組司会を務めた山川静夫が降板した理由の1つは視聴率の降下であるが、それでも最後の司会の1982年(第33回)の視聴率は69.9%(ビデオリサーチ、関東)もあった。とりわけ、都はるみの引退舞台となった1984年(第35回)の視聴率は78.1%であり、1960年代に匹敵する数字であった。ところが、以後はテレビの音楽番組が減るなど状況の変化もあって、視聴率が大幅に落ち込むようになった。
- 1989年(第40回)から紅白は2部構成になった。この年に昭和天皇が崩御し、「昭和を振り返る」という意味もあったが視聴者の音楽の好みが多様化し、多くの曲を揃えなければ需要に応えられないという視聴率対策の意味合いがあった。この試みは功を奏し、視聴率低落傾向に一応の歯止めがかかった。以後、1990年代は視聴率は50%前後で推移するようになる。
- 1980年代の紅白はそれまでより話題を集めにくくなっていた。この時期に最も注目されたものの一つが小林幸子の衣装であった。小林の衣装は1980年代半ばから派手になり、1985年(第36回)の「夫婦しぐれ」で十二単を、翌1986年(第37回)の「別離(わかれ)」ではクレオパトラの衣装を披露した。1991年(第42回)の「冬化粧」では鳥となって飛んだ。1990年代になると、小林および美川憲一の豪華衣装対決が注目されるようになる。
- 1981年(第32回)から、これまでホールの後ろから観客席を通って入場行進していた出場者は舞台の後ろから入場行進をするようになった。また応援合戦が少なくなり、出場者の歌手席が初めと終わりを除いて設置されなくなった。1980年代半ばあたりから応援合戦のみは復活したものの、歌手席は初めと終わりにも設置されなくなった。1991年(第42回)から入場行進、優勝旗返還、選手宣誓が省略され、またそれまではステージ上やオーケストラピットで演奏していたオーケストラが表舞台に出演しなくなった(現在は別スタジオにて、生の映像を見ながら演奏している)。このため、現在の紅白は「歌合戦らしさが失われている」とよくいわれる。2002年(第53回)ではオーケストラが小規模ではあるが、久しぶりに表舞台で演奏した。
- 1970年代までオープニングの入場行進で流れていた「乾杯の歌」(別名「スタイン・ソング」。作曲:E・A・フェンスタッド。ドイツ民謡、アメリカ・メイン大学学生歌)が演奏される回が少なくなっていった(1980年代以降、入場行進で流れていたのは第31・32回および36~38・40回のみ。なお第47・48回のオープニングでは「乾杯の歌」のアレンジ版、第51回では1フレーズのみ流れ、近年は司会者および出場歌手発表時の記者会見で流れるのみである)。
- 1990年代には小室哲哉の作詞作曲した楽曲が市場を制覇したが、その影響は紅白にも現れた。例えば1996年(第47回)の出場者のうちTRF、
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