便利なキーワード検索サイト ことなびトップページへ
デル株式会社







ことなびTOP  サイトマップ  ことなびとは?



便利!NINJA TOOLS
→FC2検索 用語 Wikipedia YouTube

NHK紅白歌合戦 とは?

 ページ内リンク   ↓ウィキペディア(Wikipedia)記事  ↓Yahoo!知恵袋

NHK紅白歌合戦(エヌエイチケイ こうはくうたがっせん)とは日本放送協会(NHK)が毎年12月31日第3回までは1月3日)の夜に生放送する、紅白対抗形式の大型歌番組である。通称「紅白」。会場はNHKホール1973年から)。デジタル双方向機能対応番組。

出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』


NHK紅白歌合戦はてなダイアリーを別ウィンドウで表示  :  1945年開始の「紅白音楽試合」を前身として、1951年に開始。白組(男性軍)と紅組(女性軍)に分かれて競い合うという簡単な趣向。日本レコード大賞と並んで大晦日夜の恒例番組となっており、誰が何を歌うのか、審査員には誰が選ばれるのか、小林幸子はどんな衣裳になるのか、大きな関心がよせられる。 以前は、「出場できることが歌手の名誉」と考えられた時期もあったが、近年は視聴率が低下傾向にあり、1999年に宇多田ヒカルがその出場を打診前に断ったことなどで明らかになった地位の低下が指摘されている。 2000年からは、 ...

出典: 『はてなダイアリー』


ノースウエスト航空 のマイルは、国内航空会社のマイレージと違って無期限!! 格安パックツアーでも
100%マイルが付くのでお得!! 国内往復分15000マイルを貯めて沖縄や北海道へ!!


関連商品

音楽  五木ひろし名曲30撰~NHK紅白歌合戦歌唱30曲~別ウィンドウで表示

五木ひろし /  最安値(新品): ¥ 4,185  最安値(中古): ¥ 4,184 

音楽  歌手生活50周年記念アルバム 独唱別ウィンドウで表示

菅原洋一 /  最安値(新品): ¥ 2,850 

音楽  五木ひろしカバー&セルフコレクションズ全16曲~おふくろの子守唄<第53回NHK紅白歌合戦ライブ収録>別ウィンドウで表示

五木ひろし /  最安値(新品): ¥ 2,199  最安値(中古): ¥ 2,198 

本  吾亦紅 あなたに謝りたくて別ウィンドウで表示

すぎもと まさと /  最安値(新品): ¥ 1,050  最安値(中古): ¥ 1,000 




ウィキペディア(Wikipedia)記事


NHK紅白歌合戦

会場のNHKホール
ジャンル 大型音楽番組
放送時間 総合デジタル総合BS2BS hi
毎年12月31日19:20 - 23:45(2007年現在)(4時間25(265)分)
放送期間 1951年1月3日 - (テレビ放送は1953年1月2日から)(58回)
放送国 日本
制作局 NHK
出演者 歴代司会者はこちらを参照
音声 ステレオ放送
(デジタル総合・デジタル衛星第2・BS hiは5.1chサラウンドステレオ)
字幕 リアルタイム字幕放送(デジタル総合を除く)
データ放送 双方向サービス
エンディング 蛍の光
外部リンク NHK紅白歌合戦公式サイト

特記事項 :
第1回(1951年)から第3回(1953年)までは正月の放送。大晦日12月31日)の放送は第4回(1953年)から。そのため、1953年は2回放送があった。

NHK紅白歌合戦
ジャンル 大型音楽番組
放送方式 生放送
放送期間 1951年1月3日 -
放送時間 ラジオ第1
毎年12月31日19:20 - 23:45(2007年現在)(4時間25分(265)分)
放送回数 全58回
放送局 NHK
出演 #歴代司会者と勝敗を参照
テーマ曲 蛍の光」(エンディング)
公式サイト 公式サイト
  

NHK紅白歌合戦(エヌエイチケイ こうはくうたがっせん)とは日本放送協会(NHK)が毎年12月31日第3回までは1月3日)の夜に生放送する、紅白対抗形式の大型歌番組である。通称「紅白」。会場はNHKホール1973年から)。デジタル双方向機能対応番組。

この記事は、下記のページに内容を分割しています。このテーマに関する情報については、それぞれのページをご参照ください。

目次

放送メディア・時間

  • 国内向けにはNHK総合テレビデジタル総合テレビ衛星第2テレビデジタル衛星ハイビジョンラジオ第1放送放送される。このうち、アナログ衛星第2テレビではBモードステレオ放送で、デジタル総合テレビ・デジタル衛星第2テレビ・デジタル衛星ハイビジョンでは5.1chサラウンドステレオNHKホールの臨場感を楽しめる。ラジオ中継では、客席上のラジオ中継席から、ステージ上で行われていることの実況とともに放送。海外向けにはNHKワールド・プレミアムとNHKワールド・ラジオ日本(地域により数時間遅れまたは後半部分のみの放送だが、2007年以降は東南アジア・アジア大陸地域の同時放送のみとなる。)で放送される。また、NHK主体ではないが、海外の現地ケーブルテレビチャンネル(主として日本専門チャンネル)を通じて放送されることがある(NHKワールド・プレミアム放送の際には字幕がないため)。
  • 開始時刻は1967年第18回)以来長らく21:00(JST、以下同じ)に固定されてきたが、2部制となった1989年第40回)から19:20に繰り上がった。その後、開始時刻は年によって19:20から20:00の間で推移している。第2部の開始は21時台、特に1994年以来は21:30に固定されている。
  • 終了時刻は1962年第13回)以来一貫して23:45である(総合テレビの場合。放送メディアによって例外もある)。
  • 第1部と第2部の間の5分間(第505455回は10分間)は、その年の最後のNHKニュースを放送する。ただし、デジタル衛星ハイビジョンは別番組に差し替えとなる。第57回までは「デジタル紅白○○(西暦)」と題した独自番組を放送していたが、第58回では番組案内スポットを放送。
  • 総合テレビ・BS2・BSハイビジョンはリアルタイム字幕放送を実施(総合テレビ・BS2は中断ニュースも含む)。

番組内容


出場者の決定

話題性

  • 毎年、テレビ視聴率が非常に高いことで知られる。1962年第13回)の調査開始以降での最高視聴率は1963年第14回)の81.4%(関東地区、以下同じ)[1]。1980年代前半までは「お化け番組」「怪物番組」とも称され、新聞社系の週刊誌でも「紅白で歌われる曲の歌詞一覧」といった特集を組んだ[要出典]。もっとも近年は地方でも民放局(殆どが平成)が開局し視聴できる裏番組が増えたことや生活の多様化などにより[要出典]、視聴率は低落傾向にある。最低視聴率は2004年第55回)の39.3%である[1]。それでも毎年、年間視聴率では民放の人気番組(ドラマ・バラエティ)を抑え、ベスト5にランクインしている(ビデオリサーチ調べ)。
  • 紅白への出演は翌年初頭のアーティストのCD売り上げに少なからぬ影響を与える。この現象は俗に「紅白効果」と呼ばれている。紅白出演後に紅白で歌われた曲が初めてオリコンシングルチャートで週間1位を獲得した例としては1986年第37回)出場の吉幾三の『雪國』(1987年2月9日付)、2002年第53回)出場の中島みゆきの『地上の星』(2003年1月20日付)、2006年第57回)出場の秋川雅史の『千の風になって』(2007年1月22日付:クラシックの同チャート1位は史上初)がある。2003年第54回)に大トリを努めたSMAPの『世界に一つだけの花 (シングル・ヴァージョン)』はそれまでランクが落ちていたが、紅白出演後の翌年1月5日にオリコンシングルチャートで週間1位に返り咲いた。
  • 司会者や出場者、曲目などが決定すると、そのつど大きく報道される。司会者や初出場者などの記者会見の模様は、NHKニュースはもちろん、民放各局の情報番組でも大きく報じられる。民放番組で「大晦日は○○(自局の大晦日特番)をご覧ください」などというように紅白報道の後に自局の大晦日特番の宣伝を行うことがよくある。このことは、紅白の話題を取り上げて自局の情報番組への注目度・関心度を高めたい一方、この報道によって紅白への注目度・関心度が高まって自局の大晦日特番から注目をそらしてしまうというジレンマを抱えていることを象徴している。芸能レポーター梨元勝によれば、民放に紅白の取材が開放されたのは1981年以降のことであり、そのきっかけとなったのは『アフタヌーンショー』(テレビ朝日系)の突撃取材だったという(『週刊朝日』2006年12月29日号)。今でも民放の情報番組は紅白を無視できずにいる。
  • 舞台袖の通路は放送終了後にアーティストが大挙するため、正月明けに民放各局のワイドショーで大きく扱われる。この通路は和田アキ子が翌年の干支の被り物をして通ることでも有名である。
  • 2003年第54回)と2004年(第55回)ではそれぞれ翌年の2月11日に総合テレビで再放送が行われた。

歌唱中のパフォーマンス

  • 紅白では歌唱中に視聴者、観客を驚かせるような演出のパフォーマンスがしばしば行われる。小林幸子美川憲一の、ステージと一体化した豪華な衣装は特に有名である(「歴史」の「1970年代~1990年代」の節を参照)。
  • 大トリ歌手の歌の場面で天井から大量の紙吹雪が降ることがある。1981年第32回)の大トリ・北島三郎の「風雪ながれ旅」では猛吹雪を思わせる大量の紙吹雪が降り、観客席まで入り込む演出があった。
  • 番組が生放送であることを利用し、アーティストが制作側に事前に知らせない不意打ちパフォーマンスを行うこともある。その典型例は2006年第57回)のDJ OZMAのパフォーマンスであり、以後NHKは打ち合わせと著しく異なるパフォーマンスを行わないよう、歌番組に出演するアーティストに対し誓約書を書かせることとなった。これまでの主なパフォーマンスとしては、以下が挙げられる(詳しくは当該の回やアーティストの項目を参照)。

観覧方法

  • NHKホールでの観覧(3,000人)は官製往復はがきのみで応募が受け付けられる。毎年多数の応募が集まるため、抽選となる。
  • 毎年10月中旬頃に応募要項が告知され、11月の初旬頃に応募が締め切られる。
  • 抽選の結果(当落)は返信はがきの裏面に印刷され、12月上旬に応募者のもとに届けられる。
  • 当選通知がそのまま入場整理券となる。整理券(当選はがき)1枚につき2人までNHKホールに入場できる。
※最多の応募総数は2004年(第55回)の759,772通(当選倍率:約500倍)

なお2006年(第57回)の募集から、応募資格が次のいずれかに制限される事になった。

  1. NHK受信料を支払いしている者」(銀行口座からの引き落としでも可能)
  2. 「新たにNHK受信料を支払いする者」
  3. 「NHKが定めている受信料免除者」
  4. 「上記のいずれかにあてはまる世帯家族)」
上記はいずれも銀行口座からの引き落としでも可能。

これにより、NHKの受信料を滞納、もしくは不払いの者は応募できなくなる。そのため、往信側のはがきには受信料負担者名の記入が必要となる。これは他の公開収録番組の応募(例:NHK歌謡コンサート)で実施されていたものと同様である。ただし規則で禁止されている当選はがきの転売行為については全く対策がなされていないため、NHK側からして相応しくない人物(受信料不払い者)が入場する可能性もある。

歴史

開始当初~1960年代

  • 第二次世界大戦終結直後の1945年の大晦日に「紅白音楽試合」というラジオ番組が放送された。番組は近藤積(つもる)ディレクターの発案であった。近藤は剣道の紅白試合を念頭に置きつつ、「Speed, Sexuality, Sports」という娯楽の3要素を取り入れた番組を製作しようとした。当初は「紅白歌合戦」の名で放送する予定だったが、GHQが「合戦」の語に難色を示したため、「試合」という名称になったものである。音楽試合ということから歌以外の出場者も登場し、木琴マンドリン尺八による曲を披露した。童謡歌手・川田正子が歌った「汽車ポッポ」は元は「兵隊さんの汽車」という戦時童謡であったが、近藤ディレクターが作詞者・富原薫に依頼して「兵隊さん 兵隊さん 万々歳」を「鉄橋だ 鉄橋だ たのしいな」にするなどの変更を加えた。また、大ヒットした「リンゴの唄」で新人・並木路子がベテラン勢と肩を並べて出場した(川田・並木とも、後の紅白歌合戦には出場していない)。
  • 当初はこの1回だけの放送の予定だったが、あまりの好評から放送の5年後の1951年からタイトルを「紅白歌合戦」と改めて継続されることになる。第1回の白組トリ及び大トリは藤山一郎で、「長崎の鐘」を歌った。1953年第3回)では、テレビでの実験放送が実施された。当初、第3回までは正月番組として放送されていたが、この年の12月31日には第4回が放送され、テレビでの本格的な放送開始を機に、以降大晦日の放送が定着した。なお、大晦日の収録・生放送を行った理由は当時年末年始には大晦日しか大規模な会場が開いていなかったことが一因という。また、この第4回から会場に観客を入れての公開放送となった。
  • 会場は第1~3回までは内幸町にあった旧NHK東京放送会館だった。ラジオ・テレビ同時放送開始(第4回)以降は東京宝塚劇場日劇日比谷公会堂産経ホール新宿コマ劇場などを転々としたが、1973年第24回)以降は渋谷のNHKホールに固定されて今日に至る。
  • 黎明期の紅白は映像はおろか音声すら現存しないとされてきたが、愛知県名古屋市在住の一般の男性が1954年第5回)から録音していたテープが1999年末に発見された。一方、現存する映像は1963年第14回)が最古である。1962年第13回)はニュース映画で紹介された映像が残っている。なお1964年第15回)よりカラー放送となったが、この回の映像はカラー・白黒とも現存しない。1964年を除いた1963年以降の1960年代の現存映像は白黒のみ(1965年はカラー版が部分的に現存している)で所々激しくぶれる。1970年は(第21回)カラーで現存するがフィルム映像でとても汚く、一部が欠落している。1971年(第22回)もカラーで現存するが一部が欠落している。1972年(第23回)からNHKがVTRで保存するようになり、それ以降の現存映像はカラーで安定している。
  • 黎明期(1956年第9回)頃)までは戦前・戦中派の歌手も常連として名を連ねていたが、1957年第8回)を以て戦前からの第一人者的存在である藤山一郎が後進に道を譲る形で歌手としての出場を辞退。以降、回を重ねるごとに戦前派の歌手の名は消えてゆく。入れ替わるように、1959年第10回)では新世代デュオ歌手のザ・ピーナッツが(姉妹または兄弟での出場はこれが初めて)、翌1960年第11回)では御三家の筆頭として1960年代の歌謡界を牽引するスター歌手となる橋幸夫や、ロカビリーブームの第一人者である平尾昌章が、1961年第12回)では当時NHKで放送中であった「夢であいましょう」の「今月の歌」コーナーから誕生した「上を向いて歩こう」のヒットにより坂本九がそれぞれ初出場するなど、出場者の顔ぶれにも「世代交代」の色が年々強く反映されるようになってゆく。そして1962年第13回)では前年まで連続出場していた淡谷のり子林伊佐緒伊藤久男が落選、完全に戦後派の歌手のみの顔ぶれとなった。
  • テレビ視聴率調査(ビデオリサーチによる)が1962年(第13回)から開始される。翌年(第14回)において81.4%の視聴率を記録する[1]。これは、紅白史上およびビデオリサーチの全統計史上最高のテレビ視聴率である。
  • 美空ひばりは1963年(第14回)から東京宝塚劇場での最終開催となった1972年第23回)まで一貫して紅組トリ(ほとんどの回で大トリ)を務めていた。だが、翌1973年(第24回)に実弟が暴力団絡みの事件で逮捕された事が発端となり全国各地でひばり公演の開催中止が相次ぐなどして人気が急降下し、同年の紅白も落選となった(その後、1979年第30回)に藤山一郎と共に「30回記念特別ゲスト」扱いで出場、「リンゴ追分」などをメドレーで熱唱した。結局、同回がひばりにとって最後の紅白出場となってしまった)。
  • 1960年代のグループサウンズ全盛時代、長髪のグループは“不良”という意見が根強く、加えて当時のNHK会長の意向もあって一切出場できなかった。1967年第18回)のザ・タイガースはその例である。出演できたのは短髪のジャッキー吉川とブルーコメッツのみであった。時が経ち、演歌歌手やアイドルタレントが長髪にする例も出たため、当然ながら長髪は解禁になった。1989年第40回)にはザ・タイガースが再結成されて出場、1999年第50回)にはザ・スパイダースの元メンバー3人によって結成されたソン・フィルトルが出場した。
  • 沖縄米国の施政権下にあったため、1964年第15回)まではテレビで中継ができなかった。本土と沖縄を結ぶテレビ中継用マイクロケーブルが完成した翌年の1965年第16回)から沖縄テレビスポンサーをつけるという形で放送を開始した。1968年沖縄放送協会の中央放送局がテレビ放送を開始すると、その年(第19回)から同局での放送となり、ようやく本土と同じ内容になった。1972年の本土復帰で沖縄県が再発足すると沖縄放送協会はNHK沖縄放送局となり、同時に1945年以来中断していたラジオ放送が再開されると、その年(第23回)から沖縄でもラジオ中継を開始した。
  • 1960年代後半から1970年代にかけて、ステージの後ろに出場歌手が並んで座る「歌手席」が設けられることが一般的だった。
  • 詳細は以下を参照。
1951年 1952年 1953年1月 1953年12月 1954年 1955年 1956年 1957年 1958年 1959年 1960年 1961年 1962年 1963年 1964年 1965年 1966年 1967年 1968年 1969年

1970年代~1990年代

  • 1970年代になると新三人娘新御三家花の高一トリオに代表されるアイドルの台頭、フォークおよびニューミュージックロックグループの人気によって、紅白で歌われる曲の質は一変した。「若い人の歌う歌は分からない」と高年層から文句が出るようになったのもこれ以降である。1973年第24回)に初出場が当確と見られていた西城秀樹が「アクションが激しすぎる」という理由で落選した事は当時の世相を物語る出来事であった。
  • 公共放送であるNHKは番組中で商品名の使用を規制しているが、かつては現在に比べてその規制も厳しく、紅白でも歌詞に関するトラブルが起こった。1973年(第24回)にかぐや姫の「神田川」の歌詞に出てくる「クレパス」(サクラクレパスの商標)を「クレヨン」に変えさせようとした結果、かぐや姫は出場を辞退した。1978年第29回)にも山口百恵の「プレイバックPart2」の歌詞にある「真っ赤なポルシェ」を「真っ赤な車」に変えさせようとしたが、実際には原詞通り歌われた(別番組の「レッツゴーヤング」では「真っ赤な車」として歌った)。
    • 2004年にも松平健の「マツケンサンバⅡ」で、松平を示す「マツケン」が規制の対象となった場合の歌詞の扱いについて作詞者・吉峰暁子と協議している旨が一部で報じられたが、実際には規制されなかった。
  • 視聴率は、1970年代から1980年代前半はなお驚異的に高い域にあった。1974年第25回)から9年間白組司会を務めた山川静夫が降板した理由の1つは視聴率の降下であるが、それでも最後の司会1982年第33回)の視聴率は69.9%(ビデオリサーチ、関東)もあった。とりわけ、都はるみの引退舞台となった1984年第35回)の視聴率は78.1%であり、1960年代に匹敵する数字であった。ところが、以後はテレビの音楽番組が減るなど状況の変化もあって、視聴率が大幅に落ち込むようになった。
  • 1989年第40回)から紅白は2部構成になった。この年に昭和天皇が崩御し、「昭和を振り返る」という意味もあったが視聴者の音楽の好みが多様化し、多くの曲を揃えなければ需要に応えられないという視聴率対策の意味合いがあった。この試みは功を奏し、視聴率低落傾向に一応の歯止めがかかった。以後、1990年代は視聴率は50%前後で推移するようになる。
  • 1980年代の紅白はそれまでより話題を集めにくくなっていた。この時期に最も注目されたものの一つが小林幸子の衣装であった。小林の衣装は1980年代半ばから派手になり、1985年第36回)の「夫婦しぐれ」で十二単を、翌1986年第37回)の「別離(わかれ)」ではクレオパトラの衣装を披露した。1991年第42回)の「冬化粧」では鳥となって飛んだ。1990年代になると、小林および美川憲一の豪華衣装対決が注目されるようになる。
  • 1981年第32回)から、これまでホールの後ろから観客席を通って入場行進していた出場者は舞台の後ろから入場行進をするようになった。また応援合戦が少なくなり、出場者の歌手席が初めと終わりを除いて設置されなくなった。1980年代半ばあたりから応援合戦のみは復活したものの、歌手席は初めと終わりにも設置されなくなった。1991年第42回)から入場行進、優勝旗返還、選手宣誓が省略され、またそれまではステージ上やオーケストラピットで演奏していたオーケストラが表舞台に出演しなくなった(現在は別スタジオにて、生の映像を見ながら演奏している)。このため、現在の紅白は「歌合戦らしさが失われている」とよくいわれる。2002年第53回)ではオーケストラが小規模ではあるが、久しぶりに表舞台で演奏した。
  • 1970年代までオープニングの入場行進で流れていた「乾杯の歌」(別名「スタイン・ソング」。作曲:E・A・フェンスタッド。ドイツ民謡、アメリカ・メイン大学学生歌)が演奏される回が少なくなっていった(1980年代以降、入場行進で流れていたのは第31・32回および36~38・40回のみ。なお第47・48回のオープニングでは「乾杯の歌」のアレンジ版、第51回では1フレーズのみ流れ、近年は司会者および出場歌手発表時の記者会見で流れるのみである)。
  • 1990年代には小室哲哉の作詞作曲した楽曲が市場を制覇したが、その影響は紅白にも現れた。例えば1996年第47回)の出場者のうちTRF