PlayStation とは?ページ内リンク ↓ウィキペディア(Wikipedia)記事 ↓Yahoo!知恵袋プレイステーション(PlayStation)とは、1994年12月3日に株式会社ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCEI)より発売された家庭用の据え置き型テレビゲーム機である。 出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』 PlayStation 出典: 『はてなダイアリー』 関連商品
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| プレイステーション | |
|---|---|
| メーカー | ソニー・コンピュータエンタテインメント |
| 種別 | 据置型ゲーム機 |
| 世代 | 第5世代 |
| 発売日 | |
| CPU | MIPS R3000A 33.8688MHz |
| 対応メディア | CD-ROM XA、CD-DA |
| 対応ストレージ | メモリーカード |
| 外部接続 | シリアルポート パラレルポート(SCPH-7500まで) |
| 最高売上ソフト | |
| 互換ハード | PS one |
| 次世代ハードウェア | プレイステーション2 |
プレイステーション(PlayStation)とは、1994年12月3日に株式会社ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCEI)より発売された家庭用の据え置き型テレビゲーム機である。
目次 |
1990年代初頭までワークステーションに搭載されていたMIPSアーキテクチャの32ビットRISCCPUR3000を独自にカスタマイズしたものをメインCPUに採用。また3DCGの描画を支える数値演算専用LSI (GPU) を別途搭載するなど、当時としては高性能なポリゴンによる3Dグラフィックスを比較的簡単にプログラミングできることを特徴とする。開発コードネームは「PS-X」。
ソフトウェア媒体として採用したCD-ROMは従来の家庭用テレビゲームで用いられていたROMカートリッジと比較してデータへのアクセス速度が劣るが(ローディング時間が生ずる)、大容量、低価格、量産時間の短縮といった利点があり、コンピュータゲームの表現方法から流通にまで幅広く影響を与えた[1]。
業務用ビデオゲームの分野でポリゴンによる3Dグラフィックスのゲームタイトルが流行の兆しを見せ、従来の2Dグラフィックスのゲーム機においても一部で3Dを指向したゲームソフトが出始めていた時代に、リアルタイム3DCGを家庭に持ち込み、ローンチタイトルである『リッジレーサー』や初期に発売された『闘神伝』といったゲームタイトルが好評を博し、3Dゲームの方向性を示した。また『ファイナルファンタジーVII』を代表とする3DCGムービーを多用した物語性の強いゲームソフトが新しいジャンルとして台頭してきた。その結果、同時期に発売された株式会社セガ・エンタープライゼス(現・株式会社セガ)のセガサターンや、1980年代以降ゲーム機市場を独占していた任天堂株式会社が約1年半後に発売したNINTENDO64等と市場競争を繰り広げ、最終的に主導権を握った。
2000年3月4日には後継機であるプレイステーション2が、また同年7月7日には本体をスリム化したPS oneが発売された。
プレイステーションにCPUとして採用された当時のMIPSアーキテクチャは、組み込みやゲームコンソールにはメモリ効率が悪く、CPU自体の処理能力も同クロックの「80386」程度の速度であった。また搭載メモリ容量およびアクセス速度も競合機と比較すると厳しいものがある等の制約があり、メモリとCPUパワーに物を言わせる「力技」は困難であった。
ハードウェアの性能としては3Dポリゴン描画に特化したアーキテクチャが最大の特徴である。ポリゴンの頂点演算や座標変換を行うジオメトリエンジンを搭載し、さらにフレームバッファにポリゴンやテクスチャマップドポリゴンを転送する機能をハードウェアで備えるため、これらの演算を全てソフトウェア処理させる(CPUに膨大な量の演算を強いる)ことが多かった当時のパソコンやゲーム機と比較して格段に高い性能を引き出すことができた。3Dポリゴン処理に特化したハードウェアと言える。
一方、2Dグラフィックスの処理能力(旧来のスプライトおよびBG機能)についてはそもそもこれらの機能を搭載しておらず、フレームバッファおよびポリゴンを擬似的に平面的に並べるような代替手段によりある程度の2D処理が可能である。2Dグラフィックスを直接フレームバッファに描画する「疑似スプライト機能」を備えるが、BG画面やラスタ割り込みなどの機能を備えていないため、既存の2次元的なゲーム作品で多用された表現の再現性に関しては決して高いとはいえない。他にも音声制御用プロセッサ(SPU)のメモリ容量やテクスチャに使用可能なテクスチャバッファの容量などでもハードウェア上の制約が多かった。
BGプレーンを持たないために2Dの処理では背景を含む全てを擬似スプライトで表現しなければならないプレイステーションは、ローンチタイトルの『極上パロディウスだ! DELUXE PACK』において特定の場面で極端な処理落ちが見られた。その後、将来的な互換性を維持するために一部の大手サードパーティーを除いて禁止されていたハードウェアへの直接的なアクセスや標準ライブラリの利用義務といった制約を解禁するなどした。また本質的な解決ではないが後期にはソフトウェア次第である程度まで改善され、『ファイナルファンタジーシリーズ』のようなスーパーファミコン版からのベタ移植もほぼ忠実に実現している。これとは別にメモリ容量の問題でアーケードで発売されたゲームからの移植時に、アニメーションパターンが省略されるケースも見られた。一方で半透明処理を比較的自由に施せる強みもあった。
また高速なJPEGデコーダを内蔵しており、この機能を活用して当時の水準としては高画質なMotion JPEGによる動画(ムービー)の再生が可能であった点も特筆される(ただし処理速度の限界によりムービーのフレームレートは全画面の場合で15fps前後である)。『ファイナルファンタジーVII』をはじめとするこの機能を活用したコンテンツの登場により、プリレンダリングされた3DCGムービーとネイティブの3Dゲーム操作シーンを連結して多用することで場面と時間を繋ぎ物語性を補完する表現手法が確立された。またゲーム導入時のデモムービーやエンディングムービーなど、ゲームをプレイするための動機付けとしても広く活用されるようになった。
大変素晴らしい開発環境であったと一般的に思われる傾向があるが、当初は十分に整備されていたとはいえず、またCPUのスクラッチパッドRAM(SPR)やアーキテクチャ的な癖のある特色を積極的に活用しなければ十分なパフォーマンスを引き出すことができないにも関わらずこうした知識が開発者の間で広く共有されず、特に小規模なサードパーティーや下請け開発会社では他のゲーム機と比較して明確な強みを享受できなかった。
のちにサードパーティーであるナムコが独自に開発した統合開発環境をソニー・コンピュータエンタテインメントが他のサードパーティへとフィードバックし、1997年初夏に「パフォーマンスアナライザ for プレイステーション」として他のサードパーティーに提供したことなどにより、それ以降は比較的快適な開発環境の元でゲームソフトを開発できる体制が整えられた。
主要な半導体は自社で独自設計ないしカスタム化したものを用いていたため製品発売後もこれらを改良できた。半導体プロセス技術の進歩などにより再集積化(複数の半導体を一枚のシリコンにまとめる)やシュリンク化(LSI面積を縮小し、一枚のシリコンウェハーからより多くのLSIを生産する)や、さらなるカスタム化などを行った。結果的に数度にわたるコストダウンを実現し、プレイステーションの販売価格は最終的には発売開始時の半分以下まで下がった。一方で後期PSは当初の半導体と違う半導体が用いられたため、互換性が完全に維持されず初期に発売されたゲームソフトが後期のハードウェアできちんと動作しないという問題が生じ、サードパーティーは型番毎に動作チェックすることを余儀なくされた。
サードパーティーの参入条件を低くするなどの総合的な戦略が功を奏し、新規参入にも関わらず発売初期から多くのゲームソフトを発売できた。代表的な例として開発機材の販売価格を最低限のキットで1台150万円で販売したことが挙げられる。他社の場合、開発機材は1キット数百万円から一千万円以上に及ぶのが通例であり、初期投資に最低数千万円もの多額の準備金が必要で参入障壁が高かった。ソニー・コンピュータエンタテインメントは開発機材の価格を従来の10分の1程度にまで抑え、最低限の開発環境であれば500万円ほどで済ませられることをウリにサードパーティーを募った。その結果、多数のサードパーティーが参入して数多くのゲームソフトが開発され、ゲーム業界の主導権を握った。『里見の謎』『ザ・マスターズファイター』などのいわゆる「クソゲー」も少なからず現れたが、こうしたゲームも含めた多種多様なゲームは、ゲーム機市場を大きく拡大させた。
仕事で使うコンピュータを「ワークステーション」と呼ぶことに対して、遊びで使うコンピュータという意味で「プレイステーション」に決めたというのが名前の由来とされている。ユーザー間では「プレステ」と略されることが多いが、CMや自社製品内での記載では一貫して「PS(ピーエス)」と略されている。週刊ファミ通の記事によると盛田昭夫がプレステの「ステ」が「捨て」に通じることを避けさせた。
ソニーがプレイステーションを開発する前である1989~1991年頃にソニーは任天堂とスーパーファミコン専用のCD-ROMドライブ拡張機器の共同開発を行っていた。その開発コードネームもまた「プレイステーション」であった。
開発当初はCD-ROMの技術を提供したソニー側がCD-ROMソフトのライセンスの権利を有していたが、当時のコンシューマ機はゲーム・ソフトをROMカセットで提供する事が主体であり、CD-ROMは付属的な立場のメディアとして認識されていた為、最初、任天堂はCD-ROMの権利を重視していなかった。1991年6月のシカゴでのコンシュマー・エレクトロニクス・ショーにおいて、ソニーとの契約を破棄してフィリップスと契約を結ぶというプレスリリースを発表、さらに1992年1月10日付けの日本経済新聞において、1年後にスーパーファミコンのCD-ROMアダプタを発売すると発表した。
この任天堂の動きに対して、この時点でのソニーは(少なくとも表面的には)任天堂との互換路線の実現を目指しており、同日の同新聞において「スーパーファミコンのCD-ROMソフトと互換性のあるCD-ROMゲーム機であるプレイ・ステーションを同年後半に発売する」と発表しているが、当時会長であった大賀典雄は1992年6月24日のソニーの取締役会にてソニー単独でのゲーム事業を承認、1992年11月10日付けの日本経済新聞で互換機路線が再検討される事が伝わり、ソニーが独自に設計・開発を始めた事が知らされた。
1993年初頭から正式に「PS-X」プロジェクトが立ち上がり、1993年11月16日にソニーの技術者と株式会社ソニー・ミュージックエンタテインメントのコンピュータゲーム製作部門のスタッフら65人で構成される株式会社ソニー・コンピュータエンタテインメントが設立されて、1994年12月3日の「プレイステーション」の発売に至った。
一般的なCD-ROMメディアとは異なり記録面が黒いことが特徴である(光に透かすとわかるが厳密には濃い青色である)。ソニーによると、子供が誤ってオーディオ機器で再生しないように、通常の音楽CDとプレイステーション専用のCD-ROMを見分けやすくしたという(同様の理由でプレイステーション2用CD-ROMは青色である。同DVD-ROMは通常の銀色)。
通常のCD-ROMメディアでは読み書きを行えない領域に特殊なデータが記録されており、これにより正規のメディアであるかどうかを判別している。しかしプレイステーション本体側に改造を施すことでこれを回避することができ、CD-Rが普及したこともあり世界規模で違法コピーの温床となっている。
起動時のサウンドロゴはムーンライダーズのメンバーである岡田徹が担当した。また同機のCMで流れたサウンドロゴもムーンライダーズが関わっており、同グループの手掛けたCMソングなどを収めた『MOONRIDERS CM WORKS 1977-2006』にCM始めとCM終わりの2つのサウンドロゴが収録された。
プレイステーションは製造時期、販売地域によって異なる型番が付けられており、仕様が異なっている。その違いは主に入出力端子の有無によるものだが、ハードウェアの内部が変更されたことによるものもある。ソニー・コンピュータエンタテインメントは、型番による動作の違いはないとしているが、実際には1996年以降のバージョン「SCPH-5000」以降、グラフィックスの処理能力が向上したり、バグが改善されたり、逆に新たなバグが発生したり、動作しないゲームソフトが発生したりしている。そのため、古いハードウェアでは正常にプレイできないゲームソフトが数百タイトル存在する。
型番はSCPH-XXXYの形式で付けられている(ここではXXXが型式、Yが発売地域を表している。日本用([NTSC J]、AC100V)の場合、Yは0である。他国では北米地域用([NTSC U/C]、AC110~127V)が1、ヨーロッパ・オセアニア地域用([PAL]、AC200~240V)が2、アジア地域用([NTSC J]、AC200~240V)が3である。
特記がない場合、日本における概要について記述する。
また、日本以外のアジア市場向けのプレイステーションも発売された。
また、本体形状がコンシューマー向けのものと同じで本体色が異なるプレイステーションは「デバッギングステーション」と呼ばれることがある。これはゲームソフトを開発するために設計された機種であるため、コンシューマー向けのプレイステーションとは機能が大きく異なる。
プレイステーションのアーキテクチャは家庭用のみならず、アーケードゲーム機としても活用された。プレイステーション互換及びプレイステーション上位互換の業務用システム基板は大手ゲームメーカー各社で採用され、業務用ゲームの家庭用への移植に貢献した。
他社発売の周辺機器も大半はソニー・コンピュータエンタテインメントの品番が付けられており、型番はSLPHで始まっている。